思い出話10 昔観てもらった手相鑑定に物申す
私が二十代の前半、ある仕事を辞めて次の職を求めて活動していた時のこと。
何かの手がかりが欲しくて、近隣の神社仏閣へ参詣に行ったことがあります。
ある時、寺院での参拝を終え、門を出たら、近くに「手相鑑定」と書かれた旗のようなものと六十過ぎくらいの男が目に入ったので、恐る恐るといった感じで聞いてみた。
「あの~手相観てもらうの、おいくらですか?」
私は、こういう鑑定のようなものを受けたことがなかったので、いくらくらいか全くわからなかったので聞いてみたのでした。
「あんた、金も持ってなさそうだから、千円で観てやるよ」
と、その男は、私を若輩者と見くびり、人を侮辱し切った口調で言った。
いかにも傲慢そうな男だった。
それでも私は、何らかの答えが欲しかったので、千円を出して観てもらうことにした。
手相だけではなく、色々な観点から観るらしく、私の生年月日や出生地などを横柄な感じで聞いてきたので、全てに答え、様々なことを言われたが、今一、ピンとくるものがなかった。そしてある時、
「あんた、神経質でしょ。神経質を治さなきゃだめだ」
と、再び人をさげすんだような目をして言った。
正直、ムッとしたが、それを口にすることはなかった。
私は帰宅の電車の中で、あの男に言われたことを色々を考察してみたが、
「神経質じゃだめだ」と言われたことには、心底腹が立った。
神経質な性格では、社会ではやっていけない。もっと図太い神経を持たなかったら、会社内ではやっていけない、ということなのでしょう。
確かに一面はあるかもしれない。
しかし、私が神経質というのは、確かに当たってはいるが、神経質が悪いわけではないと思っていた。言葉を変えれば、繊細な性質ということです。
繊細だからこそ、他の人が面倒がる神経を使う仕事もできるわけだし、上質なものを感じ、上質な芸術を味わうこともできる。
ある短所は別の視点から見たら長所にもなり、長所もまた短所になり得るもの。これが正しい認識だろうと思います。
本来、神経質とか繊細といった性状は、持って生まれたものであり、人為によっては変え難い代物です。
そういうことを考えると、あの男の言ったことは、全く見当違いも甚だしい。
よくもあんなことをお客に言って、商売をやっているなと思った。
全く人間理解が足りないではないか。
私のことを若く未熟な人間と決めつけての言動かもしれないが、酷い鑑定であった。
あんな鑑定を受けるくらいなら、本屋に行って成功者の著書でも買って読むほうがよっぽど為になるだろう。
もちろん、手相などを鑑定する人間すべてがそうだとは思わないが、そういう人もいたという昔話の一つでした。