99.選択は洗濯の連続である
人生は選択の連続です。
生きることは、選択の繰り返しの上で成り立っています。
人生を左右するような大きな選択でも、日常の習慣となっているような小さな選択でも、何を選択するかで行動が決まるものであり、その行動がまた新たな選択を生み出していきます。
そして、そういった選択の積み重ねによって、今という現実が創り出されているといっていいでしょう。
選択肢は、無数にあるものであり、その時々で何を考え何を感じたかで、その後の未来も変化していくものです。
では過去の選択は、どういった基準で行われているのでしょうか。
何かを選択するときには、それを選んだ原因が必ずあるはずであり、その原因が選択の基準となります。
たとえば、何かを購入する場合、安いものを選んで買うのか、それとも心が躍るものを選んで買うのか、そういった選択の仕方で結果が変わってくるものです。
いつも安さを基準にして何かを購入していた場合の結果は①になります。
しかし、心が躍るものを基準にして商品を買っていた場合の結果は⑧になることでしょう。
あるいは、値段と自分が必要としているものを照らし合わせて、ニーズと金額が妥当なものを購入していたとするなら、結果は⑤になるかもしれません。
もちろん、どれを選択したかに善し悪しはありません。
なぜかといえば、それを選択したときの気持ちが最善の結果だからです。
とはいえ、現状があまり上手くいっていないと感じて、これまでの選択の仕方を振り返ったときに、自分がどういった基準で物事を選択していたかを知ることができると、実は選択の仕方に問題があったと気づけるようになるものであり、この気づきによって選択の仕方を変えられるようになったりします。
たとえば、いつも安さを基準にして買い物をしていたら、買ったものはすぐ壊れ結果的に高くついているなと気づいたり、いつも心躍るものを買っていたけど、結局、普段そんなに使うことがなく物ばかり増えているな、と気づいたりします。
こういった気付きを得ることができると、今度はそれまでとは異なる新しい基準での選択ができるようになっていきます。
選択の基準を変えると未来が変わります。
選択という原因を変えると、未来という結果が変化するのは、当然のことといっていいでしょう。
しかも、この選択の基準(原因)を明確にしていけばしていくほど、自分が望む未来に近づいていけるようになっていくものです。
もし自分が望む未来を①として、この①を明確にすればするほど、選択の基準がより具体的に変化し、それにともなって迎え入れる未来も変化していきます。
仮に物が少ないシンプルな生活をしたいといった思いを明確に持つことができれば、物を購入する際の選択の仕方が変化します。
あるいは、自分の好みのものに囲まれてワクワクして過ごしたいといった思いを明確に持つことができれば、それが何かを購入するときの明確な基準となることでしょう。
つまり、どんな未来を過ごしたいかを明確にしていけばいくほど、選択の基準が明確になっていき、その結果、自分が望むような未来を過ごせるようになっていくのです。
このどんな未来を過ごしたいかを明確にするということが、今日のタイトルの選択は洗濯の連続であるということです。
明確にするということは、いわば余分なものを洗い流して綺麗にするということであり、「洗濯」と言い換えることができます。
しかも綺麗に洗濯されたものを着るのは心地がよかったりするように、洗練された選択(洗濯)ができると、それだけでさっぱりとした心地よい気持ちになれたりします。
そういった意味でも、何かを選択するときには、心残りのないようにさっぱりとした選択ができるようになれば、自分の望む未来に近づけていけるようになるでしょう。
しかし、何かしらの違和感が残ったままでする選択は、ベストな選択とはいえません。
ちょっとした妥協が、場合によっては①の未来から②の未来へと変えてしまったりします。
なので、どんな選択も自分の気持ちがさっぱりとするような選択ができるようになる習慣を身に付けることが欠かせないのです。
自分の気持ちがさっぱりすること、心地よいと感じることを選択し続けると、さっぱりとした心地よい未来を迎え入れることができます。
しかも、そうったさっぱりとした心地よい選択をし続けていくと、今度は自分の望んでいた①の未来とは異なる①+αという、予想外の未来を体験できるようになったりします。
もちろん、①+αの未来がどんなものかは想像できません。
とはいえ、①+αの未来の方が①の未来よりも最良の結果となるのは、当然のことといっていいでしょう。
というのも、①+αの世界には想像の出来ない不思議な出来事がたくさん起こる世界だからです。
この①+αの未来は、洗濯された選択をし続けることで生まれるものであり喜びの中で過ごしていける状態です。
この喜びの中で過ごしていける状態を言い換えるなら、自分と一致した状態といってもよく、この自分と一致した状態で過ごしていけるようになると、自分がこの世界ですべきことできるようになっていきます。
そういった意味でも、日々の選択を可能な限り妥協せずに、絶えず洗練された選択をする習慣を身に付けることが大切になってきます。
自分がすべきことをして生きられるようになると、人は楽しくかつ楽に生きていけるようになります。
なぜかといえば、自分がすべきことをするということは、楽しいことであり、やっていて苦にならないことだからです。
今の我々が目指すところは、この自分では想像できないような今を歩んでいくことです。
自分では想像できないような未来を、今この瞬間に生きることは、まさにワクワクの連続といっていいでしょう。
もちろん、自分では想像できないことを引き起こそうとすることは不可能なことです。
しかし、自分では想像できないことを引き起こすという、その可能性の種は、誰もが生まれ持っているものであり、この可能性の種を発見できるかどうかが選択の仕方にあるといってよく、可能な限り自分と一致できることを選択をするということが大切なのです。
この自分と一致した選択をするためには、常に自分の心に問い合わせてみるという習慣を身に付けるのがいいでしょう。
我々が日々している選択の大半は、ある意味でこれまでの習慣による無意識の選択だったりします。
しかし、普段の習慣で無意識的に選択してしまうのではなく、改めて自分の心に聞くという習慣を身に付けられるようになると、自分の心と一致した選択ができるようになっていきます。
そこで何かを選択するときは少し時間を作って自分の心に聞いてみるという習慣を身に付けるとよかったりします。
そういった自分の心と対話する習慣を身に付けることができると、次第に自分の奥の中にいる自分と一致できるようになっていきます。
我々の魂は、自分がすべきことをする道を望んでいます。
そして、自分がすべきことができる道を選ぶことができると、+αの出来事が起こり始めるものであり、それが喜びとなっていきます。
そうなるためにも、自分の心と対話し、いつでも洗練された選択ができるような習慣を身に付けることが大切です。
選択は常にさっぱりとした選択をする。
外側の情報ではなく、自分の心の声を聴いて選択すること。
これができれば、①+αの人生を送っていけるようになります。
それが自分の道を歩むための秘訣になります。
答えは、常に内側にあります。
この答え見つけ選択していくことが、これからの生き方になるのだと思います。
人は一人一人違うからこそ、答えも一人一人異なるのは当然のことなのであり、喜びの道は人と違っていていてもいいのです。
人が喜びの道を歩むとき、あらためて自分を知ることができるようになるでしょう。
喜びは洗練された選択で生み出すことができるのです。