高等科服装調べ
はじめに
わが校における生徒の服装は、他の高校と比べても極めて特異なものとなっている。
例えば我が校には、「正服」と呼ばれるものが存在する。「正しい服」と書いて「正服」である。これはいわゆる制服(=school uniform)のことを指し、世間一般では「制服」と表記されるものである。多くの生徒は普段自分たちが言葉にしている「セイフク」を頭の中で「制服」と変換しており、「正服」という言葉は生徒の間にもあまり浸透していないのが実情である。
今回私は、このような我が校の服装事情を調査した。
高城先生に聞いてみた
さ
まず、教頭である高城彰吾先生に、わが校の服装にまつわる様々な謎についてインタビューにお答えいただいた。
※インタビュー内表記
末原(インタビューアー)→末
高城先生→高
※インタビュー内の会話は文章としての読みやすさを優先し一部編集しております。
•サンダルの謎
日本には屋内で靴を脱ぐという文化がある。それは、日本の学校に上履きという独自の文化を発展させた。しかし我が校における上履きは、いわゆる一般的な「上履き」とは異なる「サンダル」のようなザザインである。これは一説によると生徒が廊下を走らないようにするための方策であると言われているが、本当のところはどうなのだろう
末「なぜわが校ではいわゆる中等科のような上履きではなくサンダルを採用しているのでしょうか」
高「私も高等科出身なんだけれど、私の時代から高等科の上履きはサンダルでした。サンダルが採用された経緯と時期は分かりませんが、学生時代から使っていて実感している利点は、まず脱ぎ履きがしやすいこと、あと「かかとつぶし』上履きのかかとを踏んで履くということが起こりえないということです。」
未「現在私たちが履いているサンダルは高城先生が教頭になられてからデザインが変更されたものだと伺っております。なぜ変更したのか、変更する前のものはどのようなデザインだったのかなどお聞かせいただけるでしょうか。」
高「変更された正確な時期は思い出せないのですが、私が教頭になったのが2010年の4月で、そのあと2011年に東日本大震災があって、そのあとに今のデザインになったんだと思います。
前のデザインは足の裏の素材が硬くて、つま先の部分が割れるということがあったので、現在の柔らかいゴム素材のものにしました。私は本採用する前の一年間、これを試用していました。」
未「古いデザインのものにも、現在のような赤、青、緑の「学年カラー」はあったのですか。」
高「いや、前のものには現在のカラーリングはなくて、黄色と、黒と、あと思い出せないけどもう一色くらい種類があったような気がします。」
末「それは、学年カラーが現在と異なっていたということですか。」
高「いや、そういうことではないです。体操着などは昔から今の三色でした。」
未「サンダルだけが特殊だったのですね。」
〇高等科生の普段の服装
我が校の服装をはじめとする「身だしなみ」への規制は緩いと言われている。髪染めやアクセサリーは(事実上)容認されているし、パーカーなどの上着類も自由である。
また、最近では夏場の暑さ対策の一環として、校内での服装が原則自由となった。
未「最近、夏場の暑さ対策として授業中であっても服装が自由となりましたが、現在、容認されているパーカーや髪染め、アクセサリーなどは、いつ、どのような経緯で解禁されたのでしょうか。」
高「厳密に言うと、学校の服装規定ではダメなんだけれども、服装に関して取り立てて注意するようなことはないですね。でも、これはいつ解禁されたとかではなくて、私が学生だった頃から甘かったです。パーカーとかアクセサリーとかは流行り廃りがあるから何とも言えないけれど、私が学生だった頃は髪を伸ばしてパーマをかけるのが流行ってました。」
末「服装規定が緩いのは昔からだったのですね。」
高「そうだね。でも、これは私たちが縛り付けるのではなくて、生徒に自ら考えさせるためなんですよ」
末「TPOみたいなものですか。」高「そうだね。」
未「この「緩さ」が教育の一環だったのですね。」
◎「校章」問題
学校にはそれぞれ固有の校章が存在する。そして、それは制服や鞄などに刻印され、それを着用する生徒の所属を示すものとなっている。
我が校においては校章である桜の記章は正服の上着(以下学ラン)と正朝に装飾されている。それらがわが校の生徒の所属を示す。しかし、我が校では帽子の着用は自由であり、実際にかぶっている生徒はおろか、購入して所持している生徒もほぼいない。学ランも夏季の略服期間には着用が自由になるため、略服期間中には生徒は自らの所属を示すものを何一つ着用することがなくなるのである。これでは、はたから見ると、学生であることは分かっても、どこの学校なのかは分からない。
しかし、実際問題高等科生へのクレームは一定数寄せられているため、学校近隣の人々は高等科生を識別できているようだ。おそらく、「所属不明の学生=学習院高等科生」という認識が出来上がっているのだろう。
未「略服に校章がついていないという問題についてお聞かせくださ
い。」
高「もともとは、夏服として「略衣』という開標シャツがあって、これには襟の両側に校章が入っていました。」
末「それではいつ頃今のような形になったのですか。」
高「いつのまにか、私が高等科にいない間に白いポロシャツがOKになっていました。おそらく、生徒の要望によるものだと思います。」
未「生徒の自発的な活動によって今のような形になったのですね。」
高「そういうことですね。」
末「それから、もう一つ夏服にまつわる噂のようなもので、わが校に は白い正服も存在するというのは本当ですか。」
髙「いわゆる『白ラン』といわれるものですね。旧海軍のものを参考にしているのでしょうね。私も聞いたことはありますが実際に見たことはないです。」
末「それはもう手に入らないものなのですかね。」
髙「そうなんじゃないかな。」
末「よくわかりました。以上でインタビューは終了となります。髙城先生、本日はお忙しい中お時間を作っていただきありがとうございました。」
髙「いえ、お疲れさまでした。」
高城先生への取材で我が校の服装既定の緩さの謎が解き明かされた。この「緩さ」は生徒の自主性を重んじる伝統と、生徒の自発的な活動によって成立した「自由」であり、他の高校と比較して特異なものといえるだろう
学習院と正服
~西郷洋服店を訪ねて~