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人は知ることができなければ自分の視野が狭いことすらわからない

受験シーズンになって、ニュースとかSNSとかで受験にまつわる話が聞かれるようになった。懐かしいな、という他人事的な気持ちもあれば、ぜんぜんわからんかったな〜という自分ごとっぽい気持ちもまだある。
自分にまだ子どもがいないから、どちらかというと親よりも受験生当人目線での記憶が強いのかもしれない。

自分は幼稚園から大学まで、ずっと地元の仙台を出なかった。実家にあまり経済的な余裕がなかったから、私立の大学に行くという選択肢はなかったし、実家を出て一人暮らしをするという選択肢もなかった。

大学を出て、なんやかんやあって東京で仕事をするようになってから、「東京近辺ではどうやら私立の中学高校に行く人が多いらしい」とか「受験のシステムは県ごとに微妙に異なるらしい」というのがわかった。
子どものころはそういうことが全然わからなかったし、母が受験システムにあまり興味のない人だったから、昔のわたしはずいぶん視野と選択肢が狭かったなあと思う。その選択肢の中で希望があれば最大限尊重してくれる環境ではあったし、経済的に困難な中で姉妹ともに大学まで通わせてくれたことには感謝しかないけれど。

人は知ることができなければ自分の視野が狭いことすらわからない。自分は”4”だ、と思う人に、”る”という世界もある、と知らせるのは難しい。
自分が子どもを持つかどうかは(もうリミットぎりぎりの年齢ではありますが)わからないけど、できれば広い視野と選択肢でやりたいことやってほしいなと思う。親であるわたしの視野を超えてもらいたいなと思うのだわ。

一方で、視野の広いにもいろいろあり、それはアンダーグラウンド的な方面にいってしまいそうになることもあるだろう。それを親として忍耐強く見守るか、やめてクレメンスと制するか、その狭間ですごい精神力が必要だよなと思う。世の中の親はすごい。自分の親も、すごい。

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