還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ その2
スタディアブロードの目的
目的は自分へのご褒美一人旅
シャワーを浴びながらケンの言った言葉がリフレインしていた。私のスタディアブロードの目的は実際にはなんなのだろう。
家族には東京オリンピックでボランティアをやるために英会話が必要だからと話してきたが、本音を言えば“自分へのご褒美ひとり旅”だ。
だからこのスタディアブロードでの英語学習の最終目標は、帰国時の機内アナウンスが聞き取れることでいいと決めている。
そのため英語の勉強よりも遊びを優先できるので、残りの日々も積極的にいろんなことにチャレンジしたいと考えている。
代官のlineにお礼をポストしてから、イベントのlineにお疲れ様でしたみなありがとうと投稿してから、スクールlineに今日の食事会の事をかいつまんでポストした。
そして私のスタディアブロードの目的は自分へのご褒美ひとり旅なので、マニラでの残りの日々を楽しむぞって投稿してベッドに横になった。
朝起きてルーティン後にスクールlineを確認したら書き込みだらけだった。それにそれぞれの投稿は長文だった。
“何があったんだろう??”と文章を読んでみると、夫々がスタディアブロードの目的について熱く語っていた。そうか、私の書き込みに触発されて皆が本音で書き込みしていたのだった。
日本で事業に失敗してマニラに骨を埋める覚悟
マサシは、サラリーマン時代に得意の英語で役職を掴み皆から尊敬を集めていたが、皆の前で英語での致命的なミスをしたことがトラウマとなって、人前で英語を話すことに恐怖を感じて喋れなくなった。
そして、早期退職をして夫婦でペンションを始めたが最終的には経営に失敗してしまい終の棲家を求めてマニラに来た。フィリピンの高齢者施設を見て歩くための拠点を探していたが、妻のショウコが何年か前にこのスクールで会ったチャックと待ち合わせすることを望んだのでここに来た。
フィリピンで永住ビザを取得して年金で暮らし、余生を楽しみながら二人ともこちらに骨を埋める覚悟だ。というものだった。
妻のショウコはマサシがTOIECで満点のスコアを持っていたことがかえって、責任感の強い彼にとって大きなストレスになっていたと書き込みをしていた。
娘の事で妻と喧嘩して頭を冷やすためにマニラに
そして、世界の松下ことマッキは娘のカミングアウトで彼女がトランスジェンダーと云う事を初めて聞かされて、妻と口論となってしまった。今思えば妻に「お前の育て方が悪かったからだ」といったのは言い過ぎたようで後悔しているが、当時はどうしてよいか分からずに喧嘩したままここにきてしまった。
私はショートテンパーで今まで沢山の失敗をして、その都度後悔してきた。日本語で言うところの短期は損気というのは分かっているのに頭に血が上って自分をコントロール出来なくなってしまうことが多かった。
その一つが高校生の時に不良の友達と他の高校生と喧嘩して、停学になってしまったことが受け入れられなくって短気を起こして、自主退学してしまった経験だ。
親からすれば悪い仲間たちと縁を切らせることも考えて、僕を家の電器屋に入社させ、滋賀県にある街の電気屋さんの後継者を育てる全寮制の学校「松下幸之助商学院」に一年間行かせた。
そこで僕は人としての在り方、正しいものの見方、考え方を確立することの重要性を学び、別の地域のパナソニックの販売店にて3年間住み込みで働きながら修業をした。
その後地元に帰ってきたら高校時代の同級生達は大学生活を楽しんでいるのを目の当たりにして羨ましかった。
学歴に代わる英検1級を取得してブランディング
高校中退という学歴コンプレックスがあったのでビジネスでは誰にも負けないと、趣味ももたずに必死で仕事をしてきたおかげでパナソニックの優秀店として何度も表彰をしてもらった。しかし、本音を言うと学歴に代わるブランドが欲しかった。
