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覚醒の話42 離見(りけん)の見(けん)について(666文字)
離見の見とは、世阿弥の能楽論で、演者が演技をしている自分を離れて観客の立場で己の姿を見ることを言い、自己を客観視することです。
これは、何も能の世界に限ったことではなく、我々一般人の日常生活においても、十分に通じる事柄です。
仕事中、あるいは友人関係、家庭人としてなど、あらゆる状況下で、自分を客観視して、「この言動と態度は、相手から見てどうだろうか」と、常に自省し内省するというのは、良好な人間関係を築く上でも大切だと思うからです。
そのように、あるべき善き姿を追い求めるという思考は人間修養の道。
己の中に、もう一人の他人のような冷静な己を置く、というふうにも考えられます。
その己は、客観的で公平で、私利私欲なく、正しい判断力を持っているという存在です。
別の言い方をすれば、批判眼の鋭い聖なる人格というものに近いと思います。
人間、仕事で上手くいっているときとか、家庭人として幸福であるときとか、長所が生かされて人から賞賛を受けているときなど、感情が高揚している時期というのは、どうしても自分に対して甘くなり、冷静で正確な判断を下しにくくなるものです。
その結果、少しの油断から大変な禍を招いたり、大失敗したりすることがあり得ると思います。
どんなときでも、常に冷静で、厳格で、正しい判断ができるよう、一つの戒めとして、世阿弥のこの「離見の見」という視点を持っていたいものだと思います。
今の時代でも、十分に通用する心がけだからです。
※今回掲載の上の写真は、「photo AC」からダウンロードさせていただいたものです。
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