条件付け②
先の記事では、条件付けについて触れました。「お片付けきちんとしたら、おやつあげるよ~」「早く寝ないと、おばけがくるぞー!」といった感じに、「○○したら(しないと)、✕✕するよ(しないよ)」と子どもに伝える、言わば交換条件のようなもの。
では果たしてどんな言葉がけが良いのか。持論ばりばりですが書きたいと思います。
親の立場からすれば、どんな条件付をしようとも目的はだいたい決まっている。親が子どもに「こうして欲しい」とする、子ども自身の行動改善を促すためのもの。であれば、より効果的な方法が取れるにこしたことはありません。
では、子供の立場に立ってみたらどうなのでしょうか?個人的には、言い方の問題と、報酬の種類の問題。その2つがキーになってくるかな?と思っています。
まず第一に、言い方の問題。
「お片付けしたら、おやつ食べようね」
「お片付けしないと、おやつ食べないよ」
どちらも「お片付け」をすることで「おやつ」を食べられる、すなわち「お片付け」をして欲しい、という意図を込めて使っていますが、子どもの立場で考えたらどちらが良いでしょうか。
それは、おそらく前者。
同じ、子供の行動を改善してもらう狙いがあるにしても、言い方ひとつで子どもの受け取り方は変わるのかな?と思います。
そのため、「○○しないと、✕✕ないよ」は避けて、「○○できたら、✕✕するよ」に自分の言葉がけを変えていく方が、子供にとっての受け取りはスムーズになるかな?と。
そしてもう一つは、報酬の種類の問題。
簡単に言えば、「もの」か「ひと」か。
「お片付けできたら、お菓子買ってあげるね」
「お片付け出来たら、ギュッとしてあげるね」
どちらが良いか。
子どもが大きくなればなるほど、ギュッとしてあげるようないわゆるスキンシップは「恥ずかしい」と拒まれてしまうかもしれませんが…基本的には子どもは親からのスキンシップこそが、分かりやすい形での愛情表現でもあります。
お菓子買ってもらう⇒またお菓子を買って欲しい
ギュッとしてもらう⇒またギュッと抱きしめて欲しい
であれば、親にとっても子どもにとっても良いのは、後者であるかな?と思っています。
話は少し逸れますが、ハーロウのアカゲザルの実験、という心理学の中ではわりと有名な実験があります。
生後まもなく母親と引き離された猿の赤ちゃんを、「代理母親」の人形を置いて一緒に過ごさせる、というもの。「代理母親」には2種類あり、針金で作った母親と布でできた母親。針金でできた母親のところには哺乳瓶を設置してあり、ミルクが飲めるようにしてあります。猿の赤ちゃんは、どちらの母親を求めるだろうか、という実験。
猿の赤ちゃんが求めたのは、布でできた母親。ミルクはくれないけれど、「布」と接触できる方を求めたのは何故か。それは、食べ物などのものによる接触よりも、肌に触れる感触、温かさのようなものを本能的に求め、そうすることで不安や心配を払拭し安心感を得ていた、というものでした。
自分たち人間にも同じことが言えるのだと思います。人はものを得ることで確かに嬉しい気持ちにはなるけれど、人の情緒を育み、人間としての成長を促していけるものはやはり、ものよりスキンシップだと思うのです。
お金持ちでものに不自由ないけれど親と触れ合える時間がほとんどなく寂しいより、金銭的には苦しいけれど親子で触れ合える時間が多く安心して過ごせていた方が、人としての基盤は養われるかと。
話を戻しますが、だから「○○したら、一緒に遊ぼうか」「○○が終わったら、ギューッとしてあげるね」といったスキンシップを混じえた条件付けが多ければ多いほど、子どもの心を育めるかな?と思っています。
ただ、もので釣るのが絶対にいけないわけでもない。だって、親だって大変ですから…一番手っ取り早いのは、ものですしね。
でもものばかりの交換条件は、後の自分を苦しめることにも繋がってしまうのも確か。だから、余裕のある時は「スキンシップ」の方を多くして、大変な時は「もの」にも頼りつつ、そんな感じで子どもと接することができれば良いのではないでしょうか。
子どもとの接し方も大切ですが、一番大切なのは親である自分自身に余裕を持たせること、だとも思うので。
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