それで得意の英会話を活かしてボランティアガイドをしていたが、どうしても英検1級を取得してブランディングしたい。
それで、こちらに何度も来て苦手な筆記を勉強し、何回かテストにも挑戦しているがあと一歩のところで合格出来ていないという内容だった。
義母の介護で疲れたので、長期休暇でマニラに来た
ユリの投稿によると彼女のスタディアブロードの目的は介護休暇という事だった。彼女の夫は町工場を経営していてユリも経理を手伝っている。そして、同居している義母の介護をしていることで、彼女は精神的にも肉体的にも疲れてしまっているが夫の親戚や兄弟姉妹などの反対もあって、義母を施設に入れることが出来ない。
彼らの言い分としては、夫が家も会社も含めて財産はすべて一人で相続したのだからその分母親を最後まで自宅で面倒見るが当然だ。
それに嫁が常に家にいるのだからデイサービスを利用するなどして、母の面倒を最後まで看て欲しいとまで言ってきている。
夫の会社は特殊な技術を持っていて大企業からも注文が来るので仕事は上手くいっているが、義母の介護のことで夫との喧嘩も絶えない。
その為夫がこれからは中小企業も海外との取引の為に英語が必要という理由をつけてくれて、年に2回ほどスタディアブロードをさせてくれている。
私がいない間は介護老人保健施設でロングショートステイとして、一か月間入所して貰っても親戚は文句を言わない。まぁ仕事の為ならば仕方ないかと思ってくれているそうだ。
しかし実際に海外との取引する場合には、顧問の会計士の先生にお願いするつもりなので、ユリも真剣に英語を勉強する気はないということだった。
夫々の投稿に対して様々な質問や意見が飛び交っていた。Lineでもおしゃべりなのは何時ものようにチャックやショウコにユリだった。
そんななかチエのスタディアブロードの目的は何?という質問に対して、チエも応えていた。
私は、以前聞いたことがあったが、知らない方も多かったようで彼女は丁寧に答えていた。
亡き夫との夢を実現するため
彼女は主人との夢を実現する為にここに来た。ご主人は2年ほど前に亡くなってしまって、今は一人娘と娘婿と一緒に暮らしている。
スタディアブロードは初めだけど娘夫婦に背中を押されてこちらに来た。それに費用も娘婿が出してくれた。
それは娘婿が彼女の娘から父親が口癖のように “お父さんの夢は、東京オリンピックでボランティアをやる事。来日した外国人と話がしたい。その為に、僕が定年したらおかあさんと一緒にスタディアブロードにトライして英会話を勉強したい”と言う父の思いに寄り添ってくれたからだ。
娘婿は小さいころに母親を亡くして父子家庭で育ったので、彼女の事を本当の母親のように大事にしてくれている。
本音を言うと韓流ドラマの好きな彼女は、英語より韓国語を勉強したかったが、ご主人は嫌韓で韓国も韓流ドラマも嫌いだったのでそういうわけにもいかなかった。
気持ちでは主人と一緒にマニラに来ていると思っている。
しかしこちらに来てみたら英会話の勉強は楽しくないし、早く日本に帰りたいけど娘夫婦の手前、途中で帰国するという事は出来ないし悩んでいた。そんな時に、ユリと料理教室に参加したり、シゲとマックに食べに行ったりしてこちらの生活も楽しくなった。
ウクレレのイベントも楽しかったので、少しずつ英語の勉強も楽しくなってきている。
あと2ヶ月こちらにいるので、折角だから少しだけでも英語が話せるようになり東京オリンピックのボランティアも楽しみたい。
それに、料理が好きではなかったがこちらで作る楽しさを学んだので、日本に帰ってからも料理教室に通って帰国したら娘たち夫婦の食事を作ってあげたい。
毎日食事を作ることで家での居場所を作りたいし娘婿に恩返ししたい。
スクールに来た目的は日本人と日本語を話したい
そして、チャックがショウコに促されて投稿した。彼女はマニラに住んでいて、ストレス解消の為と日本語を話したいからこのスクールに来ている。
