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利賀村でのおもしろき体験

それを見つけたのは、「日本仕事百貨」でのアルバイト募集のツイートだった。キーワードに反射してすぐさま応募し、オンラインでの面接を受けたのはオーストラリア一周をしている最中だった。

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応募したのは、「シアター・オリンピックス」と題された演劇イベント関連の運営スタッフだったが、個人的には「富山県での開催」+「国内外から劇団や多くの人たちが来る」ということが大きかった。

ちょうど帰国のタイミングと開催期間が重なっていたこと、英語を使うことができるかもしれない環境だったことが、心を動かしたように思う。だから、必ずしも演劇をしたり観たりすることが、特別好きであるというわけではなかった・・・。

さて、シアター・オリンピックスとは何だろうかと調べてみると、

鈴木忠志、テオドロス・テルゾプロス、ロバート・ウィルソン、ユーリ・リュビーモフ、ハイナー・ミュラーら、世界各国で活躍する演出家・劇作家により、1994年にギリシアのアテネにおいて創設された国際的な舞台芸術の祭典。

芸術家同士の共同作業によって企画されることを特徴としていて、世界の優れた舞台芸術作品の上演のほか、次世代への教育プログラムも実施される。

1995年のギリシア(デルフォイ、アテネ、エピダウロス)を皮切りに、日本(静岡)、ロシア(モスクワ)、トルコ(イスタンブール)、韓国(ソウル)、中国(北京)、ポーランド(ヴロツワフ)、インド(ニューデリーなど)と8カ国で開催されてきたが、2つの国で共同開催されるのは今回が初めてとなる。
                     (シアター・オリンピックスとは)

と、ウェブサイトには書かれてある。

今回で第9回目を迎え、世界各地で開催されてきたが、日本では第2回(1999年)の静岡での開催以来となっている。そして今回、第9回目の開催地として富山県利賀村に加え、黒部市、そしてロシア・サンクトペテルブルクとなった(2カ国で共同開催されることは、今回が初めてだという)。

シアター・オリンピックスの創設者の1人であり、今回の芸術監督でもある演出家・鈴木忠志氏は「SCOT(Suzuki Company of Toga)」という劇団の主宰でもあり、今から40年以上も前の1976年に東京から利賀村に拠点を移したのだそう。そして、合掌造りの家をリフォームしたり、野外を舞台とした劇場を作ったりしてSCOTの活動をされているという。

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出身県だったけれど、それほどまでにすごい人がおられたことを全然知らなかったことに軽いショックを覚えた。40年前以上となると、ぼくが小学生の時に修学旅行に利賀村を訪れた時も鈴木氏は活躍されていたはずだ(もちろんだろう!)。

そして、そうしたことは露知らず、過ごしていたのだなと。さらには、そういったことがいっぱいあるのだろうなと。

富山県に生まれ育ったけれども、県の中で知っていることはそれほど多くないのではないかと、このタイミングで痛感させられたことは確かだった。

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8月23日から9月23日までが日本での開催期間であり、スタッフらの多くは利賀村にいたのではないかと思う(黒部には行っていないので詳細は分からない)。ぼくにとっては、小学校の修学旅行が利賀村・平村だったので、それ以来となった。当時は「東礪波(ひがしとなみ)郡」だったのが、現在は「南砺(なんと)市」になっているのも何か時代を感じた瞬間だった。

滞在中は、利賀村にある古民家に泊まらせてもらっていたが、初日は実家から公共交通機関を乗り継いだ。電車とバスを乗り継いで1時間ちょっと。利賀村へ行くバスが1日に2本しかないので、乗り遅れることのないようなスケジュールで動かなければならなかった(車が一番便利なんだと思う)。

そして、利賀村に着いた瞬間、なかなかに山奥に住むことになるのだなということがひと目で分かった。

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宿泊に関しては、古民家に男性陣・女性陣でそれぞれ住まわせてもらった(利賀村近隣から参加したスタッフの人たちは自家用車などで来ていたけど)。家のつくりや素材などが風流で居心地も良く、いろいろなバックグラウンドを持つ人たちとシェア生活できたのも最高に楽しかった。


興味・関心がそれほどなかったのか、今まで触れる機会があまりなかったのか、「演劇」についてほぼ無知なぼくにとって、シアター・オリンピックスは新鮮でユニークなイベントだと感じてもいた。そんなこともあってか、到着した日に演劇を観にいくことにした。

タイトルは『剣を鍛える話』ーー。

野外舞台で観劇するのも、その場所自体に訪れることすらも初めての経験だった。「岩舞台」と銘打たれた舞台では、左右の横展開だけではなく、縦方向(観客席から見ると舞台の奥側)に役者さんが駆け回るのを見て、(ぼくが思い描いている)舞台空間を無視して飛び抜けている様がとてつもなくダイナミックで、「そんな使い方があるのか!」と感嘆してしまった。

実際、舞台奥には背の高い草が縦横無尽に生えている中で、2人の男が全力で追いかけっこしているのがとてもおもしろかった。それを巨大なスポットライトで当てられているものだから、背景にそびえる山々や木々の輪郭もはっきりと確認でき、そんな果てしなくデカイ所で、スケールのでかさに驚きもした。

もちろん同作はストーリー全体を通して、おもしろおかしく、声を出して笑ってしまうほど楽しい話だった。

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手前にあるのが「岩舞台」。奥の茅葺き屋根は、合掌造りをリフォームしたという「新利賀山房」という舞台


