覚醒の話26 道を間違えたあと (753文字)
三十年くらい前、私は車を運転したての頃、よく道を間違えていました。
今であれば、カーナビという便利なものが装備されるのが普通ですが、その当時もカーナビはあったものの、それほど普及していない頃で、私の車にも当然ありませんでした。
普段からよく走る道なら間違えることもありませんが、全く行ったこともないような遠出の道では、わからないので、膝の上に分厚い地図を開き、それと外の標識を見ながらの運転です。
今の若い人には、想像もできないでしょうね。
走っていて、もうひとつ先を曲がる所を、その手前で曲がってしまったり、曲がる所を通り過ぎ、かなり走ってからそれに気づいたり、車の運転は慣れていないと本当に厄介だな、とつくづく思う有様でした。
道を間違えて、それに気がつき、すぐに元の場所まで戻れればいいが、走っている車はそう簡単には戻れないものです。
運転技術が未熟だった当時の私は、間違いとわかりつつもそのまま走り続けてしまうことがあり、走りながらなんとか本来の道へ入り込もうと試みますが、大変な遠回りをします。
また、時間もかなり余計にかかってしまいます。
こういう経験をすると「車の運転も人生の運びもよく似ているものだな〜」と思うのです。
一度、間違えた道に入ってしまうと、あとから本来の道に戻るのは結構大変です。
だから極力、道を間違えないようにはしたいものですが、それでも間違えるときは間違えるもの。
そうなったら、その間違えた道を逆にプラスに変換するべく、進んで行くしかないですね。
また、遠回りすることで、本来体験できなかった貴重な体験ができることに感謝をする。それは怪我の功名のようなもの。
全てをプラスに、プラスに、あとから「これで良かったんだ」と、強引にでも転換させてしまうように持っていくことが肝要だ、と実感しています。