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日記|幸せになるための時間をいただくということ

こんにちは、といたです。
みなさん、風邪やはやり病など大丈夫ですか?
私はというと、少しその気配を感じでぎくりとしたので、いつもお世話になってるのど飴と市販の風邪薬で戦おうといったところです。

仕事やプロジェクトのほうは、いろいろ進んできていて、年末年始の浮かれた感じが嘘のように日常を取り戻しています。

日記という曖昧なテーマですが、生きている中のこれだ!と思った気づきについて毎週書いていこうかなと思います。
言語化の練習です。お時間ある時にお付き合いください。




時間を守りなさい!って言われるけど

これは最近とても感じていることですが、仕事でもプライベートでも、その時間にそこにいて、自分と話してくれていることがとてもありがたいとより思うようになりました。

社会人になるとより一層「時間は守ろうね」と言われるし、意識する同期がいることもあって、ピシッとなることもありますよね。
時間が守れないことも人間なのであると思うんですが、私はこれまでその度に落ち込んできたけれど、誰からも激しく怒られた経験はなかったんです。だからこそ自分の頭で考えて、この落ち込む気持ちの裏側に隠れている自分なりの道徳観みたいなものを言葉にしないといけないと思いました。


幸せになるための時間をいただいている、ということ

それは多分、「相手の人生の時間をいただいている」という感覚なんだと思います。

私はおばあちゃんになってこの世とさよならするときに、「やりたいことはやったし、幸せな人生だった」と思えるような生き方をしたいと思っています。

そのためには、なるべく多くの時間を若いうちから幸せな気持ちで満たしていきたいんですよね。
だから転職もしたし、暮らしたいと思った茨城にUターンもしてきました。仕事以外にも発信したいという自分の欲を満たすためにメディアを運営したり、生み出したい気持ちを形にするために写真を撮ったりイラレをいじったり、手描き文字を書いたりしています。
それに、ちゃんとお金を稼いで好きなことに使うことで、幸せを感じたい気持ちもあります。

「幸せになりたい」というのはみなさん同じだと思うし、であるならば、です。
「その人が幸せになるために使えるであろう時間を、このイベントや打ち合わせや、お出かけとかの時間に使ってもらっているんだ」と思うと、貴重を超えて奇跡のような気もしてくるんですよね。ちょっと大げさなのかも。笑

そういう意味で、世の中の先輩たちは時間を大切にしなさい、と言うんだな、時間を守れなかった時には落ち込んで申し訳ない気持ちになるんだな、と本当の意味で気づきはじめました。



私にとっての「若いからできること」

「若いんだから失敗をたくさんしなさい」と言ってもらえる機会も多いのですが、それだけじゃなくて、若いからできることって他にもあると思っていて。

今日の気づきで言えば、時間を大切にすることも、若いうちから始めるに越したことってないなと思ったり。
今この瞬間から時間を大切にできれば、これからの時間の可能性がぐんと広がるし、私が目標にしている「幸せになる」ということも達成できそうな気がしてきます。

時間は有限、人生も有限。
「時間をつくる」ことの価値はいつまでも忘れたくないなと思います。

















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