『ダンスの時間』サマーフェスティバル2008(12)男性ダンサー 冬樹「Rain Dance」
8月15日という平日に公演を持ったのは、あるダンサーからの提案による。12月8日、第2次世界大戦開戦の日生まれの彼は、その日に公演をしたことはあるが、敗戦の日にも踊ってみたい、何か特別の思いが沸き起こるのではないだろうか、というのだ。平日の集客に自信がなく、はじめは聞き流していたのだが、金曜日の夜はまずまずの集客が見込めるという声もあり、夏休みでもあり、どうせお盆の週で多くは見込めないということもあり(笑)、思い切ってこの日に公演を設定してみた。せっかくやるのだったら、ただ偶然集まったただけでも面白くないので、男性ダンサーの日にしてみたのだが、これがとんでもなく見ごたえのある組合せとなった。
ヤザキタケシ、冬樹、ザビエル守之助、由良部正美、の4人である。皆、新作ではない。ヤザキはスタジオの発表会や神戸学院大学で発表したものの小劇場版、冬樹は2月のアルティブヨウフェスティバルで上演した作品の改訂、ザビエルは前の週にここで発表したもの、由良部もまた再演である。
「ダンスの時間」初出場の冬樹は、アルティでの初演がやや不本意に終わったこともあり、今回の出演を久しぶりに本格的なソロ作品の発表と位置づけたようだった。私信だったか、10年ぶりと聞いていたが、ソロとなると、そういうことか。コメントで紹介した「ディラックの海」がやはり10年前の舞台なのだ。「Rain Dance」と題した作品は、壁を伝うようにシモ手奥へ下がり、奥の壁をゆっくりとカミ手に向かい、カミ手奥からシモ手前へ何かをあたため守っているような前屈みの姿勢で斜めに進んでくる。何度か周回する内に起き上がり、上方に手を伸ばし、やがて中央奥に座り込み、溶暗、という構成としては単純なものだ。そこで踊る存在にとっての問題は、いかにして彼がそこに存在し得、なぜ彼が次の一歩を進めることができるかということだ。
多くの者はそれを自明としている。ダンサーとして舞台に上がることの自明さ、舞台に上がった以上、歩を進めることの自明さ。それに対して無批判であることは幸福なことだし、改めて問い直す必要もないことなのかもしれない。冬樹ほどのブランクがあったりしなければ、それは当然で自明のことだ。もちろん、人はわざわざブランクを作らなくてもいい。久々に見た冬樹は、以前と同じ背中の丸み、低く屈めた腰、刷くような足捌きで舞台を暗く低く静かなものにした。その暗さや静かさは、何かを抱えたような前屈みの姿勢から放たれる限られた視線によって捉えられた世界の様子であっただろう。
もちろん冬樹は長いキャリアを持っている。動きそのものは、その間あまり変わっていないのかもしれない。しかし、長い間人前で踊っていなかった時間の蓄積が、身体の重心をいっそう沈潜させ、伸び反る際の力を大きくさせたようだ。生命の力の振幅の大きさがダイレクトに感じられるような作品だった。
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