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サイトウマコト「50 years」(1997.12、2000.10)

サイトウDANCE1「50YEARS」 

1997年12月19日 於・ピッコロシアター大ホール。サイトウマコト(斉藤誠)の主宰する斉藤DANCE工房の単独ホール公演。1994年アルティ・ブヨウ・フェスティバル初演の「50 years」、1995年初演の「外連の族」、1990年初演「バンセレモス」(ジャズダンス・エディション)の3作品を上演。

 「50 years」は、1時間におよぶ大作。DANCE BOXをはじめ、多くの場で15~20分以内の作品を見慣れているせいもあるのだろうが、ずいぶんと長く感じた。幾分かは、もう少し整理して短くすればいいのにと思わないでもなかったが、見終わって、多少の疲労と共に、確かにこのように長くしなければならなかったのだと納得した。スナップショットではなく、一つの世界を提示し完結させることの必要性を、サイトウ自身が痛感していたのではないだろうか。ダンスという瞬間性の高い表現にとって、それはなかなか理解されないことなのかも知れない。というのも、ぼくたち観る側が、ダンスという瞬間瞬間に消えていく身体を、一つの連なりとして咀嚼することに慣れていないからだろう。

 それをあえて大作としてまとめあげることを、彼が何らかの理由で必要だとし、このように提示されたことについて、ぼくはまず敬意をもって拍手したのだった。

 この大作を中心に、印象に残っていることがいくつかある。まず、集団の処理の美しさとでも言おうか。「バンセレモス」でも感じたのだが、十数名のダンサーを空間の中に的確に配置するだけでなく、それが集合体として一瞬に空気を変えるような力。冒頭、加藤和彦の曲だったと思うが、イントロからヴォーカルに入った途端に、何が起きたのかと驚かされるほどに、舞台の空気が変わった、その衝撃は凄まじいものだった。

 群舞は女性ダンサーたちによってなされるのだが、それをリードするのが木村陽子と萩尾しおりだ。ぼく自身の印象としては萩尾の方が強く残っている。ただ、ふだん小さな会場で観ているときに比べると、動きや身体に大きさが感じられなかったように思うのが意外。サイトウについては、そのような会場の大きさ=身体の小ささを感じなかったのだが。

 この作品で重要だったのが、強い退廃の気配だ。それをみごとに醸し出したのが、デカルコマリーと笹野美紀子(だと思うのだが)の二人のグランギニョールと、中西朔という異人だ。ルンバやタンゴ、斜めになったテーブル(この上でダンサーたちが様々に、ちょっと予想もつかないような一種<非人間的>な動きを繰り広げるのには目をみはった)、サイトウとデュエットを踊る人形(のちに頭の部分を破裂させられることになるのだが)、舞台奥に人形のように動かない赤いドレスの少女(?)……それらすべての要素が、ひとつの空気を作っていた。

 それは確かに一つの世界観だったと思う。そして、一つの世界観を作るためには、個々の一つ一つの動きがシャープで洗練された統一でなければならない。それに関して言えば、多少のバラつきがなかったとは言えないが、概ね一定水準をクリアしていたと言える。

 もちろん退廃は、洗練の極みにしか成立しない。たとえば速すぎる程の激しいルンバは、その技巧の高度さよりも自暴自棄な退廃を漂わせはしないか。そして、身体を無生物のように扱い、一種のサディズムを思わせるような動きも同様だ。たとえば相手の脚を持ってしまうことで、その動きがどのように不自由になり、不随意になってしまったことからどんな予想もつかない奇妙で面白い動きが生まれるか! ここでは退廃が単に背景や気分にとどまらず、ダンスを支えるバックボーンとして成立しえていたように思う。

 さらに、深い意味で、動きが何かの喩としてあることの深さについても思いは至る。たとえば、サイトウがみごとに見せる手首をくるくると非常な速度で回す痙攣的な動きが、ここでは「手をつなぐことができない」というディスコミュニケーションの表象として結実している。他の作品の中でこの動きを見てもそのように見えないし、またこのような文脈の中で使われていたという記憶もない。一つの動きが、一つの世界を構築しようとするときに、一つの重要なパートとして新たな意味を持ち得た/持たせ得たということについて、こういうことの蓄積がユニットの財産になっていくのだろうなと痛感した。

さらに、サイトウの構成力でたいへん興味深く思ったのが、舞台上を一つのトーンに染め上げないということだ。シリアスとコミカルと言えば単純にすぎるが、異なる雰囲気を混在させながら、複雑な世界を作っていく。身体の動きそのものも複層化して、ダンサーの表情も層を作っているように思う。(「Jamci」1998年4月号掲載)

「50 years」 2000年10月29日 阿倍野ロクソドンタ

 '97年12月に斉藤ダンス工房によって尼崎のピッコロシアターで初演された作品を、大幅に構成を変えて再演。初演時は数百人入る大きなホールで1回だけの公演だったが、今回は100人足らずの小空間で5回公演。ぼくが観たのはその最終回。前回公演を観て、「JAMCi」に「豊かな美意識の充満した大作」と書いていた。1時間半近くの長い時間に提出される様々な要素が、すべて濃密に一つの豊饒な頽廃を創り出そうとしていた。その印象は今回も変わらない。

 前回で印象に残っていた小道具の一つに、斜めに歪んだテーブルがあった。今回は会場に入ると、人が横になれるほどのものから下駄ぐらいのものまで、舞台の対角線をカーブするように並べられていた。9人のダンサーが上手を向いて座っていたのが、いきなりテーブルを持って左右にはけていく。見えていた世界、世界の秩序がまず取り払われる。そのようにして、この作品は始まったのだった。

