「天地人だったか風林火山だったか」
西のおじさんは、もう亡くなって、今では、一番最初に作ったわたしのマチオモイ帖「石榑帖」の中に茶畑と軽トラと一緒にいてもらっているだけになった。
西のおじさんというのは、この茶畑の管理を長くお手伝いいただいていた親戚のおじさんである。ウチの母の世代、祖母の世代から、ずっとお世話していただいていたのである。ワタシの代になってもはじめは、茶刈り機を借りて手伝ってもらって収穫していた。ご高齢になって難しいというタイミングで、今のような「茶刈りハサミ」と手摘みの合体型になったのである。
お茶を収穫するには、お天気と人の都合と茶葉の成長の都合とお茶屋さん(製茶してくれるところ)の都合が合わないとだめだから、無理ゲーだから機械化も、とTwitterの人が言っていた。
確かにそうなんだけど。
機械でやるんだっていろいろな「都合」がある。
おじさんのところで機械を借りていたときは、その機械が空いている(他のだれかが使っていない)時期、あと、もちろんおじさんの都合。
で、機械を持って茶畑を行き来できる体力のある人もうひとりの都合。(手持ちの茶刈り機には一人用、二人用とかあるけど、おじさんちのは二人用だったので)
しかも、茶刈り機で収穫するには、その当該茶刈り機のカーブに合った茶畑の調整をしとかないとだめなわけだから、調整刈りと本番と2回、おじさん、機械、もうひとり、天気、の都合を合わせないと、なのである。
お礼も必要だよ、もちろん。燃料代もかかる。お礼を持って行くタイミングだって考えねばなのである。
今は、茶刈りハサミと手摘みだから、人の都合、とお天気合わせるの無理ゲーと言われるけれども、このぐらいの規模のちいさな自家用の畑では結構自由度がある。
調整刈りというのを機械のカーブに合わせなくていいし、機械の都合はないし、ハサミは出してくればいつだって使える。燃料代はいらない。
人の都合、お天気、成育状況、お茶やさんの製茶限界、この4つだけ。
人手も2日に分けて、萎凋(ちょっとほうっておく)ありとして、ゆるゆるやったらなんとかなりそうだよ。
人手、というか人員というか、人というものを単なる労働力と考えれば、
人数がどうのということになるけど、「人」というのは単なるアタマカズではない。茶刈りハサミと手摘みでやるから、人手が足りないですといいながら、お手伝いにきていただくオトモダチとおしゃべりし、まだ20キロかー、みたいなことをいいつつ、ごはんたべつつ、ヒルにやられつつ、収穫する、というぜいたくな作業的メディテーションだものー(いうねー)。
茶畑と付き合いはじめたころ、無農薬・無施肥について、ちょこちょこディスられてたときに、西のおじさんが言ってくれた言葉、(調整刈りで落とした茶葉は肥料になるから)「それでええわさ」という声がきこえてくる。
天地人、心技体、風林火山? それぞれに揺れながら、それぞれをたのしめ、ですね。