『ダンスの時間』サマーフェスティバル2008(15)中島GEN元治「Shoes」
17日(日)の作品だが、福岡から初参加の中島GEN元治「Shoes」も、同様に男性のソロ作品。余計なことかもしれないが、中島もまた20年以上踊り続けている40代の「ベテラン」である。LOCK JAZZをオリジナルとするということだが、回転などの早い動きを急に止め(Lockする)、その落差と止めのポーズのかっこよさを身上とするJazzダンスのスタイルだそうだ。ジャニーズ系のアイドルのコンサートやミュージカルの振付もしているから、そういうかっこよさを思い出せば、おおよそのイメージはわく。
まず、そういうジャンルの男性ダンサーが、踊り続けていて15分近い中編作品を発表するというのがすごい。体力面でもそうだし、このような小さな会場で何のごまかしようもなく身体をさらそうとする精神にも敬服する。昨秋、サイトウマコトが福岡で「それからのアリス」を再演したときに群舞作品を上演し、アリスの中でもネズミを踊ったのが、そもそもの接点であった。華やかな世界も経験してきた人なのに、ダンスに対してあくまでひたむきな姿勢に魅かれ、出演を快諾してもらった。
前日に中島のリハーサルを観て、失礼ながらやや硬さを感じたぼくは、どこか一ヶ所、やわらかくリリースを重視するポイントを作ってみたらどうですか、というようなことを提案した。赤いテープ、赤い布、椅子、靴という小道具を使ったこの作品は、物語的に解説すれば、束縛と抗い、居場所を探し、しかし安住することを拒んで、靴を履いて歩き出そうとする、男の半生の物語だといっていいだろう。その過程のどこかで、喜びに満ちた幸福感が出てくればいいと思った。それがLockするという彼のダンススタイルとどうなのかとも迷ったが、両者を対比的に観ることができたら、作品の幅が広がるのではないかと。
結果的には、そんなぼくの意見とは無縁に、中島は舞台の上でLockし、解放し、幸福感に満ちた。特に夜公演では、踊りながら笑っていた。「中島さん、笑ってたね」と声をかけると、踊っていて楽しくてしょうがなくて、このまま終わらなければいいなと思っていた、と言っていた。
前にひたむきさと言ったが、それに少年のようなという形容をつけたくなる。それはそのまま15日に出演した4人の男性ダンサーにも共通して見ることのできる魅力である。演劇では、自分が楽しいのではなく、仲間が楽しいのでもなく、観客が楽しいのでなければいけないと聞いたことがあるし、ダンスでもある意味ではそうだろうが、別の意味では、自分が楽しくないのに観客を楽しませることなどできるわけがない。もちろん、楽しいだけがダンスではないが、物語という外在的な流れを生きる演劇と、自己の身体を媒介とするダンスとの一つの違いだと言えるかもしれない。中島がこんな小さな劇場で観客を間近にして十数分のソロを踊るのは、ほとんど初めてのことだったと思う。失礼ながら、10年前の中島なら、もっとスピーディにシャープに動けたかもしれない。しかし、踊っていて、そのことの喜びをこんなにストレートに出すことができたのは、今の中島だからだ。
40代から50代に入った彼らのダンスに接して、まずは「今の彼」のダンスを観ることができたことの喜びに満たされることができた。そして彼らのダンスをいつまでも観ていたいとも。「ダンスの時間」を始めた一つの目的に、マチュアな(円熟した)ダンサーに発表の場を提供したい、ということがあった。ある年代から「先生」になってしまうと、自分できっちりと作品を踊ることがなくなりがちになるのではないか。後進の育成も大切だが、自分が最前線で踊っていて、乗り越えられるべき存在として立ちはだかってれなければ、後進だってついてこないはずだし。もちろん放っておいても彼らは踊り続けるだろうが、そういうマチュアなダンスを提供する場が持てたことは、本当にうれしい。
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