Mötley Crüeを「音楽的に」振り返る(序論)
私はガキんちょの頃にMötley Crüeに衝撃と影響を受けてそのまま今に至り、Twitterのアカウント名を「yuki_sixx」などという恥ずかしい感じにしてしまっている人なのですが、長いことファンを続けている中でずっと疑問に思っていることがあります。
なぜMötley Crüeというバンドは音楽的観点で深い考察がなされないのか?
1981年にデビューし、圧倒的な存在感と楽曲の数々で80年代メタルシーン隆盛の立役者となり、その歴史において常に常軌を逸したゴシップや愛憎劇を提供、世界中のミュージシャンに大きな影響をもたらし、2015年にとうとう解散、かと思いきや2018年に何食わぬ顔であっさりリユニオン、今夏に(おそらく延期されるでしょうが)大型ツアーも控え今なお現役として活動する、もはやどの角度から見ても大御所&レジェンドといえるバンド、Mötley Crüe。
でもどういうわけか、Mötley Crüeがそのヒストリーの中でどのような「音楽的プロセス」を経てきたのかを詳細に分析・考察している記事はほとんど見たことがありません。
1981年の1st『Too Fast for Love』から1989年の5th『Dr. Feelgood』までのアルバムはまだマシです。なぜなら「メタル名盤◯◯選」的企画になるとそのへんの作品は必ず入ってくるし、各種ディスクガイドでもたいてい取り上げられ軽く解説されるから。
ですがその後のスタジオアルバム4枚に関してはほぼ皆無といっていいでしょう。
●なぜMötley Crüeの音楽を考察する必要があるのか
まずは上記の通り、キャリアの割に音楽的分析・総括がほとんどなされていないバンドであるから。そして、その一般的イメージとは裏腹に、実際の音楽的変遷はめちゃくちゃ独特で個性的だからです。特に'90年代以降のMötley Crüeはいろいろな観点でもっと考察されてもいいのではと私は思う。なので振り返ってみたいなと。
●そもそもMötley Crüeの音楽を考察する必要があるのか
これに関しては、率直に言って「別にしなくてもいい」が正解です。なぜならMötley Crüe自体がそういう行為を求めないスタンスに立っているから。
過去のインタビュー(特に'90年代)においてのNikki Sixxは音楽的な冒険をアピールする言動をたまーにしていましたが、現在の彼らは完全に「Mötley Crüe」という看板・パブリックイメージに依存した商売をしており、1994年以降の楽曲をなかったこと、は言い過ぎまでも、あまり重要視していない節があります。
その方針は正しくて、オールドファンの大半が求めているのも「1991年までのMötley Crüe」だし、新規ファンにとってもすんなり入りやすい。
私自身も、「Mötley Crüeでまず最初に1枚聴くなら」を訊かれた場合の回答は1999年に発売されたベスト選曲ライヴ盤『Live: Entertainment or Death』一択です。バンドの魅力の9割が余すところなく詰まっているのがこのアルバムだし、これとベスト盤を聴いておけば正直それで十分です。
エンターテイメント溢れるド派手なライヴを体感したければ2005〜2006年のツアーを収録したDVD/BD『Carnival of Sins Live』を観ればいいし、一番血気盛んな頃のMötley Crüeを見たければ1983年USフェスティバル出演映像を観ればいいし、最も脂が乗り切り演奏パフォーマンスも申し分ない完璧なMötley Crüeを味わいたければ「Dr. Feelgood World Tour '89-'90」の映像が多数転がっているのでそれを観ればいい。
だがそれでも。たとえメンバー自身が黒歴史扱いしているとしても。やはり1994年以降のスタジオ音源におけるMötley Crüeのおもしろさはちゃんと触れられておくべきではないかと思うのです。
なお今回は序論として1991年までのMötley Crüeの音楽をさくっと(このへんは散々各所で触れられているので)、次回に本論として1994年以降のMötley Crüeに触れていきます。
●1981年から1991年のMötley Crüe
『ヘドバン Vol.25』誌でもちらっと書いたのですが、Mötley Crüeというのは非常に不思議なバンドで、その音楽的出自がよくわからない人たちです。
1981年の1st『Too Fast for Love』からして、冷静に考えれば異様なアルバムなのです。よく聴けばSweetやKISSからの影響も感じられるものの、それにしては尖りすぎているし、音としては同時代のNWOBHMに近いと言えるものの、曲のキャッチーさがやたら強い。
