しじみチの見る夢
どうも、しじみチャンスです。
最近はあったかくなったと思ったら雨が降って寒くなったり、この季節の名を何と呼べばいいか分からぬ日々。体調を崩さぬよう気を付けたいですね。
さて、昨日はあきやさんの三回目となる講演会に伺い、とっても有意義な時間を過ごすことができました。
テーマがアウトプット・インプットでしたので、私のTwitterのTLでは、自問自答の民のいろんなアウトプットがナイアガラ状態となっており、マイナスイオンを感じております。
そんな中、しじみチャンスは、なんか、ちょっと幻聴かもしれないのですが、講演中、「妄想でいい。むしろ妄想していこうよ。妄想最高じゃん。」のような言葉を聞いた気がして(?)、少し前から考えていたことをちょっと書いてみようと思っています。
話を始める前に
しじみチャンスって、育った環境的にも本人の性格的にもあんまり友達ができないタイプでして、延々妄想をして暮らしていました。
妄想の趣味がある人間にも、いろんなタイプが居りますね。
私の場合は、「あ~あ、こうだったらいいのにな。」というようなことを、詳細に詳細に詰めて、どうすれば自分の思った結果になるのか、リアルに妄想して追求していくタイプです。
それを踏まえつつ、今回考えていきたいのは、1か月に3億円もらえたら?の話を……もうこのテーマで話すの何回目だよって感じなんですが、本当にこれの結論が出なくて先に進めない状態なので、お付き合いいただければと存じます。
「1か月に3億円もらえたら?の話」とは
さて、自問自答ファッション講座を受けられた方にはご存じのこの質問ですが、初見です!という方が全くいないとも限らないので、簡単に説明したいと思います。
もしもあなたの口座に毎月3億のお金が振り込まれて、それを使えば使うほど人々が幸せになるとしたら、どうしますか?
別に金額は1億円でも100億でもいいと思います。
あと、答えがどういう切り口でも、その人がその世界線でどう生きているかまで踏み込んで考えることが大事なのかなと思っています。
私はひねくれ者なので、勝手に振り込まれたお金を使えば使うほど幸せに……?何か裏があるに決まっている……!!という思考の人間なのですが、今回はそれをアウトプットしながら一個一個潰して、クリアしながら進みたいと思います。
あと、この年齢から急に3億円振り込まれ人生がスタートすると、絶対おかしい!!!辻褄が合わない!!!となるので、生まれる前からそうだった事にしましょう。
ここから、物語が始まるよ
私はしじみチャンス!
中肉中背、どこにでもいる会社員!
……だと思ってたんだけど……!
1か月前に、母に、今まで黙ってたけど、生まれてからあんたの口座に毎月3億円振り込まれてる!
分別つくまで黙ってたんだけど、そろそろ色々経験しただろうし、あとは自分で考えて使ってください。ってLINEで言われて、びっくり!!
そういうのLINEで言うんだ!?って事にもびっくり!
「証拠」って返したら、「今からマレーシアに旅行に行くので(笑)帰ってきたら通帳など送ります(笑)」ってメッセージが来て、何が(笑)じゃ!!ってイラっと来ちゃったけど、その後いろいろと証拠が送られてきて、振り込んできてる団体にも確認したら、やっぱり間違いないみたい。
本当に私がお金を使えば使うほど世界が幸せになるみたいで、そのお金で少し夕飯の買い物しただけでも、友達が推しのコンサートのチケット当たってた。しかもアリーナ席だった。
そういう仕組みと説明された時、どういう?って思ってたけど、実際にそういう場面が続くうちに、確かにそういうものなんだと受け入れるしかなくなってきた。
使えば使うほど……
まず私が考えたのは、諸外国の戦争はどうなっているのか。ということだった。そして、貧困は?医療は?教育は?使えば使うほど幸せになるんだったら、人のために使えて人々が幸せになる。倍々チャンスではないだろうか。
ひとまずそれっぽいサイトを開いてみた。
私の知らない間に全世界の戦争が終わり、どの国でも教育や医療が整い、すべての国で国民皆保険制度が導入されていた。
何か問題があるんじゃないかと調べたけど、どの国の政治家も、それぞれの主張はありつつも、全員国民の代表であることを忘れず、国民の利益のために闘っている人しかいなかった。
私がぼーっとアニメを見ている間に、この世界は変わっていた。
次に、投資や研究資金の提供を考えたけど、どこも十分潤っていて必要はないと固辞された。株は、いつの間にかこの世にはなくなっていた。
どういうこと?ファイナンシャルプランナーの友達に聞いてみたら、いつの話をしているのかと爆笑されたので、本当に無知…ムチムチの無知……って恥ずかしくなった。
