日記 やあ、そこの透明なお方
「声かけられる気がしないの、気楽だわ」
スマホのカメラを地面スレスレの位置に構えている。カメラの先には蝉。
声どころか、少々の奇行をしていても通行人には見向きもされていない。奇行をしているからこそ、見向きもしたくない。が正しいかもしれないが。
いや、視線を向けられてさえいないような。
彼はかつて、そこそこ名前の知られた人物だったので、街中に出れば時折声をかけられていた。
彼はその度に愛想良く応じていた。
ちなみに私はプライベートの交流は拒否を公言しているので、彼が声をかけられている場面に出くわすと、隠密活動に勤しんでいた。
それでなくとも、彼は好奇の目にさらされやすい。
病的に人をもてなすのに全力を注ぐので、基本オーバーリアクションであったり、お店でもノリの良い客であろうとしたり、木材を買って帰ろうとしたり、不思議な物を食べ歩いてたりする。
ところが今は注目を浴びない。浴びた覚えさえない。
まだ木材を買って帰ろうとしたことはないので正確な検証は叶わないが、妙な位置でスマホのカメラを構えるくらいでは、誰も気に止めない様子だ。
――もしかして、影が薄くなっている?
「えっ そんなことってある?」
私とばかり話しているから気がつかなかったが、誰かと彼が談笑している風景が浮かばないまでには、稀と化している。
最後に人から何かしらのアクションをされた状況を覚えているか、聞けば覚えていなかった。
「俺から話しかけてばっかりかも。これって、そういうこと?」
注意深く記憶を掘り起こしても、どうやら外部から能動的に干渉された経験はなかったらしい。
なるほど、存在感が消えているのか。私にはわからないが。
「まるで幽霊、みたい」
無音が身を包んだ。
二度と鳴かない蝉が、ただ私達を見上げていた。