原体験のはなし。①
こんにちは!sizle(シズル)の宮本です。
初回の記事では、自己紹介と、ブランドについてや想いを簡単に綴ってみました。
今回は、作り手である私の
作家になるまでの経緯の話をしようと思います。
長くなってしまった…ので2つに分けて投稿します。
めちゃくちゃプライベートな話なんで興味ある方だけ読んでみてください。
ただ、原体験が今の自分を形成していると実感しています。
引っ込み思案な幼少期
小さい頃から人見知りで、引っ込み思案でした。
知らない世界に踏み込むのが怖かったのか、幼稚園や小学校に入ってからは本当によく泣いていました。親がいないとなにもできなくて、宿題も持ち物も本当によく忘れては怒られ。笑
周りに迷惑かけまくりでした。
周りに馴染むのも得意じゃなくて、運動もできなくて、給食もそんなに食べられなくて、とにかく人並みにできることが少なくて自分に自信がありませんでした。
でも、図工や美術の時間が大好きでした。(あと理科の実験)
小学生の頃、自主学習ノートというのがあり、自分で好きなことを学んで記録するというのがあったのですが、それだけはかなり情熱注いでとりくんでいました。家で作ってる野菜の観察日記とかつけたりしてました。
やればやるだけシールがもらえるというやつ。シール欲しさに頑張った。
マンガクラブみたいなの入って漫画も描いたりしてました。
ただただ純粋に楽しくて没頭してました。
でもなぜか中学校からは運動部に入り、ひたすら部活三昧。
思春期になって周りを意識するようになって、自然と周りに合わせるように。
小学校の頃書いていたマンガも恥ずかしくなってその頃に封印。
理不尽だと思うことも多く、社会がだんだん見えてくるようになりました。人間不信になりかけることも。笑
どうにか浮かないように場に馴染もうと、何者かになろうと必死でした。
今考えると、集団生活が苦手だったんだなと思います。
転機となる創作ダンス部への入部
高校に入り友達の誘いで創作ダンス部へ。ヒップホップとかよりも、テーマに沿って体で表現をするコンテンポラリーダンスメインの部活でした。
引っ込み思案な性格なのに、体を使って感情を全面に表現するなんて、、、と自分にとってかなりチャレンジでした。
が、これが割と転機となって、中学で抑えていた自分をさらけ出せるようになり、性格が明るくなりました。部活に行くのが楽しくて仕方ありませんでした。
約5分間の演技時間を、構成も音楽も振り付けも自分たちで一から考えます。
大変だったけどすごくやりがいがあって、一つのテーマについて深く考え、表現することに快感を覚えました。
仲間との話し合いも多く、積極的に意見を出して、とにかく良い作品にしたくて、授業中も構成を練るほどに夢中でした。
表現するって素敵なことだな。
仲間と一つの作品を作り上げる喜びも味わい、
その頃の熱い思いは一生忘れません。青春ですね。
打ちのめされる短大時代
その後、進学を考える時期になり、
絵を描くのは好きだったので美大に行こうってふと思い立ったが、
そんな能力もなかったため、都内のデザイン系の短大に入りグラフィックデザインを学びました。
短大では、みんなデザインが好きで得意な人が集まっていて、個性のぶつかり合いでとたんに打ちのめされてしまいました。
せっかく好きなことを学べる場所に行けたのに、私はまたそこで周りの目を気にするようになってしまいました。
頑張ってこなした課題もなかなか評価されず、悔しい思いもたくさん経験しました。
次回は、社会人になってから現在に至るまでのおはなし。
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