入社1年目で外コンに転職した話(前編)
初記事になります.
今回20卒の自分が入社1年目に転職活動した話を,当時の思いを残すために
記しておこうと思いnoteを始める事にしました.
時系列が大学〜就職後の転職活動と割と長いので,前後編で記事を作ろうと思います.
前編は就活〜入社,後編は入社〜転職という構成になっております.
入社1年目で転職をしようと思ったきっかけ
一言で述べると、新卒時の就職活動に失敗したからです.
大学生の頃は入学時からずっと公務員になろうと考えており,
大学3年生の2月までインターンに一切行かず公務員試験の勉強をしてました.
その結果希望していたコンサルティング業界にはなんとか入れたものの,
滑り止めで受けた1社しか内定を貰えず,必然的にその会社へ就職することになりました.
つまり内定が決まった時点で「絶対第二新卒で転職するぞ!」という決意を
固めていたのです.
当時内定を頂いた会社に対して,このような気持ちで入社した事に対しては今となっては申し訳なく思っています.
コンサル業界を志望した理由
近年高学歴学生に人気なコンサル業界ですが,その志望理由としては
「高給だから」
「若いうちに成長できそうだから」
「今興味のある事がないのでとりあえず幅のきく能力が欲しいから」
など様々あると思います.
私の場合は,尊敬している先輩がコンサル会社に内定を貰ったという話を聞いて初めて「コンサルタント」という職業を知ったのですが,
特に興味のある業界がなかった
尊敬している先輩が入った業界であるという色眼鏡
このまま公務員になっていいものかという漠然とした不安
上記理由から,公務員試験の受験を断念してコンサル業界を中心に就活をすることを決意しました.
出遅れて就活を始めた結果
3年の2月下旬から就活をスタートし,まずはコンサル業界の選考状況を調べました.
その結果,なんと大半の会社が既に募集を終了しており,残っている企業も最終募集ばかりではありませんか.
(後に知ったのですが,コンサル業界は大半が3年夏〜冬のインターンから選考が始まるそうで年内に終了することもよくあるそうです)
焦った私はまだ残っている企業にエントリーしてESやwebテストに明け暮れる日々を過ごしました.その結果,最初に挑戦した第一志望にESで落ちるという幸先の悪いスタートを切ったのでした.
大学の就職センターに行かなくなった
第一志望の企業に関しては大学の就職センターをフルに活用してOB訪問,ES添削,企業研究を寝る間も惜しんでやりました.しかしながらES落ちという結果に自分の非を認められず,大学のせいにして就職センターを利用することをやめました.
その結果ESもその後は全通し,面接まではこじつけられるようになりました.(大学の就職センターが悪いというよりは,相談しすぎて「自分らしさ」が失われてしまった事がES落ちした直接の原因だと思います.少しの相談であれば良いと思いますが,全てを任せるのは良くなかったと反省しました.)
就職センターに行かなくなってからは某有名ESサイトを参考にして自力で作成して提出していました.
やはり実際に通過した人のESは参考になる点が多いので,就活生にはサイトを参考にしつつ自分で作成することをお勧めします.
自分で書くのが不安という気持ちもありますが,他人だけを頼るのだけはやめましょう(当然と言えば当然ですが,追い詰められている状況では自分が信じられなくなり成功者の言葉をまるまる使いがちになります).
そこで通過できても,その後の面接で結局ボロが出ます.
ここまでの状態確認
この時点でES・webテストに通過した企業は
・コンサルティングファーム・・・3社
・シンクタンクのコンサル職・・・4社
の計7社でした.
既に募集が終わっている企業が多い中,
ESで落ちたのは2社だったのでまずまずの通過率だったと思います.
面接が始まって直面した大きな壁
私が選考を受けた企業の多くは
書類選考 → GD → 一次面接 → 二次面接 → 内定
という選考フローでしたが,GD以降の面接において"ケース面接"というコンサル特有の面接が課されます.これは"答えのない問題に対して自分なりの解決方法を論理的に伝える試験"だと思って貰えば大体合ってると思います.
さてこのケース面接ですが,答えの型というのがいくつかあって専門書を読まないと対策ができません.(対策本については色々な人がブログやYoutubeで紹介しているので割愛します)
当時大学生の私は適当に本だけ流し読みして「なんとなく出来るからいけるだろ〜」と軽い気持ちで考えていましたが,そんな余裕は1社目の面接から吹き飛びました.
就活における挫折
1社目の流れとしては
待合室で待機 → 面接官が呼びに来て個室へ → アイスブレイク → ケース問題の提示
という流れでしたが,ケースのお題はアイスブレイクの中で面接官が考えると言うものでした(つまりお題が予測できない).
私の場合は「出身地どこ?」と聞かれて「〇〇県です」と回答したら紙とペンを渡されて「じゃあ15分で〇〇県の人口を20%増やす施策考えて」というお題にされました.
なんとか15分で施策を考えて面接官に説明した私でしたが待っていたのは「それ本当に実現可能なの?」
「そもそも人口の数値それで合ってるの?」
「僕の経験上それ上手くいかないと思うけどその場合どうするの?」
などなど詰め詰め攻撃をくらい敢えなく撃沈しました.
現在では自分の準備不足が多く,無駄な時間を取らせてしまい面接官に申し訳なかったと思いますが,当時は親の仇の如くその面接官のことを恨んでました.(笑)
その後の就活ダイジェスト
2社目(外資系コンサル):GDは通過するが1次面接でケース面接で落ちる
3社目(シンクタンク):面接に通過したと思ったら「コンサル職じゃなくてエンジニア職に転向しないか?」とメールが来たので選考辞退
4社目(シンクタンク):面接で話が噛み合わず2次面接で落ちる
5社目(シンクタンク):面接に通過したと思ったら「コンサル職じゃなくてリサーチ職に転向しないか?」とメールが来たので転向したら次の面接で落ちる
6社目(シンクタンク):面接に通過したと思ったら「コンサル職じゃなくてエンジニア職に転向しないか?」とメールが来たので選考辞退
7社目(日系コンサル):説明会の日程が偶然空いてたのでエントリーした.4次面接くらいまでやって内定(前職)
※シンクタンクはコンサル職の枠が少ないので,落とすか迷った場合に別の職種への転向を進めるらしいです.大体はエンジニア職だそうですが…
就活を通して
正直私の就活の敗因は
そもそもの動き出しが遅かった
ケース面接の準備が不十分だった
人の話を聞かずに自分の考えに固執していた
以上3つだと思います.
1つ目は時間的な問題であり仕方がなかったかと思いますが,
2,3つ目については当時でも改善できる余地がもっと合ったのではないかと今振り返ると思います.
結論として私はほぼ全ての志望企業に落ち,滑り止めの日系コンサルファームへ就職することを受け入れました.
NNTではない安堵感もありましたが,同時期に「第二新卒で転職する為に動いておこう」という考えも持ち始めていました.
学歴コンプならぬ"キャリアコンプレックス"が自分の中に合ったのかもしれません.
前編まとめ
前編では私の大学時代の就活事情を記してきました.
正直恥なので書かないと思っていた部分もありましたが,自分の努力不足への戒めとして書く事に決めました.
後編はいよいよ就職してから転職をするまでというこの話の本編になります.
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