不幸な女子中学生は愛されていた
自分でも言うのもなんですが、不幸な人生を送ってきたと思います。
物心つく前から親からはいないものとして扱われていました。記憶を遡っても遡っても親の笑顔も、言葉も、それどころか顔さえ覚えていないのです。
客観的から見ても、主観的に考えても、私という人間は不幸だったんだと思います。
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この前、とある人体実験の記録を見つけました。黄ばんでぼろぼろになった紙に書かれた「愛されなかった子供がどうなるか」という題に興味が湧き、少しばかり読んでみたのです。
「55人の赤ちゃんの食事、排泄処理、環境等を整えた上で愛情だけを取り除いて育てた結果、44人の子供が死んだ」と書かれていました。残酷な話ですね。本当かどうかさておき、私はこの記録に書かれていることが気に入ってしまいました。
最近「愛」の価値がお金より低い扱いを受けているような記事ばかりなんですもの。この記事には浪曼があって素敵じゃないですか。私、こういうの好きなんです。そんなの子供みたい話と思われるかもしれません。でも、私は子供なのでいいのです。
せんせ。私ね、この実験体に使われた赤ちゃん達と立場は変わらないと思うのです。ですが、私はこうして生きているのです。こうして普通の恋する女の子として生きているのです。
せんせ、私はいったい誰に愛されていたのでしょうか?
先生の困ったときに笑ってしまう癖。私、好きですよ。
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私ね、若い頃の先生の声も顔も覚えているのよ。
汚いベランダで手をつないで、たくさんの空を見てきたね。
最初ね、「この人が私のお父さんなのかな」って思っていたんです。
でも、先生の顔って私と違って優しい不細工顔だから。
うん、羨ましい。
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私、先生のことが大好きです。
先生がお母さんかお父さんの愛人だったとしても、嬉しかったんです。今の私がいるのは、先生が笑ったり泣いたりぎゅっとしてくれたからだから。
せんせ、私を女の子にしてくれてありがとう。
先生の柔らかくて太い右手小指に黄ばんだ紙で作った指輪をはめた。
今度は、私が先生を貰ってあげる。
ね、せんせ。