彼女はフィリピン人の夫と暮らしていたが、死別して今は一人。このスクールは居心地が良いから気に入っている。食事も日本食だし掃除も洗濯もしてくれるし、日本人とも話が出来て日本の最新情報を知ることが出来て楽しいらしい。だから半年に一度ほど来て1か月位いる。それが彼女のストレス解消法なのだそうだ。今回はスクールで5年前に知り合ったショウコと申し合わせて再会できたので楽しい。
マニラに住んでいるのは、ご主人の夢を引き継ぐためだ。それは、彼女のご主人はマニラのスラム街の出身だったが、たまたま知り合った裕福な日本人から援助して貰って技能実習生として日本に行くことが出来た。
日本で農業を学んで帰国し新農法や農業機械を積極的に導入して、生産から販売までの事業を起こして成功した。そして生産した野菜などを使った中華料理店も経営することが出来た。
ご主人は、同じ境遇で暮らしているスラム街の子供たちを支援したいと考えてボランティアで日本語を教えたり、技能実習生として日本や韓国に行けるようにサポートしていた。それで、貧困から抜け出せた人達も多い。
そしてご主人は彼女が生きてゆくのに十分なお金を残してくれただけでなく、これからの人生の生きがいまで残していってくれたので感謝している。
自分で出来ることは少ないけど、主人が生きている時からやっていたように、家で働いてくれているメイドさん達に日本語や英語を教えている。
日本語や英語が出来るメイドは賃金が高く貰えるから日本語が喋れるようになったらもっと違った仕事に就くことが出来るようになる。実際にそうやって、人生を好転させた人達も沢山いる。
フィリピンでは英語は公用語だがスラム街の子供達の中には、十分な教育を受けられない子も沢山いて、英語を話せない大人も沢山いる。それが貧困の連鎖を生んでいる。
フィリピン人は基本的に貯金をする文化がないから、手元にお金があれば欲しいものを次から次へと買ってしまう。そしてフィリピン人はお金を持っている人がサポートをするのは当たりまえという認識なのでお金に困っている仲間がいれば援助するし、自分が仲間を助ける代わりに、自分が困った時もきっと誰かが助けてくれると信じているから努力しない。
そんな現状を身近なところから意識改革させてあげて、貧困から抜け出させてあげたいと日々頑張っているので、ストレスが溜まってしまう。その為、定期的にこちらで解消しているということだった。
このスタディアブロードの目的は何?については、何日もlineで投稿が続いていた。途中からはサトエもケンもメンバーに加わったことで、新たな展開になった。
それは、サトエが2週間の体験入学を終えて帰国することになった時の投稿が発端だった。
専門学校を卒業したら地元の観光協会に就職が決まっている
サトエは、専門学校を卒業したら地元の観光協会に就職が決まっていて、入社後は会社から費用を出して貰って半年間スタディアブロードすることになっている。
そのためこちらのスクールとセブのスクールとに体験入学をすると決めていた。
このスクールはONE ON ONE(日本語だとマンツーマン)でセブはスクール形式という違いがあるのでどちらが自分に合っているか見極めたいというものだった。
それに対して色んな意見が投稿されて議論になったが、私は、自分がやってほしい授業をプランニングして先生に頼むならONE ON ONEが良いと思うと投稿した。
サトエはその言葉にすぐに反応して、詳細について質問をしてきた。
私はサトエが観光協会の職員として英会話を学びたいのなら英語によるツアーに参加して、英語の表現方法などを実際に学ぶことが良いのではないか。それにフィリピンの観光協会で研修させて貰ったらと提案した。
そう考えるとマニラには観光スポットがないので、セブの方が良いのではないか。尚、私はスタディアブロードを計画し、色々調べた時には、セブにもONE ON ONEの授業を行っているスクールはあったので、チェックしてみてと投稿した。
私の投稿にサトエはチェックしてみますといってその話題は終了した。
TOIECで900点以上のスコア保持者となり人生を変えたい!