 萩尾しおりの口から延々と紐が出てくる。これも前回公演で印象に残ったシーンの一つだ。このようなデジャヴュの感覚も、世界の構築のために重要だ。翻って、初めて観る人にとっても、この虚を突くようなケレンは、一種の危ういノスタルジーとして強い印象を与えたのではないか。さらに重要なのは、前回はケレンに見えたこのシーンが、今回は劇場の空間が小さかった分、パフォーマンスの構成を定める基線を引くという役割を与えられたことだ。デカルコ・マリーや中西朔が人形のように蠢き、傍らでは森崎三英子がサーカスの娘のようにブリッジをしている。こんな混沌の情景を、構成された空間としてシャープに見せるための補助線として、強く作用したといえる。

 一つの大きな歪んだテーブル。そのせいで空間が歪んで見える。加藤和彦(前回同様、これが実に効果的)の曲で木村陽子、森崎、正木、萩尾が回転を多用した動きを展開するのを、後ろでマリーが正座して見ている。回転することで世界の時間を進めるようなダンスである。セーラー姿の少年の正木から、なぜか死のにおいが立ち昇ってくる。あまりに清浄で無垢で、また時に楽しげに微笑むのがかえって悲しい。人形振りのような動きを見せることもあったように、死というよりは、生命がないもの、たとえばベルナール・フォコンの写真に現れるか四谷シモンの創った人形のような危うさ。たった今まで、または次の瞬間から、は生命があるという感じ。表面がツルリとしていて、よく動く、機械のような身体。

 ここに展開するすべての身体が、機械のように見えてくる。一般に濃密であることと低温であることは矛盾しているように思うが、ここではそれらが両立している。速度のある激しい動きを動く時も、彼らはクールで決して陶酔していないからだ。きっとそのせいで、ぼくは寺山修司の天井桟敷を思い出していた。様々な場所で様々な奇態が演じられている。前面のステージで展開される激しい動き、森崎を歪んだテーブルに乗せてそれを囲んで男たちが繰り広げる生贄のような儀式、そしてその奥でじっと座っている女とその椅子の背に手をかけて立っている男、などなど。しかしそれらの奇態が現実から遊離している度合いが同じく、均質であるために、全体のトーンが統一されているから、あまり違和を感じない。「そのような世界なのだ」と思えるのだ。

 テーブルが傾いているせいで空間が歪んでいるように思えると述べたが、ダンサーたちの動きもひじょうに危なっかしい。大胆なリフトをはじめ、テーブルの上から倒れ込むのを受け止めるとか、アクロバティックな激しいコンタクトが続く。身体のぶつかり合う激しさ、危うさを間近に痛みのようにして感じとる。身体と身体とがぶつかり合うことのむごさ、残酷さ、倒錯的な美しさに確実に陶酔し興奮させられ、そのことで観る者の中に否応なく醸成されるのは、感情というほどの連なりではなく、もっと断片的な「あっ」とか「うっ」という悲鳴か絶句のようなものだ。そんな断片が降り積もるようにして、観る者に美意識や世界観といったものが定かに伝わっていく。このような伝達が、ダンスのみならず、ライブなパフォーマンスを観ることの最も理想的なありようではないだろうか。

 たとえば中西朔の痙攣とスピーディな回転による、自傷的なまでのシャドウボクシングのような昏倒は、観る者にも痛みを分け与えるほどにせつない。自分で自分に繰り出したパンチで昏倒するというのは、滑稽を超えてほとんど哲学的である。なぜこのようなことができるかというと、彼は踊る時に何かを失っているからだ。それは理性とかバランス感覚といわれるようなものではなく、彼が「踊るしかない」とばかりに極限まで自分を追い込んだ涯てでダンスを踊っているからではないか。

 そのようなのっぴきならなさが、実はこの作品を支配していたのだと思う。これ以外にはありようのない形、動きだから、息苦しいほどの緊密さを保持している。中ではちょっと息抜きか遊びのように思えるはずの正木とマリーのややユーモラスなシーンも、精妙に距離が測られ「美女と野獣」ならぬ美少年と野獣の交感のようで、強烈に倒錯した美意識を噴出させていたのだ。ただ、どうだろうか、ぼくが馴れてしまったせいかもしれないが、もっとストレートにマリーの異形性を前面に押し出してもよかったような気がしないでもない。ダンサーとしてのマリーと、際物としての(?)マリーを截然と分けて提出することで、マリーにとってもこの作品にとっても、さらに深いコントラストが生まれ、断念の深淵が見えてきたように思う。

 最後に、この作品で2度現れた羽根について考えてみよう。宝塚歌劇のフィナーレやリオのカーニバルでダンサーが背負っている、アレである。これはまさしく祝祭性を意味してはいるが、どちらかというと、正木についても述べたことと同様に、これは祭りの前か後、おそらくは祭りの後のようにしか見えない姿である。ラストでは、羽根を背負ったダンサーの間で木村陽子と松本哲弥が、やはり加藤和彦をバックにして暴力的なまでに激しいタンゴを踊り狂う。羽根のあくどい色彩とともに、強く頽廃の気分が漂う。はたしてその羽根は最後には置き去りにされるのだが、山積みの羽根の下からサイトウマコトが現れる。すべては一人の男に夢魔が導いた情景であったような気もして、はかない。それが標題の50年という時間だったのかと思うのはいささか短絡的に過ぎるかもしれないが、ついでに言うならば、人生50年のはかなさのようなものだ。

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