妬んでいる暇はない。
ただ妬むのは今日まで、という願いを込めて、書かなきゃと思ったので書く。
昨日今日はお正月気分真っ只中で、
おせちを食べたり、神社やお寺を散歩したり、買い物に出かけたり…。
とても有意義だった。
ただ、風邪気味で不機嫌だったこともあり、口には出さずとも、心は荒れに荒れていた。
初詣に向かう道中で目につくのは、ブランド物を身につけた人々。屋敷に住む人々。
うちの家も、まあまあな暮らしだけれども、正月にベンツで田舎な地元に帰省してきた人々、そもそも近所に住んでいる人たちに嫉妬していた。
「嫉妬」。エネルギーに変えれば強い力になる。
でも、「『嫉妬』が一番罪深い」とかなんとか、聖書や何かの本に書いていた気がする。
最近 #フィッツジェラルド の本を読んだ。「 #グレイトギャツビー 」の原作者だ。
名前だけ有名な、貧しいくらしをしてきたギャツビーは、
「私は天才だ」「私は最高の女としか付き合わない」
などと、生活とは対照的に自信家であった。
「グレイト・ギャツビー」にも、彼自身のそんな姿が投影されている。
でも、
「小物ほど自分を大きく見せようとする」
という言葉の通り、自信家なのは口だけで、自分を奮い立たせるために、放った言葉にすぎない。
もちろん「言えば叶う」「言霊」というように、言葉には力がある。
けれども、ただ威張るだけで、行動が伴わなければ、滑稽なだけだ。
散歩やショッピングから帰宅した私を待っていた我が家に帰宅すると、私はまず
「狭い玄関だな」
「狭い洗面所だな」
「狭いダイニングだな」
と思った。散歩の道中で目にした数々の屋敷にとって、この家は離れぐらいの大きさしかない。
でも、部屋を見渡す私に父が
「立派でしょう。こないだ直した壁はいい色だね。
張り替えた床もいい木だね。」
と、満ち足りた表情で話していた。
すでに感じていたが、私は自分を恥じた。
私の稼ぎは父の年収には、到底及ばない。
私の4倍は稼いでいる。
「自分が幸せにした人の数が収入になるのだよ。
一人幸せにしたら一円。
たくさん稼いでいる人は、それだけ人を幸せにしているんだ」
父は語る。
父には敵わない、と思うとその通りになるので、
父の才能を受け継いで存分に発揮したい、
に言い換えておくけれど、
改めて、父のすごさを感じた。
「ブランド物を身につけて他人を威嚇したい」
と正月始めに拗ね拗ねしていた私は、抱きしめて、おだてて、飴でも咥えさせて寝かしつけておくことにした。
でもきっちり、この妬みはエネルギーに変えて、本年の活動に活かす。
妬みなんて、ずっと抱えてきた。
幼稚園から今までずっとだ。
自分より綺麗な家に住む、先生に褒められる、友達の多いクラスメイト。
そんな彼らと決別するつもりで入学した私学には、芸能人、社長、大企業の役員の子女ばかり。
もう一度決別を図ろうとした大学でも同じようなことがあり、
社会人になってからも、妬む気持ちはまだある。
そして、キラキラしたクラスメイトには妬みつつも憧れるくせに、
一見普通の田舎っぺで、影で大「愚痴」を垂れているクラスメイトに対しては、
見下した気持ちを持っていた。
「見下しているけれど、そこに自分の姿を見るから、嫌悪するのかもしれない。」
もしそう思うなら、これも言霊だから自分が上回っていくしかないのだ。
黒くてドロドロした妬みは、急には消せない。
ただ蓋をしただけ。
すでにドロドロしているなら、ハスの花を咲かせるだけ。
今年は、今年も、きちんと努力して、方向を見定めて、成長する。
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