Lineへの書きこみで一番多かったのは、ケンの投稿に対するものだった。
彼は会社を辞めてこのスクールに来たのでTOIECで900点以上のスコア保持者となって、人生を変えたいというものだった。
彼は4人部屋で生活していて他の3人は授業がない日は遊びに行ったりしているが、彼はそれには参加せず土日も8時間の特別授業を受けている。
特にやりたい仕事はないが一流企業に入社して、英語力を活かして仕事をしたい。しかし、彼は人と話すことが得意でないので営業は出来ないと考えているという事だった。
それに対しては、私は若いうちにじっくりやりたいことを探すのが良いよねと大人の書き込みをした。
しかしマサシは何時もの彼らしくなく英語は道具なのでそれで人生を変えることは難しいと思うと辛辣な意見を投稿し、合わせて英語の勉強よりも自分が本当にやりたいことを探すことが重要でありそのためには、色々な人と接することや積極的に外に出てゆくことが必要だと書き込んだ。
マッキは自分の会社の会計士の例をあげて投稿した。それによると彼の会社の会計士は、資格を取ればお客が頭を下げてどんどん仕事の依頼にやってくると考えていたというものだった。
しかし世の中には会計事務所は履いて捨てるほどあり中小企業には、夫々に顧問の会計事務所が既にある。
資格取得は他の会計事務所と競争するためのスタートラインに立ったことに過ぎない。そこからは他の事務所と違う得意分野を持たなければ勝負にならない。
彼の会社は従妹いとこからどうしてもと頭を下げられて仕方なく、甥っ子に顧問になってもらっているが、会計処理の事しか出来ないので不満に感じている。
それというのも甥っ子は社会の動きなどにも関心がないので、世間話も出来ないし経営に関するアドバイスも出来ない。
息子に言わせれば会計処理だけならパソコンがあれば充分で、入力も妻が出来るので会計士は毎月来てくれなくても良い。
決算もパソコンソフトを使えば自分たちで出来るので、会計処理だけの会計士には費用を払うだけもったいない。
もし断れるなら顧問契約を解除して、以前の会計士のような幅広い人脈や広い知識を持った先生に頼みたい。
マッキとしては、甥っ子が新規顧客を獲得することが出来ないようだから、出来るだけ顧問契約を続けてあげたいと考えているが、会社を息子に譲ったらそうはいかないだろうと考えている。
もし甥っ子がTOIECで900点以上のスコア保持者になっていたら、海外進出を計画している中小企業に紹介できるのだが、甥っ子は英語を勉強する気はないようだ。
マッキが言いたいのは、英会話は他の専門的な能力とセットで初めて武器として生きるということだろう。
彼は地元の観光スポットで外国人の為のボランティアガイドをしているが、その場合でも歴史的背景などを説明できる知識やスキルがない人は英会話が堪能でも役にも立たないと書き込みをしていた。
えっつ!ユリは会社役員
ユリは自分のやりたい事を仕事にしている人は、ほんの一握りの恵まれた人だけだ。
自分の夫も他にやりたいことがあったけどあきらめて家業を継いだが、今はそれでよかったと本人は満足している。
夫は中小企業の経営者だが日本中小企業が世界の先進技術を支えているという自負を持っている。そして、少なくても100人以上の従業員とその家族の生活を支えているという責任を常に背負ってくれている。
カーボンニュートラルなど世界の企業が抱えている環境問題の解決策として、夫の会社の技術を外国企業の方々が見に来る事が多くなってきている。
夫は自分自身が英会話を話せればとは思っているようだが、今のところ外国の企業側で通訳を用意してくれているので、英会話によるトラブルはないようだ。
しかしこれから先は待っているだけではなく積極的に世界中のマーケットを相手にして、自社の技術を売り込み、尚且つ先方が必要としている物を創り出すといった新規事業の展開が必要になると考えている。
しかし中小企業が新規事業に参入する場合には、自社の強みを活かせる事業であるかの見極めが必要だ。そして、大企業が参入し辛く競合がないかどうかという視点も重要だ。
