HOST UNKNOWN 「metal brain」(2002.1.)

宮北裕美が主宰するユニットで、ダンスだけではなく音、映像、光の総合体を指向していると思われる。劇場のステージというのは、どうしても闇からスタートしなければならない。闇に光を与えるのが照明であり、無音に音を、静に動を与えるのがステージワークであるということになる。やや唐突にそんなことを思ったのは、宮北が提示する世界が、いつも強いオブセッションを基底に置いて構築された美意識の世界であるように思えるからだ。宮北の小さく細い身体は、実にそのような世界をあらわすのにふさわしい。

まず風のような音に、宮北の左腕が力を込めてゆっくりと上げられる。佶屈していく。痛々しい、そう思わせる、宮北の身体である。ロボットのようでありながら、それなりにスムーズに動いていたかと思うと、硬直し、アンコントロラブルになり、足がもつれる。たわむことのない身体だが、ロボットのような動きを取らないと、スムーズに動けない、という身体性があるとすれば、それはとても神経症的だということではないか。ここで宮北は、まるで不良美少年のような相貌で笑いながら、そういう危うい身体性を発現している。

柔らかな硬直、という言葉が浮かぶ。リリースしないスパイラルな動き。それも一つの矛盾するようなあり方だ。螺旋状に回転するのに、遠心力を受けない、生じない。それは何か、自らの内にひじょうに頑なな芯のような種子を抱え持ってしまっているからとしかいいようがない。外界からどのような力が加えられても、決して影響されることがない強さを感じさせる。しかしこの強さというのは、外に向かっていく力ではなくて、ただ自身を守るためだけにあるような力であるようにも思われる。

この、あくまでリリースしない身体について、共演の黒子さなえと対照を形づくるのではないかと思われたが、黒子も意外に、ふだんよりはリリースを強調しない。時に四肢の各々を振り子のようにリズミカルに揺らしたり、左手を左膝の裏に当てて奇妙な激しい動きをとったりするが、動きを開放しているというよりも、むしろ重力による動きであると感じさせるのが、ふだんとは大きく違っていた。

あるシーンでは、黒子が砂漠の女のようなベールをかぶって出てきて、聖女に通じるような雰囲気を醸し出す。肘から先を動かし、後ろに反り、大きくストロークするかと思わせて、そうしないのが、今回の黒子のいつもと違うところである。曲も「アベ・マリア」になって動きが大きくなるが、胸に何かショックを受けたように足を抱え込み、徐々に回転を速める。すると、これも頭から布をかぶった宮北が少年の足どりで出てきて、黒子は水草のように腰から崩れそうになる。宮北がかぶっていた布を取ると、頭だけ戦闘帽のように覆っていて、苦しそうに耳を押さえ、手に持った布をバサッと捨てて、今度は微笑む。カミ手から黒子が布にくるまって物体のようにゴロゴロと転がってくる。宮北は目を閉じて佇立している。ここに至って、すべてのことが宮北の夢想であったような、あるいは宮北によってぼくたち観る者が見せられた夢であったような気になる。

予言者か行者のようないでたちで山下残が、といっても黒づくめで誰とはわからないのだが、半歩ずつゆっくり動く、というシーンもあった。どこかRPGにでもある神話か伝説のような雰囲気も帯びている。全体からの連なりはよくわからないが。じっさい、断片的でありながら、全体の色調は統一されていた。それもまた、夢のかけらであるような気配を増幅させるものだった。

黒子が足を滑らせたかのように落ちかけると、宮北も帽子を脱いで落ちかけ、黒子の背中に向かって半歩ずつ大きなストロークをしながら近づき、二人は向き合う。宮北が少し微笑んでいて、何だか幸福な感じがする。二人はシンメトリカルに近い動きから、互いの足を持つ形で屈み、重なる。ここで「出会った」という感覚が起きる。黒子のかざした手に連れて宮北が動くところでは、その触れ合わないままのシンクロニシティが強く印象的である。

このように一つ一つのシークエンスを追いながら、それでもなかなか全体に一貫して流れるテーマのようなものを見つけることは難しく思える。それぞれの場面には思わせぶりなタイトルがつけられており、改めてそれを見れば、なんとなくそれらしいテーマが見つかるような気がしないでもないが、それよりもやはり印象に残るのは、長い夢を見ていたような感覚で、それというのも、光も動きも音も、夢の中独特の遠近を定め難い、見ている自分がその中にいるのか外にいるのかわからないような不思議な感覚を成立させることができていたからではないだろうか。あえてこじつければ、神経索のなかを流れる物質が感覚とか感情とかいうものの淵源であるとして、その物質だけを取り出しても感覚とか感情とかは得られない、しかしそこに微かに予感され、残り香のように漂うものがあるとすれば、それをいとおしみたい、そのようなことを思わせる、brainというタイトルであった。
                                                                           (2002年1月21日 トリイホール)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?