覚醒の話31 人はすべからく事上に在って磨くべし (896文字)
以下、PHP文庫 守屋洋著「中国古典一日一言」より一部引用です。
人はすべからく事上に在って磨くべし 『伝習録』
~~(前段略)
生活や仕事など毎日の実践を通して自分を磨けというのだ。
自分を磨く方法は、まず第一に、すぐれた先達の教えに耳を傾けることである。そのためのてっとり早い方法は古典を読むことだ。古典というのは、言わば先達の英知の結晶であり、長い歴史のなかを生き残ったものであるだけに、時代を超えたすばらしい教訓に満ちている。
だが、本を読み、人の話を聞くだけでは、なかなか生きた知恵が身につかない。学んだものをしっかりと身につけるためには、それと並行して「事上」で自分を鍛え、体でおぼえることが必要なのだという。
実践を伴わない知識は、しょせん付け焼刃にすぎない。実践のなかで磨かれてこそ、知識も人間もほんものになるのであろう。
引用以上。
これは、王陽明の「事情磨練」という言葉でも知られます。
何も難しい本を読んだり、座禅を組んだり、山中に荒行に行ったりすることなく、私たちの普通の日常生活の中において、その人がやるべきことをしっかりやっていくことで、立派な己を作ること、それこそが修養である、ということかと思います。
会社員であれば、その人がやる仕事がメインとなるでしょうし、専業主婦であれば、家事育児などの家庭内の仕事になるでしょう。
それぞれ今の自分の環境の中で、少しでもより良くあるよう、より進歩向上あるよう、工夫し研鑽し、行動を続けていくことなのだと思います。
特に仕事について言えば、何も成功することだけに着眼することなく、むしろ失敗したり、悔しい思いをしたりすることにより得られる学びや悟りが、練磨につながるよう感じられます。
だから、これまでの人生で「失敗したなあ~」という事柄は、この事情磨練の基礎となる糧になるものですから、全然マイナス的なものではないということが言えます。
社会で成功した人の本や話しなどを見聞すると、皆さんそれぞれに苦労葛藤し、失敗も数多くあったという人が多いようです。
そうした失敗と思えるものを、全てプラスに、良いものに変えてしまう能力が優れている方々と想像されます。