人に聞いても、いろんなもの読んでも、ネットで見ても、全部同じことが書いてあったので、どれも根拠のある事実だった。
なんなら、北へ南へ現地の様子を見に行ったり、ニューヨーク株式市場的なところにまで行ってみたけど、全部資料館とかになってて、もうなんかすべてを忘れるためにとりあえずブロードウェイでミュージカルを見るなどした。
Twitterとか見てると、自分の贅沢のためにお金が欲しいっていう人はこの世にたくさんいたけど、そういうんじゃなくない?って思ったので、それは完全にスルーした。
使い道を考えるうちに、気づいたら3か月経っていた。
これはいけない。
誰かのためにお金を使うことを考えるために、自分の人生を着々と消費しちゃってるではないか。
いよいよ自分のためにお金を使うことを考えなくてはならない時が来たようだ。
まず、夫はネット環境があればまあ仕事できる人なので、世界に家を持とうと思い至った。
大きくない家でいい。住んでいない間も、整備してくれる人をお願いしたら、雇用の機会が広がるし!と思ったら、働きたい人が全員働いている世の中だったので、しゃーなしやってくれる人を見つけるしかなくて笑った。
私は小さいころから引っ越しすることが多かったので、ひとところに居るよりは、こういう暮らし方のほうが合っている気がした。
元々地元も離れてるし、上京してる友達ともたまにしか会わない(それが私たちのちょうどいい間隔ではある)ので、特に問題もなかった。
むしろ日本にいる間に地元に帰る機会が増えたくらいある。
いろんな場所に家を買って、さて、何をして生きていこうか。
ひとまず、私の仕事は出社が必須だったので、引継ぎをして辞めた。
申し出た時は、私が退職してそのままの人数で強行しそうな気がしたので、上司に掛け合おうと思っていたけど、3人だった経理部に8人入ってきたので安心した。
上司も、よく見たら別人だった気がするけど、それまであんまりまともに顔を見ていなかったから、断定はできなかった。
やりたいことをやっていいんだよ。
夫も友も、口をそろえて言ってくれた。
母からは、兄が無駄遣いをするなと言っていたと聞かされたけど、私が選ぶ、私のための経験に無駄なことなどない。と言ったら、話は終わった。
多分兄には伝えないだろう。賢明な判断だ。
職を失った私は、夫が仕事をしている間、家事をしながらその姿を見ていた。
これまで、生きるために働き、まともに家事をすることができなかった分、ゆっくり家事をすることは贅沢に思えた。
最初のうちは。
ていねいな暮らし???なんだァそれは。
丁寧さよりも、効率的、合理的であることが私の好きなことだということを、この世で一番苦手な家事、”洗濯畳み”をしていたら思い出した。
すぐに食洗器、お掃除ロボ、ドラム式洗濯乾燥機を導入した。
トイレも、できるだけ掃除しなくていい的なやつをドラッグストアで仕入れ、お風呂の燻煙材も炊いた。
理科って……最高!!!!
この世のすべての研究者、ありがとう!!
あの時全員に断られたけど、やっぱりお金を無理やりにでも渡せばよかったと思った。
そうすると、今度はやることがなくなってきた。
暇な時間、とにかく散歩をした。
フィールドワークして街の空気感を感じ、流行の歌を聴いたり、カフェでぼんやり他人の話に耳を傾けたりした。
そのうち、しゃべりたい欲求が出てきた。
それもそうだ。今まで職場ではべらべらとどうでもいいことを四六時中しゃべり倒していたのだ。
ひとまずは、ブログで日記を書いて、街の様子などを伝えたりすることにした。
その次に、やっぱりテンポ感とか大事じゃん!?と思い、ラジオ配信を始めた。
しばらくは、街の様子とか、その土地の家庭料理とかのを話していたけど、やっぱり今どういう音楽が流行っているとか、この曲のこういうところがいいよねっていうのが伝えたくなって、私は初めて大金を使うことにした。
私のラジオでどのレーベルの何の曲でも何回でも使えるように、放送の権利を売ってもらった。
自問自答の民たちや、興味を持ってくれた人たちが、少しずつ聞いてくれたりして、投書のコーナーとかも始めるようになった。
みんなの楽しかったこと、ファッションの話、好きな音楽や映画の話がいっぱい集まって、ハッピーだった。
ラジオは家から配信出来て、便利で楽だった。インターネットが大好きだ。
家で健やかなご飯を食べて、お散歩をして、配信をする。
……そして私は、お金を使うことを忘れていた。
つづく
怖い
長いし怖い。
いつもこんなこと考えてるんだ……と思われるのも怖い。
そうです、何を隠そう、私はいつもこんなことを考えて生きているのです。
ね。話もさ、一体いつになったらまともにお金を使うのか。
最後まで正気を保って読めた方は、続きをお楽しみに!
現実の私は3人の経理部で明日も労働です!
それでは!また!