必要だと思っていた話

初めましての方も、そうでない方もこんにちは。

自問自答の民、しじみチャンスです。


Twitterでは饒舌なくせに、皆様に私だけを見て頂くこの場では、何を書いたらいいか(何を読んでもらったら有意義だったと思ってもらえるか)などと傲慢な事を考えてしまい、またしばらく黙り込んでしまっていました。

どんな感想を持つかは読み手の皆様が決める事……まずは書かなければと思い、今画面に向かっています。


今回は、ふとツイートした事に、お話を聞きたいですと反応していただけた事があり、そのお話をしに来ました。


恒例ですが、この話をするにはまず少しだけ私のルーツに触れる必要がありまして。


私は、父から少し変わった名前を、母からは少し変わった教育を与えられました。


名前を言えば少しだけ注目される事が当たり前で、小さい頃は(今もですが)内弁慶だった為に、それがとても苦手でした。


しかし時が流れると、長年の教育が実を結び、最初から少しだけ目立つ事で、少しだけ周りと違う事を許される事に気付きます。


「あの子は違っていてもしょうがない!」と、所属するコミュニティでお墨付きを貰うことで、断然生きやすくなりました。



人と違う道を行くために、自分でルールを作ってきた人生。

そんな自分は、人と違う形をして生きるべき。と、長いこと思ってきました。


ボロボロの生地、変形、たくさんのいらないジップ、脚10cmしかないんか!?みたいなズボン。

そういうものが、自分には似合うと思っていました。



さて、そんな考え方が変化したのは、つい最近。

自問自答講座を受講してから、季節が一周しようかという頃でした。


Twitterでも事あるごとに言っているのですが、自問自答講座を受けた前と後で、私のファッション観はガラリと変わりました。

(己がファッション史は、あきや前あきや後で完全に別物です。AC⚡︎DCのACとDCくらい。つのだ☆ひろさんのつのだとひろくらい強い衝撃で分かれているのです。)



1番大きく変わった事といえば、店員さん恐怖症で極度の試着嫌いだった自分が、試着をするようになった事でしょう。


今でも店員さんは怖いし、このわがままボディを包む包容力が服になくて、試着室の中でがっかりすることもあるけれど、それでも、私のクローゼットに迎え入れるからには、このオーディションを乗り越えていかなければならないのです。私と服、お互いに!!!



そうする事を続けて、自分の姿を撮った写真を見直すと、今までなんとなくイメージでこれかな?と思って買っていたものが、しっくりきていない事に気が付きます。



メッセージ性のある格好をする事は、他人に分かりやすく自分を伝える事で、ある意味サービスであるとあきやさんが仰っていたnoteがあったようななかったような気がするのに……?



なぜ?こんなにも分かりやすく伝えているのに。この違和感は一体、何……?




自問自答の末にたどりついた答えはこうでした。


変わっていると思って欲しい!!変な人だと認識して欲しい!!!というのは他人軸であり、実際に自分の内側から出てくるものとは差がある。


簡単に許されて、楽に生きたいがために、過剰にアピールする事を“必要”だと思っていた。



私は前述のような、ツッコミどころ満載の服が好きです。この先もずっとそうでしょう。けれど、それは私が着る物ではない。というのが今の私の答えです。


自分は普通ですという顔をしながら、静かに歪みたい。

静かな狂気。

それが、私なのです。



私の(シンプルな)制服を探していて思うのは、シンプル、全然つまらないなんて事はないです。

シンプルこそブレない芯が必要です。めっっっっちゃむずいです。



というわけで、「必要だと思っていたもの」が、必要じゃないのかも知れないというお話でした。



自分軸と他人軸、どっちも大事だけど、混ぜるなキケンである事を忘れずに、ファッション道を歩みたいですね。


それでは、また!