見出し画像

アンチするならジャーナリストになった方がいい理由

どうやら「official pear」という加藤純一アンチのオープンチャットがあるらしい。活動目標は「いずれきたる決戦」に備えることらしいけど、少し覗いてみたら、のけ者同士のなれ合いがひどい上に、会話が成立していないことも結構ある。井戸端会議以下です。これが「アンチ活動」だと言うのなら、世の中は平和そのもの。

ところで、アンチのコミュニティって腐るほどある。VTuberなら「にじさんじ有ンチスレ」や「好き嫌い.com」、「グウェルスレ」などが定番。キャス主界隈なら「雑談たぬき」は根強いですよね。

だけど、大半のアンチってそこまで行動力もなく掲示板やSNSで愚痴をこぼしてるだけです。特に配信者のアンチは顕著で、彼らの関心事って同時接続数やら、配信者の態度が自分の理想とズレていることばかり。まるで株価の値動きを眺める投資家のように一喜一憂している。違うのは、彼らには何の利益も生まれないという点 ――――

思い返してみると、アンチの世界にもリーダー的存在っていました。「白上フブキを許すな」というツイッターアカウントとかがそう。あるいは、『けものフレンズ2』の騒動で動画を量産していた人たちも、ある種の旗振り役だったのでしょう。

この比較でわかるのは批判にも種類があるということです。ただの私的な悪口と、公衆に訴えかけられる批判。その違いは明白です。前者は、所詮は鬱憤晴らしに過ぎないが、後者は思想へと昇華する。ここが分かれ道。

ジャーナリズムの視点を持って批判を展開する者には、それなりの支持者もつくし、一定の意義がある。だけど、そうじゃない者は、ただのノイズでしかない。

カントも『啓蒙とは何か』で理性は公的に使用せよと説いていた。
理性の公的な利用とは何か。

それはある人が学者として、読者であるすべての公衆の前で、みずからの理性を行使することである。

光文社の訳

キリストとアンチキリストじゃなくて、プロテスタントという道もあるんです。それは学者として教会に95条からなる質問をし議論を呼んだことから始まった。批判は議論のためにある。

そう考えると、「かっさんまとめNEXT」はすごいですよね。まず単純に、97本も批判動画を投稿してるのは尊敬に値します。それに「かっさんの本当にあった怖い話」シリーズのおかげで加藤純一の問題点や虚言癖は広く知れ渡ったと思います。だから、すべてわかった上で盲目なウジ虫でいつづけるなら、その人生は素晴らしい。

しかし、「official pear」はどうにも無様。結局、仲間同士で傷を舐め合い、自己満足に浸るだけの場所になっている。せめてアンチをするなら、ジャーナリズムを目指したほうがいい。

……とは言え、自分で考えて公衆に向けて批判するほどのモチベって普通の人はない。俺も にやるら への悪口(変なあだな)が好きなのってうっぷん晴らしだし、なによりだたの嫉妬だし大義がどこにもない。

はい、僕らみたいな層が「かっさんまとめNEXT」を応援してました。楽しい動画をありがとう!!!!!粘着質なアンチのおかげで僕らは本当に楽しませて貰いました。インターネットサイコーーーーー!!!!!!!!!


いいなと思ったら応援しよう!