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どんな世界も抱きしめて

大切で大好きな人に会いに行った8/26~9/2の京都/大阪/岡山旅。

異郷でみた大好きな人の表情、瞳、声。
対話した心の形、交換したキラキラやワクワク。その全てが、自分という命をまたキラキラにしてくれたんだ。

涙に溢した目一杯の感謝と、赦すことができた自分のこと。その備忘録。

欠けてしまったコップ

8/26。1ヶ月ぶりに会えるその人のことで頭がいっぱいだった行きの電車。18きっぷを使い、茨城から京都まで旅をした。

米原ダッシュでお馴染み、米原の景色

いざ会ってみると、本当嬉しくて幸せで、どうにかなりそうだった。いや実際、どうにかなっていたか。 

この数ヶ月を振り返ると、幸せにしてもらうことが多かったように思う。
りらの幸せコップの中には「自分じゃない何か」でないと埋まらない隙間があった。

きっと、自分にとっての幸せを決めすぎてたんだろうな。この幸せしか入れちゃいけない、と思ってしまったんだろうな。そのコップは自分だけのものなのに。そこには誰かや何かもいてしまった。

コップを優しく満たしてくれるはずの、
心の底から湧き上がるようなあたたかい幸せや、日々にある抱きしめたくなるような幸せがどこにもいなくて、自分の幸せを誰かの幸せに託すしかなかった。

そんな自分だったから、大好きな人にとっての幸せが自分の幸せだった。その日も、ずっと。

錦市場で一緒に食べただし巻きたまご天

湧き上がった幸せ

8/29。ホテルで1人、これからの人生や自分について考え込んだ。

自分の人生、この4月から目まぐるしすぎるほどに変わり果てて、そのスピードに自分の心は全くの置き去りにされていた。この旅でなら追いつけるかも、と思ったが簡単にはいかず。

煮え切ったので、京都の観光名所目指して歩くことにした。異郷の空は、いつも見るものとは違った表情に見える。それに刺激されながら、街を歩く。

するとふと、鴨川が目に止まった。

その土手は石垣になっていて、川に足を浸しながら座っている人がいた。

水の音にめっぽう弱いりらは、吸い込まれるように石垣の土手に向かった。

しばらくは、川の流れをぼーっと眺めるだけだったが。座り込んで川に足を浸し出した人を見て、心がとてつもなく踊ったんだ。

その人が去ったあと、すぐ靴を脱いで川に足を浸す。たくさん歩いてくたくたになった足が、柔らかに溶けていくような体験。しかも冷たくて気持ちいいし、川の流れは見てて楽しいし、川の音は綺麗だし、最っ高に楽しいっ!

考え込んでいた1時間前が嘘のように、思いっきりはしゃいだ。そんな瞬間に、自分はふと気づく。

『あ、これでいいんだ。』

自分はどうあれば楽しい人生が歩めるか。ということについて深く考え込んでいた。それは、楽しい人生の答えを未来に求める行為でもあった。

また、無意識に自分にとっての幸せを決めすぎていたんだ。

でも、今自分は川で遊んで最高に楽しくて幸せな人生を送ってる。今この瞬間に、楽しい人生を創り出してる。だったらこれでいいじゃないか。

そう思えたら、一気に心が軽やかになった。
川のせせらぎ、風の匂い、木のゆらめき、太陽に照らされる川の煌めき。その全てが自分を祝福しているようだった。

人生に乾杯!

幸せの交差点

8/31。京都から茨城まで帰るつもりだったが、岐阜で大雨が降り、東海道線の米原〜大垣が5時間弱も運転見合わせに。18きっぷ旅では命とも言える東海道線が途絶え、米原で足止めされてしまった。

今日は誰かの家に泊めてもらおう。そう思ってSNSを動かして、真っ先に連絡が来たのは大好きな人だった。

一緒に過ごした倉敷の地域は快晴。

その人と夕飯を一緒に食べながら、こんな話をした。

「楽しむって、そう決めた。『自分が楽しんでいる』ということ自体が価値になっていく世界を今この瞬間に創り出す。」

それは、欠けてしまったコップを自分で満たすこと、コップから溢れた愛であなたを幸せにしたい、ということの意志表示でもあった。

幸せにしてもらうんじゃなくて、自分自身が溢れるくらい幸せになる。溢れた愛を交じり合わせていく。大好きな人にとっての、幸せの交差点になりたい。


楽しい!を今この瞬間に創り出すこと。
自分の楽しいが、誰かの価値になっていく世界を目指すこと。

幸せをこの瞬間に創り出すことができたこの物語は、3つ目の誕生の記録だ。

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