大道透長安〜救われた言葉〜
「だいどうちょうあんにとおる」
"急いでも、ゆっくりでも、まっすぐ進んでも、くねくね歩いても、
目指すところは同じ場所。"
プロフィールにも書いているが、私は転職組だ。
今いる会社はもしかしたら数十年したら今と違う形になっているかもしれないが、幼い頃から好きな会社だ。新卒からだと私の実力からでは入れなかった可能性は高いだろう。
バイトやら部活やらで時間もなかった。でも負け惜しみもあっただろう。そして、私には届かないと感じたのだろう。私は就活中に完成車メーカーのエントリーを全てキャンセルし、Tier1メーカーやエネルギー系の企業に完全にシフトした。(今思えばTier1メーカーが下というわけではないのだが)
結果、Tier1メーカーに就職することになったが、今思えば色々な経験が出来たと思っている。
元々営業で企画系をやりたいって配属面談で話していたが返ってきた答えは、「そんなものはない」、だった。(当時よくしてくれた営業部長だった人は元気だろうか…。)
配属されたのはIT部で私自身大学の専攻ではなく知見もない。ホームページですら作れやしない。
取り扱っているものは社内システムだが主に企画をする部門ではあったのである意味希望は通っていたのかもしれない。そこで4年、みっちりと仕事に向き合った。確かに色々企画して形に残せたので楽しく仕事ができたのは確かだ。簡単ではあるがプログラムも作れるようにはなっていたし。
ただ、どうしても自分の会社で作った物を売りたいという願望もあり、異動の願いを出した。たまたま会社側も営業力強化を掲げていた時期で運が良かった。
ストレートインした人からしたら4年遅れることになったが、商品の知識は入社前からそれなりにあったのでついていけたし、追い越してもいけた。
そこから6年の間、みっちり営業マンとして働いてこれた。
でもそこでも不満はあった。本当にやりたいことは出来ないからだ。その点はIT部の方が自由度はあったかもしれない。
基本的にはお上の言うことは絶対と言わんばかりではあったし、給料もなかなか上がらない。
でも自分がやってきたことには自信はあった。人より何倍も数をこなした。
そこから転職活動を開始した。約半年程活動して、完成車メーカーからの内定を幾つかいただくことができた。
時期も良かったのだろう。割と売り手市場の時期ではあった。
10年以上の月日は経ったが、私は学生の頃になし得なかった完成車メーカーへの就職を実現することができた。
転職してからは順調そのものだ。昇格し、私の業務内容ではあまり数がない海外駐在も実現できた。
最近は海外駐在も割と社員側が断りやすいようになってきた。パートナーと共働きだったり、私くらいの世代の人は子供も小さいのでなかなか踏み切ることは難しい。その辺、私はパートナーに恵まれているのかもしれない。
ただ転職組としては私は年齢が高い方ではあった。なので少し負い目があったり、焦りもあった。
販売の企画メンバーではあったが、会社の商品開発に関わる資料は可能な限り読み漁った。人より何倍も早く吸収しなければいけないと。
そんな時に、アメトークでイチロー選手と元日本ハムの稲葉さんとの対談映像が流れた。
敬称略
稲葉「最短で行ける可能性もあるじゃん?」
イチロー「無理だと思います。全くミスなしでそこにたどり付いたとしても・・・深みは出ない」
「結局、遠回りするってことが一番の近道」
…と、私なんぞイチローの足元にも及びませんが、ふと振り返ってみると自分も遠回りしたけど行きたかった所に行けたじゃないか
なんならまだ30年以上働くことになるんだから、まだまだこれからじゃないか
今は若い奴らにはない、深みが出せればいいじゃないかって
そう思えるようになったら、気持ちは楽になった。
今の営業の仕事でITの知識って必要ないし、プログラムできるまでに費やした努力って無駄だったかもしれないけど、筋道の立て方だったりは今も役立ってるかもしれない。
体験談ってあまり興味がなかったけど、妙にしっくり来た。勝手な解釈なのかもしれないけど。
もし、最後まで読んでくださった方で同じように救われた言葉がありましたら是非教えて下さい(゚∀゚)