日記 追記
晩酌の終わりは、下手に眠ると寝坊が確定する時間だった。眠い。どうせだから今日の葬式までに日記を下書きし、帰宅したら投稿ボタンだけ押して眠らせてもらう。
最後二時間くらいの記憶が綿毛のように飛んで行ってしまっている。周りには酒の空き缶、酒の空き缶、これは瓶の酒。
弁明するが私はアルコールを摂取してない。眠気に弱いだけ。酩酊の展示会なる飲み会は嫌いじゃないが、一晩中眺めるのはしばらくお断りしたい。しかも相手はバッド。バッドな彼。サシ。今、溜息を文字に変換している。
昨日はあれから、コンビニに寄った。
彼は度数の高い酒を好んでいた。四角の瓶も一本くらい混ざっていた。種類の豊富な棚から、記憶ごと缶を引っ張り出す。
言葉少なな彼は、私のチョイスに訂正せず丸いチョコ菓子をかごに入れた。最近ハマってましたね、そういえば。
あとは、作ると宣っていたが、グズグズな者に料理させるのは気が引けたので、弁当を二つ。
「俺のこと、覚えてる?」
十年ぶりの地元の幼馴染みたいに聞きますけど、昨日今日ですよ。覚えていない方が難しい。
端から浮かんだパーソナリティを連ねると、彼は心底胸を撫で下ろしたよう。やっと弁当の封を切った。こんな確認せずとも、ここ数日で明らかでしょう。
それほどに、平常心を失っている。ああいいな、とても良い。大きな地震が数分後に来るかもって、怯えているのを側から眺める心境だ。
――親の他には、誰かに会ったんですか?
尋ねると、クレープ屋の店員とは顔も知ってる仲だったのだが、自分だと認識されなかったそうだ。現状、1人。
そこからは理由を絞っていった。私のように仕事仲間なら、覚えているのでは? 親といっても一緒に住んでいない限りは、会う頻度でいえば仕事関係の方に比重が傾くし、どうだろうか。
「それで会って、わからなかったらショックだなー」
望み薄な雰囲気。生前は親と仲良かったのが相当あとを引いている。
「変な世界へ転生しちゃったみたい」
地道に探る過程で彼が呟いた話も、本当に可能性がある限り、素直に笑えない。私のみが彼を知ってる世界に、転生する。
え、でもその場合おかしくないか。私も転生しないと成り立たなくない?
「そういえばチート能力も貰ってない」
女神にも会ってない。
脈絡の薄いあるあるネタに転がった頃合いで、缶が小気味よく開いた。
年季の入ったオタク同士、超常現象に巻き込まれているのが途中から面白くなっちゃって、かなり考察と検証案の話は長引いた。
両方、相当独創的な視点を持っていて、こういった珍妙な話をしている間が1番愉快なのだ。彼も同意するかのように、波が波を呼び、話は無限に膨らんだ。
間違いなく、私は私で、彼は彼で、そこに何の記憶障害もなく、ドーパミンもアドレナリンもこんこんと湧き上がった。以下がその会話。
「モンスターだね、もう」
ーーモンスター? わからないってこと?
「うん。わからんね」
ーー怪異って意味では、死ぬ前もそうでしょ。
「なんかさ、死んでるってより、俺だって気づかれないっていうか」
ーー知らない人みたいな扱いを受けている?
「そう! 死んでたら普通喋れなくない? 物も触れるしさ」
存在のみの死、と仮説を立てるも腹落ちはイマイチだった。実際に彼と認識できない知り合いと話したりする様子を見れば、少しは納得できるだろうか。
ーー死者らしく、浮いたりとかって。
「できないねえ」
あの手この手で浮かせようとしたが、しっかり重力が働いていた。心臓も、脳も、正常な者の死の証明。これ以上は死の定義や境界の世界になる。ややこしくなってきたな。
ーーじゃあもう一回死んでみます?
「地獄少女になっちゃった」
ーーいっぺん、死んでみる?
「地獄少女じゃん!」
この辺から昔の少女漫画の話になったのは覚えている。
今日、何の死体と対面するのだろう。棺を開けて覗いた時、知らない人の顔だったら、思わず笑ってしまうかもしれない。
彼は同行しない。行ったら際限なく笑ってしまうとのこと。容易に想像できる上に、私は私で、この上なくリアルな世にも奇妙な物語を味わう羽目になる。
いや、もう味わっているなこれ。頭が痛くなってきた。
・追記
酒気を帯びていた部屋は、帰ったら嘘のようにさっぱりとし、醤油ベースの煮込まれた香りと換気扇の音が漂っていた。テーブルに、二人分の食器と、新しい缶の酒。
死体は、本人だったが、今ちょうど台所で味見している。