マーケットニーズを的確に把握することが必須条件であり、自社の強みを世界に発信して行かなくてはならない。
そのように考えて行くと、夫の会社が持っている技術を英語で説明出来て、技術者として専門知識を持っている人材が欲しいのだが、中小企業ではそんな有能な人材を雇用することは出来ない。
その為に英語に堪能なエンジニアを社外コンサルタントとして、探しているがなかなか見つからないで困っているという書き込みをした。
そしてケンの投稿に対する意見として、ユリは個人としても中小企業と同じように、自分の能力の見極め、マーケットが求めている人材の把握、そして自分が出来ること、得意としていることの情報発信が必要だ。
それに潜在能力も真剣に仕事をしてみなければ、発揮されないし磨かれない。
一途に仕事に取り組むことでその中から面白さを見つけ出すことが出来ると思うと投稿した。
私はこの書きこみを見て経営コンサルタントが書くような文章だと、ビックリさせられたので「ユリって経営にも携わっているの?」って聞いたら、ユリから「えっへん、私だって経営者の端くれですからという答えが返ってきた。」
私は正直いうと中小企業の経営に関して興味がない。それでもユリにどこでそんな知識を得たのか訊いてみた。
それに対してユリから主人は技術者としても忙しいので、専務取締役として私が地元の商工会議所の法人会員となっていて、会員交流会やビジネス交流会、それに経営セミナーなどにも参加しているのよ。との書き込みがあった。
そして商工会議所には経営指導員が経営コンサルティングも行っていて、希望すれば経営に関する相談にも乗ってくれる。
ご主人の会社の役員会では、ユリが得てきた情報を全役員が共有するとともに様々な問題について活発に議論されているそうだ。
ユリって見かけによらず凄い人だった。話の内容が難しすぎてついていけないおやじとしては、現実逃避を試みて、えーと、みかけによらず、って英語でなんて言うんだったかな?と、能天気なことを考えていた。
勿論この話の内容だとスクールlineメンバーからの書き込みはないだろうと思っていたら、マサシから僕は技術を持った中小企業が海外に出ていくためのサポートをしたい、という思いを常に持っていた。という書き込みがあった。
そしてそのために英語も勉強したしCADの技術も磨いていた。しかし、大企業の中では所詮歯車でしかなく実際にはパソコンでCADを使って図面を描いて、英語で説明文を作成するという仕事しかできなかった。
本当は海外の企業に日本の中小企業の優れた技術を売り込む仕事をしたかった。帰国したらユリさんのご主人に会わせて欲しいと、マサシが書き込んだ。
もしそのような需要があるなら日本で中小企業をサポートする仕事がしたいという事の様だった。
ショウコはマサシが自信を無くしてしまった為に、日本を捨ててマニラに骨を埋めることに同意していたが、もう一度マサシがやりたいことにチャレンジしたいという気持ちがあるなら、全面的に応援したいと書き込みをした。
そして「マサシ君がやりたいことをする為だったら生活費は私が働いて何とかするからお金のことを気にせずに精一杯やって欲しい。私は、マサシ君が輝いているのを見るのが大好きなのだからその為なら私はどんな仕事でもするから」と興奮がこちらにも伝わる様な書き込みをした。
マッキが「マサシさんがそういう仕事を請け負うなら友達を紹介できると思うので、友達にlineで聴いてみる」と書き込みした。
マサシは、その書き込みに興奮して是非お願いします。僕も日本に行ってお会いして話がしてみたいですと書き込みをした。
私はマサシに日本に行く前にSkypeで先方と話をしてあたりをつけてみたらと提案し、もし大きい画面が良ければ僕のノートパソコンを貸してあげると書き込みをした。
その書き込みを見て、マッキもマサシもユリもSkypeの使い方を知りたいという事で、私の部屋でskypeの使い方について説明会を次の土曜日に行うことになった。
マサシがマニラで起業!
