見出し画像

おじいちゃんが亡くなり、お別れの儀式をした話

※このnoteはお葬式の話や火葬の話が出てきます。


亡くなるまでの思い出

このnoteは寂しい思い出、温かい思い出を振り返えるために書いています。

祖父は2024年11月に亡くなりました、92歳でした。
もともと認知症がすすんでおり、同年の夏ごろから食事が取れなくなっていました。持病もあったので、実家では介護体制が整っていくなか

「もうおじいちゃんと一緒にいれるのは長くないのだ」

ということがわかっていく、という感じでした。

ただ介護があまりにも大変だったため、心の準備をステップを踏んで行うということはできませんでした。

祖父が食事を取らなくなってから亡くなるまでの4、5ヵ月。バタバタと、介護生活という非日常が家族のもとに訪れました。

祖父の性格は、祖母には甘えるけれど、それ以外の家族や他の人には一定のフォーマルさを保つ人でした。5分に1回は祖母の名をよんで、介護ベッドのそばに来てもらっていました。祖母は、

「また呼んでるわ(大阪弁)」

はいはい、とそのたびに寝室に移動していました。

亡くなった日のこと

その日は祖母と妹が家にいました。来てくださっていた介護スタッフの方が

「救急車を呼んだほうがいいかも」

とのことで、妹が電話をしました。祖母は耳が遠いし、医療のスタッフの方は基本マスクなので話が聞こえづらく、妹しかやり取りできる人がいなかったためです。

救急車は来たものの、受け入れ先を探すのに1時間ほどかかったといいます。目の前がバタバタしていたので、妹的には体感15分だったそうですが、実家の監視カメラの記録では1時間後にやっと車が移動していたそうです。

父と母は、介護で忙しいけれどたまには出かけよう、と実家のある大阪から神戸に行っていました。神戸についたとたんに連絡がきたので、とんぼ返りしたとのことです。

私は祖父の搬送後に連絡をもらいました。そのとき私は数週間前に実家の大阪をでて、茨城県にいました。

そのため連絡をもらった昼の12時にすぐ移動したとしても帰阪するのは19時あたり。何かあっても間に合わない可能性大。なのでただソワソワして

「行こうかな、でも行ったところで何ができるんだろう」

とぐるぐる考えていました。

そして4時間後あたりに、亡くなったという電話をもらいました。

お葬式のバタバタ。おじいちゃんの遺影はどれにする?

私は次の日に実家に帰ったのですが、そこからはまた別のバタバタが待っていました。

式場の都合で2日ほど余裕はあったのですが、お通夜とお葬式の準備が始まっていたのです。2日余裕があってホントによかったと後で父がいっていました。

父と祖母が中心となって作業はしていたのですが、私も遺影の写真選びや、関係各所への連絡、お坊さんにお渡しするお金のチェック、封をするなど、意外と事務的なことが多かったです。

式場の方との打ち合わせも2時間以上かつ数回!
お葬式ってすごく準備するんだ!と驚きました。

亡くなってからお通夜までの2日間は祖父は実家で寝かせてもらっているとのことで、早めに帰ることにしました。
本当に寝ているだけみたいで、不思議でした。

式の当日、親戚が集まる!

スケジュールは基本的に以下の通りでした。

1日目夜 お通夜
      ご飯
2日目朝 お葬式
     火葬場で火葬
     昼ごはん
     火葬場で骨を拾う
     自宅にミニ仏壇を作ってもらう

お通夜やお葬式の日は親戚が集まりました。しばらく会っていなかった従姉(いとこ)にも会ったり。でも中途半端に顔見知りの人が集まると気疲れするもの。

ある程度お喋りした後は、妹と祖父が寝ている部屋まで行って、祖父の顔を見ながらしりとりをしていました。

ちなみに祖父はお棺に入れられる前、最後のお風呂に入れてもらったそうです。お顔や頭も丁寧に洗ってもらい、祖母曰く

「92年の垢をすべて落としてもらった!」

とのことです。

お通夜やお葬式では、式場の方にお焼香の仕方を始めに教えてもらいました、回数とか。ありがたや。

お通夜の後は普段めったに会わない親戚との晩ごはん。気まずかったので妹と途中で抜け出して、近所の薬局やコンビニでプラプラしていました。お葬式の日のご飯でもそうしました。

骨になったおじいちゃん

おじいちゃんの棺桶の中には、おじいちゃんの大好きなコカ・コーラも入れたそうです。

式場の方にもチェックしていただいたとのことなので燃やしても大丈夫なコップに入れているはず。燃やすときに骨がよごれてしまうような材質のものはいれないようチェックしてもらっていました。

眠っているおじいちゃんを見るのは不思議な感じでしたが、お骨をひろうのはもっと不思議な感じでした。ショックだったし、でも自分の中で受け入れる体制もできているような感じで。

おばあちゃんも、

「骨がしっかりしてるわ!」

と、おばあちゃんなりに、おじいちゃんをほめたりして。たぶん喋っていないと辛いというのもあったと思いますが。

お葬式が終わって

式が終わった後は実家に戻り、式場の方が簡易的な仏壇をつくってくれました。おじいちゃんの写真と鈴(小さな金属製の器を棒でたたいて鳴らす道具)、電子式の線香を小さな棚に置いて。

そこでやっとホッとしてきました。
もう5分に一度おばあちゃんを呼ぶ声はしないし。おじいちゃんは亡くなったんだ……、とまだ不思議なかんじはしましたが、ひと段落ついたんだと思いました。


今もおじいちゃんのことを思い出すときがあります。
介護ベッドに横たわるおじいちゃんの足元におばあちゃんが腰かけ、脚の上に座ってしまって

「いたた!」
「あらごめんねえ」

という夫婦のやり取りに笑ってしまったこととか。

大変なことも、楽しかったことも、ときどき思い出しながら過ごそうと思います。サムネイルはおじいちゃんのお葬式でも飾られていたコスモスにしました。おばあちゃんが選んだ花だよ。




いいなと思ったら応援しよう!

ねね@ライター_作家
私をめちゃくちゃ喜ばせたいと思ったら、サポートいただけるとその通りになります🌸