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思い出話11 かつぎ屋と学生
かなり以前の話です。
ある日、私が常磐線に乗り、入り口近くの手すりにつかまり立っていた時、どこかの駅から「かつぎ屋」といわれるお婆さんが乗り込んできた。
今の若者は、かつぎ屋さんを知らない方が多いかもしれないので、簡単に説明すると、地方の農産物などを大きな袋に入れ、背中に担いで電車に乗り、都内のある場所まで行って売りさばき、現金収入を得ている主にお婆さんたちです。今ではほとんど見かけることもなくなりました。
かつぎ屋さんは電車に乗り込むと、一息つくように立ち止まり、周囲を見渡した。
あいにく、空いている席はなかったので、入り口付近の邪魔にならない隅に、その大きな背中の荷物を一旦降ろした。私が立っていたちょうど真向かいです。
そして、新聞紙を取り出して床に敷き、その上に荷物を大事そうに置き直し、自分は、その余った新聞紙の上に、大きな荷物を背にするようにして腰を下ろした。
誰にも迷惑をかけないように、お婆さんは荷物とともに隅にまとまっていた。疲れた様子で、両手で何度も顔をこすり上げながら休んでいる様子が窺えた。
電車の中で、大きな荷物に小さなお婆さんが寄りかかる。なんとも言えない光景でした。
そんなお婆さんの姿を見つつ、私はそのすぐ横の座席に座る学生を見ていた。
高校生か大学生ぐらいの若者で、大きなバッグを足元に置いて席にもたれていた。スポーツ刈りだったので、体育会系の学生かな思った。
学生は、自分の足元のそばに、かつぎ屋のお婆さんが小さくなってしゃがみこんでいるのに、気づかない様子だった。
何かの雑誌を読みふけり、チラリとも見ないのである。
折しも車内では、体の不自由な人などへ席を譲るアナウンスが流れていたが、学生の耳には、そんな言葉は届いていなかったのであろう。
重たい荷物を担いで仕事を終えたお年寄りが電車の床に座り、十代の活気あふれる若者が座席シートに悠々と座って雑誌を読んでいる。
こういう場面は、別段、珍しくはないのだろうが、その様子をつぶさに見ていた私は、なんとも言えない気分になった。
お婆さんに気づいて、一言、
「どうぞ」
と、言葉をかけ席を譲れば、その好意はお婆さんだけでなく、周りの人の心にも届く。
言葉をかけられたお婆さんは、嬉しいに違いないし、そうしたやり取りを遠目で見る周囲の人にも何か温かいものが伝わる。
学生は、目の前の雑誌に集中し、お婆さんの存在に気がつかなかったのかもしれないが、そばで見ていた私は、やはり気づいてほしいと思った。
もう少し周りの状況を敏感に感じ取る神経を持ってほしいと思った。
そうでなければ、この若者が社会でのしていくこともできないではないか。
私は、疲れて電車の床に腰を降ろしているお婆さんよりも、そんなことには頓着せずに、ただ己の世界のみに集中して気づけない若者のほうに、より心が占領された。
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