一本の紐
ここに一本の紐がある。片方の紐は電信柱に繋がれ、もう片方は少年の手に握り拳の中に。ぴんと張った紐を見て、少年は満足そうに笑う。
少年は言葉と文字が不自由であった。頭の中にある言葉を上手く整理整頓出来ないのだ。
彼が何を考えているのか、理解できるものは少なかった。彼はひとり遊びが多く、だいたいがこの紐遊びだ。綺麗に一直線に伸びた線の何が楽しいのか、僕も含め他の人も理解することが出来ない。
彼は今日も楽しそうに紐を眺めている。彼を理解したいと思ったことはない。だが、気付けば彼のことを目で追っている自分がいた。
彼の紐がどうにもこうにも気になってしまい、とうとう自分の夢の中にも紐が出てきてしまう始末であった。もう我慢の限界だと思い、僕は彼にこの紐について聞いてみることにした。
「この紐は何?」
彼は答えた。
「麻糸」
それは分かっている。僕が聞きたいのはそんなことじゃない。
「何をしているの?」
彼は答えなかった。
彼が僕の言葉を無視したわけではないのは分かっていた。だけど、無性に腹が立ってしまい、教室から鋏を持ってくると思い切りその紐を切ってしまった。
彼は「あっ」と声を漏らした。目線は切れた紐ではなく、地面であった。
「落ちた。残念。おしまい」
彼は僕を責めることなくその場を去った。
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その次の日、授業で絵日記をした。書き終わった人から先生に絵日記を提出するように指示が出された。僕は絵が苦手だったので一番最後に並ぶ羽目になった。僕の前には彼が並んでいた。
彼の絵日記を見た先生が「ひっ」と先生が小さく悲鳴をあげた。僕と目が合った先生は彼の絵日記を背中に隠し、なんでもないと笑ってみせた。
でも、一瞬だけ見えてしまった。
笑顔の僕と笑顔の彼が手を繋いでいる絵。でも、彼の手を繋いでいる僕の腕が黒く、強く、ぐりぐりと塗りつぶされている。その上にはハサミらしきものがあった。日記には三行分の大きさで「ごめんね。」と書かれていた。
僕は「ごめんね。」の理由が怖くて、彼とまだ話せずにいる。