仕事は何をしていたかというと、野外劇場から少し離れた(とは言っても徒歩圏内ではあった)建物「グルメ館」での業務がほとんどだった。グルメ館では、いくつもの飲食店やお土産屋さんが設置され、来場者を始め、劇団関係者、スタッフらが食事を取ったりショッピングができたりした他、木調のテーブルやベンチが十分に置かれたので休憩スペースとしても活用できた。

グルメ館の屋外にはテントが張ってあり、アウトドアチェアに腰かけ、キャンプを楽しむかのように飲食を楽しむこともできた。裏を返せば、演劇が行われていない時間はグルメ館周辺で楽しむことがほとんどだったように思う。

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グルメ館前には川が流れている。天気が良い日の水浴びは最高だ


屋外には全て木工で造られた「バー・エリア」もあり、夕方から夜にかけて国籍を問わず、たくさんの人たちが集まり酒を交わし、盛り上がっていた。煌々と灯った暖色のランプ、オール木造建築、人びとの笑い声が相まって、温かみどころか(良い意味で)熱気にあふれていた。

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グルメ館の近くにはキャンプ場もあった。貸しテントでの宿泊者へテント装備もろもろを配布するなどのアウトドアな作業もさせてもらった。

県内外からバスで来られる人たちのため、バスターミナルも設置されていた。そこで来場者の荷物預かり・引き渡し、会場の案内などさせてもらう日も。

また、飲食店の1つにサルデーニャ島(イタリア)からのチームがおり、そのヘルプもさせてもらった(『ジョジョの奇妙な冒険 PARTE 5 黄金の風』のアニメにハマっていた時期で、イタリアが舞台のシリーズだったので、イタリア語を間近で聞くことができて「おおっ!」ってなった笑)

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民宿「七」さんにお手伝いに行かせてもらった日もあった。料理がそれほど作れないということもあって、全然役に立てなかったけど・・・


いろいろな劇団の脚本家や役者の人たちなどの関係者が宿泊するための施設のベッドメイキングをSCOTの人たちと一緒にすることもあった。他にもさまざまな仕事があったし、携わらなかった仕事もあったのだが、大まかにこんな感じだったかなと。まあ、何でもありな感じで、どの仕事もおもしろかった。

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「THE NORTH FACE」製のテント「Geodome(ジオドーム)4」に泊まれたのもウキウキしたし、貴重な体験だった(写真、黄色のドーム状の物)


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時間があれば、周囲をぐるぐる歩き回った。何にもないことが良い感じだった。周りは山々に囲まれ、緑が色鮮やかで、稲穂がこうべを垂らす季節でもあった。

近所にある温泉施設「天竺温泉の郷」にも行ったし、公演が行われない時間の野外劇場や、合掌造りの茅葺き屋根を見に行ったりもした。

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合掌造りの家屋をリフォームした劇場で最大級の大きさを誇るという「新利賀山房」の中を見ることができなかったことだけが、残念で悔やまれた。

鈴木氏の代表作の1つでもあるとされる『世界の果てからこんにちは』という作品がある。利賀村に来て初めてその存在を知ったのだが、よく知っている人たちにとっては有名な作品のようで、実際に上演日には野外劇場に700人を超える人たちが来場し立ち見が出るほどだった(ぼくも立って観劇した)。

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特徴の1つに「花火が打ち上げられる」ことが挙げられる。これは野外で演劇が行われるという特性ならではを生かしての演出となっている。それもそうだろう、屋内では絶対にできないはずだ、打ち上げ花火を打つなんてーー。

シアター・オリンピックス期間中、同作は4回上演された。そのうち、ぼくは観劇が1回、「花火を撮ってやろう!」と試みたのが1回だった。

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もちろん安全管理が非常に重要なようで、同作の上演日には野外劇場の近くの合掌造りの茅葺き屋根に火が燃え移らないように湿らせておくため、消防団が出動するということも聞いた。また、野外劇場の周辺で花火の写真を撮ってやろうと意気込んだのだが、花火が打ち上がった後の残骸が降ってくるようで、立ち退くように注意されたことも・・・。

専門の花火師さんチームを手配しているということも聞き、最新の注意を払いつつ、安全を確保することを念頭におき、行われていることを感じた。

観劇の際はすぐ目の前で打ち上げられる花火に驚き感激したものだが、写真を撮ってみようと思うともう少し離れたら良かったなと思った。今回、構えた位置はけっこう近かったなと反省しかなかった・・・。

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利賀村が演劇で有名な地であることやSCOTのようなすごい劇団が活動してること(全然知らなかったけど、記念にTシャツ買った笑)、シアター・オリンピックスが開催されることなど何も知らなかった・・・。けれど、今回、利賀村ひいては富山県のことをいろいろと知るきっかけになったし、何よりこのイベントにスタッフとして参加する機会を得れたことはプラスでしかなかった。

新聞やテレビでもニュースになっていたようなので、とてもインパクトのあるイベントが富山県で行われていたのだと感じたのも、何だか誇らしかった。シアターオリンピックスは数年に一度しか開催されていないようで、次回、富山県で開催されるかと言われれば、もしかするともう来ないかもしれない・・・。

だからこそ、今年あの場所にいれたことは良かったと思う。そして、富山県全体に対して興味を持ったこともぼくの中では大きかった出来事だ。

アルバイトと言いながらも、たくさんのおもしろい人たちに出会うことができ、すばらしい演劇をいくつか観ることもできた。約2週間の短い期間だったが、利賀村に住むことができたという貴重な体験をすることができたと思う。

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