運命の本 #ショートショート
古びた街の片隅に、誰も訪れることのない書店がひっそりと佇んでいた。看板は色褪せて読めない文字が刻まれており、店の存在に気づく人もほとんどいない。誰もその店がいつからそこにあったのかを知らないが、まるでずっとそこに存在し続けていたかのような雰囲気を持っていた。
ある日、一人の男がその店の前を通りかかる。普段は決して通らない道を歩いていたのに、なぜかそこに辿り着いてしまった。目に入ったのは、不思議と人を引きつける店の扉だった。好奇心に駆られた男は、重い扉を押して中へ入った。
店の中は薄暗く、古書の匂いが充満している。棚に所狭しと並んだ本たちに囲まれていると、彼はまるで異世界に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。奥には一冊の黒い本がひっそりと置かれている。その本だけが、まるで誰かが手に取るのを待っていたかのように光を帯びていた。
男が本を手に取ると、表紙には何も書かれておらず、ただ黒々とした布のような装丁が施されている。中を開くと、最初の一文が目に入った。
「ここにアナタの運命を記す。」
一瞬、寒気が背筋を走り抜けた。背後に冷たい風が流れ、誰かが彼の肩越しに覗き込んでいるような気配を感じるが、振り返っても誰もいない。ただ静寂と、遠くで響く風鈴の音が耳に残るだけだった。
彼はそのまま読み進めた。次のページにはさらに不気味な一文が書かれている。
「この本を読み終えた者は、書かれた運命から逃れることはできない。」
ページをめくるたびに、文字がまるで生きているかのように浮かび上がり、彼の過去を描き始める。それは彼の記憶にある幼少期の出来事や、思い出したくもない失敗まで正確に描かれていた。
さらにページを進めると、まだ起こっていない未来が記されていた。まるで予言のように、
「今夜、アナタは暗い路地で誰かに呼ばれる。しかし、振り返ってはいけない。振り返れば、運命が終わる」
と書かれている。男は恐怖に駆られ、本を閉じようとしたが、奇妙なことに、ページを閉じることができない。まるで本自体が彼の手を拒むかのように、意識が次のページへと誘導される。
最後のページには、彼が毎日通る通勤路の路地が描かれていた。その路地に佇む彼の姿がぼんやりと映し出され、最後の一行にはこう書かれていた。
「好奇心、それがアナタを殺す。さようなら」
男は息を呑み、本を閉じた。まさか自分の未来がここに書かれているなど、ありえない話だ。だが、店を出ると、彼は次第にその言葉の呪縛に囚われていく。まさにその夜、家に帰る途中、あの暗い路地を通らなければならない状況になった。
夜の街は静まり返り、路地に入ると周囲が闇に包まれる。その時、背後から誰かが彼の名を呼ぶ声がした。振り返ってはいけない。そのことを彼は覚えている。だが、その声は懐かしく、愛おしい響きがあり、彼は足を止めてしまう。
再びその声が彼を呼ぶ。「……振り返れ」
彼の心は不安と恐怖、そしてわずかな希望に揺れ動く。だが、ついに彼は振り返る。
その瞬間、彼の視界は闇に包まれ、意識が途絶えた。
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私は自室に戻り、黒い本の最後のページに新たな一行を追加した。
「アナタは、二度とこの世には戻らない。」
私は微笑み、手元のペンを置く。そして、また白紙の本を開きながら、次のケイカクを書き始めた。次の迷い人が訪れるのを待ちながら。