ゴリラ育成計画

 ゴリラを辞めてからかなりの歳月が流れた。僕がゴリラだった頃に比べると比較的、コンプライアンスやらの意識が向上して、ゴリラたちの環境も改善した部分があると思う。
 僕がゴリラをやっていた時は、上司が叫びを上げながらゴミ箱を蹴飛ばす、拳をデスクに叩きつけて絶叫、タイマンで会議室で翌日のクロージングの詰めということが多々存在していた。ちょっと書けないような詰めもあって、なかなかエキサイティングだったけれど、地獄のような日々を経験したおかげでこいつの詰めは大したこと無い。詰めエアプみたいなことをたまに考えてしまう。よくない。
 締め月になると地獄のような光景をたまに思い出して、俺はそういう環境にいないんだなあ。よかったとイラク戦争帰還兵のような感情を抱くことがある。たまにいまもゴリラをやっている夢に見るぐらいなのでトラウマになっているんだと思う。つらい。
 そういえば実際にまだゴリラをやっている元同僚から「労働時間の制約が付いたことで、制約がない管理職(係長クラス)が残業して穴を埋めているよ。労働環境はよくなった。残業代も付くようになったし」と聞いたので、わりと労働環境はよくなったのだろう。たぶん。ぜんぜんわからないけど。

 ゴリラになるために僕がいた会社は数ヶ月の研修をして、総仕上げに飛び込み営業を1日◯◯件やるという育成課程があった。新入社員として入社した4月はキラキラしていた人間が、5月、6月になるにつれて現実とのギャップをどうにもできず、3ヶ月、6ヶ月ぐらいの節目に消えていくのが常だった。きらきらした理想だけでは現実と戦えない。彼らはそのことを身を持って教えてくれた。
「自分は社長になります」とルフィみたいなことを言う人間は例外なく心を病んで数ヶ月で辞めていった。これは世代関係なく共通していて中々、人事上で興味深いテーマだなと思う。詳しく研究するのは大変だろうけれど分析するに値するテーマだろう。誰かやっている人がいたら教えてください。
 ゴリラになるために覚醒するための儀式として、毎朝、営業の心得的なものを絶叫するのだけど、この高貴な心得を信じすぎると死ぬ。心得はあくまでも建前でしかないのである。心得は現実とフィックスして、自分なりの着地点を模索していかなければいけない。
 お仕事をしている人はわかってもらえると思うけれど、ノルマとは無限に増加していくので、たまにできない場面を作ったり「一生懸命クロージングをしたけどダメだったっす!」的な頑張ってますアピールをしないと、無限増殖するノルマに潰される。あと人事評価に殺されてしまう。
 特に売上の数字だけで評価されるゴリラはそれが顕著だ。課のメンバー全員で死にものぐるいになって予算を達成すると、翌年の予算が信じられない金額になる。数字しか理解できない頭でっかちな人たちは、数字の計算しかできないので、人間の負荷や限界性能を考えることができない。
 だから自分の予算を達成したら、課の予算とか、部の予算とかはきれいさっぱり忘れて、課長や部長がどれだけ騒ごうが「俺は予算を達成した。達成しとらんとはお前(課長と部長)だけ」と思いながらゴリラの罵声を聞き流すしかないのだけど、社会に出たてのゴリラはここがなかなか理解できない。ここらへんの力の抜き方については電通の裏十則を読んでほしい。すごくためになる。
 結果として心が普通のゴリラは疲労で辞めていくし、すごく仕事ができるゴリラは転職していって、適度に力の抜き方がわかっているゴリラと、ダメージが通らないゴリラだけが残る。
 数字しかわからない本社と、無理に予算を達成してしまう現場等、さまざまな要素が複雑に絡み合って地獄が形成される。たぶん今月もものすごい地獄があるんだろうなあと思いながら、蚊帳の外で仕事してます。ゴリラ辞めてよかった。

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