エドワード・ゴーリーを巡る旅に行ってきた。

いつもnoteの書き出しには迷います。しじみチャンスです。

今日は、松涛美術館の展覧会『エドワード・ゴーリーを巡る旅』に行ってきた、“私”の話をしたいと思います。

応募していた講演会に当選した。


エドワード・ゴーリー、かねてより興味はあったのですが、うすぼんやり多分好きだろうという気持ちのまま、何となく触れずに過ごしていました。
ある時、展覧会が開催される情報とともに、多くのエドワード・ゴーリー作品に携わられている翻訳者さんの講演会が開催されることを知ります。

極度の出不精で、イベント行く行く詐欺常習犯の私なのですが、講演会に当たればちゃんと行くんじゃないか?知らんけど。の気持ちで、講演会に応募してみました。結果、小見出しの通り、当選。

これがどれだけすごいことか、その時の私はまだ知らないのでした。


ほ~~これが松涛美術館ですか。天井が高い。

美術館に到着し、講演まで一時間。ひとまず見れるだけ見ておこうと、館内に潜入しました。

なんか、あんなところに渡り廊下が……こんなところに噴水が……丸い、この建物丸いですね!!と、不思議な建物の作りが気になってしょうがない。
後で気づいたのですが、たぶん建築も有名な方が手掛けているようでした。

そして、肝心の絵。
入室すると、最初は小さな絵から始まりました。
お話の絵が一枚ずつ掛けられており、すんごく大まかにいうと、でっけ~嫌われベイビー(悪タイプ)が、ピクニックに来た先で鷲に攫われて人生を終える的なお話。
タイトルは「恐るべき赤ん坊」。この展覧会、どういうスタート???

第一章「不幸な子ども」の説明文には、ゴーリーの作品の子どもたちは、不条理なほど悲惨な運命を辿ります。とありました。

不幸な子ども、ギャシュリークラムのちびっ子たち。
確かに、次々に悲惨な最期を迎える子どもたち。 
        
まあいろいろさておき、私は絵素人ですが、なんとなく、壁の柄をあんなに書き込むのは、結構狂気(いい意味でです。もちろん。)なんじゃないかと思いました。すご〜!


この日の私。

あのですね……急にこんな話で申し訳ない。私は別にスピリチュアルに傾倒しているわけではないのですが、確実にこの春から、運が悪い……っていうか、抗えない不幸が次々訪れているんです!!土星~~~~!!!!!
まあ一つ一つはありふれた悲しみっていう感じだし、詳細は控えますが、生きてきてこの方運のいい人生だったので、とにかく、理不尽。人生ってこんなに悲しいことが連続で起こるの???と感じる日々。
思うんですよ?私がこれまで”当たって”いた一方で、”はずれ”ていた人がいるわけだから、私がそうなることも、あって然るべしだと。でも!!!!!ここまでまとめてくんな!!!!山ッ、下り終わる前にッ!!!また山ッ!!!

まあそんな感じでですね。この日も、お世辞にもいいとは言えないコンディションで臨んでいたわけです。


すてきな講演会。

さて、展示を半分とちょっと進んだあたりで、講演会の時間がきました。

エドワード・ゴーリー界隈では知らない人はいないであろう、柴田元幸先生の講演!!!
そして、あえて下調べを一切しなかった私!!!!!(先生の素晴らしさと、この講演を聴ける貴重さを知っている方がこれを見たら怒られそう!!!ごめんなさい!!!)

普段はすごく調べて、できるだけ吸収して帰ろう……なんて思うのですが、体調的なことと、あとは、衝撃的な出会いをしたかったというのもあるかもしれません。

確認を取っておらず、講演内容を語っていいのかも分からないため、本当にサラッとなのですが。
講演中にお話をいくつか読んでくださったのですが、その柴田先生の読むお話の面白いこと!
なんでしょう。お話の面白い部分が、すごく伝わってくる。
俳優さんや声優さんってのも違うかもしれないんですが、日本むかしばなしの市原悦子的な……いや、伝わるか!?……そもそも市原悦子さんは俳優さんやないか……節子、それドロップやない。せやかて工藤、それしか引き出しあらへんし、親も年だし、あなたしかいないし……

とにかく、淡々とした中にも、……いや、むしろ淡々としてるからこそ、そのお話にハマっているというか。
すごい。なんなら、その時間ですっかり私は柴田先生のファンになりました。ずっとお話聞いていられる~~。もっと聞きたい~~!!

残念だったのは、図録を先に買って持っていたら、図録にサインをいただけたということ……
まだ買ってなかったし、サインしてもらうなら図録でしょ!?と思ったので、泣く泣くその場を去りました。


展覧会の続きへ。

戻ったと思ったら、そう、コンディションが……BAD!!!!!!

ちくしょう~~~~~~!!!!

最後の方はうつろな目でさら~~っと見て、帰路につく羽目になってしまいました。

ただ、こういうバッドラックな時に出会えたのがゴーリーで良かったと、帰りの電車でぼんやり考えていました。

私の、このところ感じていた無力感。
きっと今の私は、ゴーリーの描く(小さく、力のない)子どもたちのように、ただただ不幸になるしかないのだと思います。
しかし、私は、”結末”を迎えることができないまま、ずるずると生き、また力を蓄えた人間に戻っていくしかないんです。大人なので。


クールな生死感を持ってたんだ……(きっとプロがそう言ってんだからそうなんだろう)

クールって言葉に当てはまるのかもしれないし、分からないんだけど、次々に最期を迎える子どもたちにが、私にはすっごく乾いたものに見えた。
何か思うわけでもなく、ただただ必然的に、そうなる。というような。

まあ、今の私だからそう思ったのかもしれないけれど。
(私の芸術の楽しみ方は、受け手がその時感じたものが正解。という流派なので、正解を知っている方がいても、どうかそっとしておいてください。)

いつかは、子どもがこんな目に遭うなんて見てられない!みたいに思う日も来るかもしれないし、ますます共感を深める可能性もあるよね。まあでも何より、動物が可愛いのはきっと普遍だよね。


帰って気づいたこと。

さて、家について、今日はこんなことがあり、講演はこんなことを聞きました。なんて話していたところ……

「ねえそれは、日本語訳されてない本を読んでくれたの?
 めちゃくちゃ貴重だね!」

!!??

そういうこと!!!??????


(検索)


そういうことでした!!!!!!

なんてこった!!!!めくちゃすごいことだった~~~~!!!!!!


本当に、体調悪いと察しも悪くてだめです!
わあ~なんでこんなにお話読んでくれるんだろう~って思って聞いてた……
でも、本当に貴重な経験をさせてもらえて、たくさんメモ取って、たくさんいいインプットのできた日でした。

展示の中に、アンダーカバーのセットアップがでーんと飾ってあったのもすごく印象的で、なんともシュールでよかった。
ファッションと絵画の六道の辻に立った気がしましたね。


そんなわけで、帰ってからのほうがよっぽど衝撃でしたが、後悔ないくらいしっかり聞いてたのが救いでしたね。
皆様もどうぞお体ご自愛くださいね。

では!