捨てることが出来ない君へ
「人というものは、与えられた場の中で何が必要で必要じゃないかを考え、その場に相応しいものに変化することが出来る生き物である」と俺は思っている。現に、人付き合いのために自己中心的な考えを捨て、周りに合わせる立ち振る舞いを覚えた。仕事のために自尊心を捨て、生き残る術を学んだ。
今の人生に不満があるわけではない。だが、休日になると背後から不安がナイフのように突き刺さる。
「はて、今の俺は本物の、本当の俺なのだろうか」
中学時代、俺には変な友達がいた。動作も喋り方も俺達とは何処か違う変なヤツだった。そいつはいつも笑っていたが笑っている本人にもその理由は分からなかった。だが、あいつの笑顔を見ると、どうしても笑ってしまうのだ。あいつが教室にいるだけでみんなが笑顔になった。不思議なやつだった。
当時、俺はあいつに好かれていたようで教室にいるときは俺の後ろをついて回っていたもんだ。彼は俺達の半分くらいしかなく、頬も女のようにふっくらしていたその姿はまるでひよこのようだった。行動も一つ一つがたどたどしく、見ていないと何をしでかすか分からず、いつもはらはらしてしていた。
中学を卒業し、高校はお互いに別の学校に行った。同じ学校には行けないだろうなと、なんとなく分かっていた。だが、学校最後の日に見た彼がいつもの笑顔をみんなに振りまいていたので、ほっとしたような、腹立つような、もう見れないのかと思うと寂しいようなもうよく分からない気持ちだった。
あいつと離れてみて実際色んなことに気付かされた。笑顔というものは実に作り物が多い。笑顔とは一言でいうが、本当にバラエティに富んでいる。あいつとは真逆の笑顔を浮かべるやつもいた。思い出すだけで背筋が寒くなりそうな笑顔だった。
その場に合う笑顔を探している時、あいつの笑顔がないかどうかも探してしまうことがある。だが、とっくの昔に捨ててしまったのか、それとも見つけられていないだけか、彼の同じ笑顔を見つけることは出来なかった。
その理由を知ったのは俺の姉に赤ん坊ができ、それを俺に見してくれた時だった。
赤ん坊の笑うと俺も自然と笑い、姉も姉の旦那さんも笑った。デジャブだった。そうか、そういうことだったのか。あいつの行動も喋り方も笑顔も、赤ん坊の頃から止まっていたのだ。色んなものを今まで捨ててきた俺に真似が出来ないのはそのせいだったのか。なんだかため息をつきたい気分だった。
今の人生に不満があるわけではないが、ふと背後から不安がナイフのように突き刺さる。
「はて、今の俺は本物の、本当の俺なのだろうか」
そんなとき、俺は彼に会いたくなる。俺とは真逆の人生を生きてきた本物で本当を貫き続けた彼がどんな答えをくれるか。俺は軽骨な期待してしまうのだ。