いまがんばっている尺度
自分がとことんネガティブな時って、どんどんどんどん自分を責めてしまうもので、そんなときにでも、話を聞いてくれる人というのに本当に感謝しなければならないと、そんなときでも、thank you for sharingと言ってくれる人に感謝しなければならないと、デンマークにきて本当に思わされる。
旅行に行く前のなんだか萎えモードの時、
話の発端はまた別として、自分が劣等感を感じやすい性格であるだとか、決して自分を強い人間だとは思わないみたいな話をしていた時に、ラスモス(デンマーク人の先生)にずっと話を聞いてもらって励ましてというか、寄り添ってもらった。
そんな完璧な人間はいないんだよ、とか、そんな完璧さを他人には求めるのか?と言われた。
でも私は、少しでもなりたい自分に向かって努力できない自分がくそだと感じる、自分の限界はまだまだずっと先だって知っている、とかメンヘラモードで言っていたら、
なんで自分の限界がそこだって知っているの?と聞かれて、私は部活でもっとハードなことやってきたししんどいこともやってきたと思っている。自分の限界はもっと先にあるって知っているんだ。と答えた。
そしたら、その時の限界の尺度と、今頑張ろうとしている尺度と環境は全く違うじゃん。同じ尺度で考えるべきところではないと思う。だから、いまの自分と囲まれている環境をよく見つめて、今の等身大の自分にできるベストを見つけてそれを毎日やったらいいんじゃない?と言われた。
なんだか腑に落ちた。いわれてみれば当たり前なのだけど、まったく気が付かなかった。
私の部活の時のしんどさの尺度、限界の尺度は、
いかに自分の時間の多くを、他のやりたいことを置いてでも費やすか、
いかに自分が正しいと思わないことでも、早く的確にこなすことをするか、
いかに自分を組織の効率的なコマにするか、
いかに誰かから強く怒られたときに、それらをすべて自分のせいであると認め、消化していくか。
そんなことが多かった気もする。もちろん、自分と向き合うしんどさもたくさんあったのだけれども。(別に、部活というものを悪い意味で書いているわけでは全くない。私は寧ろ自分の部活を誇りに思いかっこいいと思う部分のほうが多い。)
それらを通して自分は強くなったなと思っていたけど、それはあくまでも、トップダウン気質の強い組織で自分は忍耐力が強くなったとか自分が嫌だと思うことを超えてきたとか
そういう類の尺度であったように思う。
でも、今自分がチャレンジしたいのは、
いかに自分が言いたいことをいうか。
いかに自分で新しい価値を作り出すか。
いかに大勢に流されずに自分の意見を持つか。
いかに無限にある時間を自分でコーディネートして充実した時間にするのか。
いかに知ったかぶりをせずに素直で正直であるか。
いかに何にも属さない≪私≫としてありのままで人と接するのか。
いかにその時々の自分自身を認めるか。
そういった類の、尺度と頑張りであって、確かに今までチャレンジしたことないやん。と。
この尺度ではまだまだ私ひよっこだったんだ、ってことをすっかり忘れていて。
いまのそういった尺度で弱い自分とちまちま向き合って、一歩一歩と思えるようになったら、小さい単位で目標がたてられるようになって、ずずずっと、前に進めた気がする。
ラスモスにまた、大切なことを教えてもらった。ありがとう