Nikki SixxがMötley以前に在籍していたSisterやLondonでの音源を聴いても、またNikkiの音楽的趣向を踏まえたとしても、「なぜこんな音が出来上がったのか」がいまいち推察/説明しづらい。
そしてこの「よくわからない」感じが、Mötley Crüeの核なのです。
2nd『Shout at the Devil』になると音の重さと邪悪さが急激に増し、ここで聴けるのは完成度の高い超シリアスで硬派なヘヴィメタル。
その次の3rd『Theatre of Pain』はメディアではたいてい駄作とみなされており、「聴きどころは"Home Sweet Home"と"Smokin' in the Boys Room"だけ」とされていますが、別にそんなことはないです。
確かに2ndの完成度と比べると弱い楽曲があるのは事実だし、ドラッグ&アルコールでヘロヘロの状態で制作されているのでメンバー自身が「良いアルバムではない」と発言しているというのもありますが、このアルバムは上記2曲以外にも強い曲はあります。
鍵盤が効果的に入りドラマティックさを演出している"Tonight (We Need a Lover)"、ライヴ映えする"Louder Than Hell"、1stとは異なるキャッチーさをもったヘヴィメタル曲"Use It or Lose It"、"Keep Your Eye on the Money"あたりは秀逸です。特にMick Marsのギターは相当に冴えている。2ndとは異なる類のヘヴィメタルさが感じられるのが『Theatre of Pain』のポイントではないかと思います。
そして1987年の4th『Girls, Girls, Girls』。"Wild Side"と”Girls, Girls, Girls”というMötley Crüeのパブリックイメージを象徴する名曲2つが冒頭に配されたこのアルバムの特徴は、ロックンロールなノリをメタリックなリフと融合させた独自のアメリカンメタル。
ここまでの4枚ですでに、Mötley Crüeの音楽にはあまり統一性がありません。脈絡や他バンドとの関連性もあまりない。各時期でのイメージ戦略と合わせ「アルバム毎に音楽性を変えている」とは本人たちも周りも言っていたことではありますが、私はこの点については「単にNikki Sixxが飽きっぽいだけ」ではないかと睨んでいます。特にこの後、現在に至るまでのNikkiの活動の傾向を見ているとなおさらそう感じる。
一方でNikki Sixxは、意外にも昔から一貫して自分たちの音楽が「ヘヴィメタル」であることにこだわりを持つ人でもあります。各種インタビューでもNikkiの口からは頻繁に「ヘヴィメタル」という単語が出てくるし、1994年の時点でフェイヴァリットとして挙げていたJudas Priest『Screaming for Vengeance』を、2019年になってもインスタグラムのストーリーズで「最高のアルバム」として載せるほどのオールドスクールメタラーなのですこの人は。
1987年頃になると「グラムメタル/LAメタル」の代表格として扱われ、いま現在もそのように見られがちなMötley Crüeですが、同時期のグラムメタルバンドと聴き比べるとわかるように、この人たちの音楽はかなり異端です。
いわゆる「グラムメタル/LAメタル」の音像としては、Mötley CrüeのどのアルバムよりもPanteraの『Power Metal』の方が近い。
Nikki Sixxのこだわりと飽きっぽさがうまく変換され、グラムメタル/LAメタルというよりは「いろんな方面に尖ったヘヴィメタル」を常時展開していたのが1980年代におけるMötley Crüeなのではないかと思うのです。
そして1989年『Dr. Feelgood』になると、音の質感が一変します。Bob Rockの出世作&代表作と言われているように、重厚さと完成度を携えた一切隙のない完璧なミキシング&マスタリングを施したBob Rock(とエンジニアのRandy Staub)の手腕は見事で、間違いなく世界的成功に値する一級品の音作りがなされたアルバムであります。
楽曲的にもこれまでよりタイトとなり、変化しつつも「とある方向に尖ったヘヴィメタル」の体現は継続。これは1991年の"Primal Scream"(ベスト盤『Decade of Decadance』収録の当時の新曲)でも同様です。
そして2000年代以降のNikki Sixxは、この『Dr. Feelgood』の「完成度の高い音」をMötley Crüeの基準としているように見受けられます。
1990年代Mötley Crüeの尖りの方向性とは。
「完成度の高い音=Mötley Crüe」と捉えた現在のNikki Sixxとは。
本題となるそのあたりは次回書きたいと思います。