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動植物の話7 道端のカリンとサクランボに思う
家の近くの植え込みには、カリンとサクランボの木が、間隔をあけて植栽されている。
カリンの木は、見上げるほど背が高く、サクランボのほうは、三メートルくらいの高さで、枝葉がこんもりと生い茂っている。
サクランボといっても、もちろん「佐藤錦」などの有名どころの品質の良いものではありません。でも、公園などで時々見かける桜の実と比べると、つぶも断然大きく柔らかそうで美味しそうです。
サクランボの木は、カリンの木より本数は少ないが、時期になると実をたわわにつけるようになります。日が経つにつれて、だんだんと赤みを帯びてくるので、そこを通れば誰が見てもよくわかり、目立ちます。それはそれは見るからに美味しそうです。
ところがある日、そのサクランボの実がすっかりなくなっているのに気がつく瞬間があります。一つ残らず、誰かに採り尽くされているのです。
「いったい誰が、この公共の生りものを捕ったのか・・・」
と、一瞬思うが、赤いサクランボの実は、色艶よくいかにも美味しそうなので、誰がやっても無理もないことです。
鳥かもしれませんし。
でも、全部採り尽くされてしまった姿を見ると、自分もひとつやふたつ、ちょっと味見をしておけばよかった、と思ったりもするが、あとの祭り。
ところが、カリンのほうはどうかといえば、大きな実が木にぶら下がったまま、誰もそれを採ろうとはしない。
採ってみたところで、そのまま食べられる果物でない。
カリンの木は、洋ナシのようなゴツゴツした実をいくつも枝につけたまま、歩道高くにいつまでも成り下がっている。
いずれは誰かが採るのか、そのまま落ちてしまうのかわからないが・・・。
もちろんカリンも、ホワイトリカーやブランデーに漬け、適度な糖を入れそれなりの年月をかけてカリン酒を作れば、美味しくいただくこともできる。
喉にいいので飴にしたりなど、食用に加工することはできるが、結局、そのままでは簡単に食べられないので、誰も採ろうとはしない。
簡単に美味しく食べられるサクランボは、すぐに誰かに採られるが、手間や時間のかかるカリンはすぐには採られない。面倒だからです。
結局、面倒なことを嫌がるのが人間の本性。普通の人々です。
だから裏を返せば、面倒なことをやっていくのが、他人とは違った味のある人生。
これ、一つの成功の秘訣かもしれません。
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