土曜日の午後に私の部屋にlineスクールメンバーが集まってきてSkypeの使い方を説明した。ケンもSkypeに興味があるということで英語の特別授業を受けずに説明会に加わった。
そして説明だけではつまらないので実際に日本にいる誰かと話してみようという事で、ユリのご主人と繋いでみることになった。
ユリの話だとご主人には出来ないので、SNSが得意な社員と私がユリのlineを使って話をしてみることになった。
話をしてみるとSkypeにも精通しているらしく、即座にユリのご主人のアドレスを登録してくれたので、私のノートパソコンとご主人のパソコンと繋げることが出来た。
ユリは料金の事を気にしていたが、テレビ電話みたいに顔を見て話が出来るけど、料金は掛からないと説明すると不思議がっていたが納得したようだった。
簡単な挨拶をさせていただいて、マサシとユリのご主人との専門的な内容の話が始まった。
マ:「・・・・・キャド・・・・・・・」
社:「・・・・・ナサ・・・・・・・・・」
二人の会話は30分以上続いていて、マサシは何度もうなずきながら自分が過去に作成した図面を見せたりしていた。
ユリのご主人も顔を紅潮させて話は盛り上がっているが、日本語なのにところどころの単語しか聞き取れない。
まるで英語のドラマを見ているような気分になった。他のメンバーを見ても鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
私は飽きてしまって他のメンバーと雑談をしていたが、最後にユリとご主人が話をしてマサシに依頼することが決まったと伝えた。
マサシはこちらで図面を作成して完成次第一度日本でユリのご主人と細部を詰めて、業務委託契約を締結することになりマサシは起業することになった。
ユリのご主人の話だと海外進出を目論んでいる中小企業は多いがそれを阻んでいるのは英語だと考えて、海外企業との打ち合わせの時は通訳に依頼してみるが通訳には専門知識がないのでエンジニア同士の議論がうまい具合にかみ合わないのだそうだ。
その為エンジニアでCADが使えて英語で説明文を書かけて、海外企業と英語で意見交換ができるマサシのような人はとても必要とされているそうだ。
そんなわけでマサシは帰国時にはユリのご主人に紹介して貰って海外進出を推進している信用金庫の支店長と中小企業を沢山顧問先に持っている会計事務所を紹介して貰う事になり、事前にプロフィールを作成してメールで送ってくれるようにとの依頼があった。
マサシはプロフィールの提出を嫌がった
プロフィールの提出に関して私は当然だと思ったがマサシは、プロフィールを作成することに難色を示した。それでも明後日の月曜日までにメールで提出することで合意した。
そのやり取りの一部始終を食い入るように観ていたケンは何かを感じたようで、終始黙っていた。マッキから友人にlineでマサシさんの事を話してみるので、明日Skypeで友人と意見交換をしてみないかという提案がありマサシは快諾した。
私はマサシが自由にSkypeでの打ち合わせが出来るように、ノートパソコンを自分の部屋に持ち帰らせたが、私が帰国する時には起業祝いとしてプレゼントしても良いと考えている。
マサシが起業することになったことで、このスタディアブロードの経験を活かして、メンバーのみんなは今後どうするのかという質問の投稿があった。
私はそれに対して、私のスタディアブロードは自分へのご褒美一人旅なので、帰国後は東京オリンピックのボランティアをした後は特に英会話の学習をする予定はないこと。
そしてこちらに来る前と同じようにウクレレで遊んで、それでも暇を持て余すようならこの経験を小説にでもしようかなんて書き込みした。
自分ではウケ狙いだったのだが実名は出さないで欲しいけど、それとわかるようなニックネームで登場させて欲しいとか、魅力的なキャラクターとして欲しいなどという書き込みが多かった。
チエは亡き夫との共通の目標であった東京オリンピックのボランティアをした後は、英会話の学習は止めて韓国語の勉強をしようと決めている。
目標は韓流ドラマを字幕なしで分かるようになることだそうだ。そうすれば韓流好きの友達と韓国旅行に行った時に、翻訳機の操作をしなくても自由に韓国の人と話が出来るようになる。そうすればもっと韓国旅行を心から楽しめるからだそうだ。
それと今まで料理が嫌いだったがこちらの料理教室で作る楽しみに目覚めたので、フィリピン料理のレシピを沢山仕込んで、帰国して娘夫婦に食べさせてあげたい。
それだけでなく友達が主宰している “健康つくりおふくろの味料理教室”にも参加して、忙しい娘夫婦の朝晩の食事を作ることで二人の健康を支えたい。
娘婿は父子家庭で育ったのでおふくろの味を知らないといって、たまに私が作る手料理を食べてくれるので、その話を聞いたら大喜びしてくれそうだと今からわくわくしているそうだ。因みにスマホで弁当作りの勉強も始めたようだ。
マサシは英会話イップスを克服
月曜日の夕食時の高齢者テーブルは人であふれていた。それは、ユリがフィリピンの先生にマサシのプロフィールを話したことで学習者たちの間で、彼がTOIECの満点スコア保持者ということが拡散したからだった。
TOIECで満点をとる勉強法を聞きたくて、高齢者テーブルのメンバーに混じって上級者テーブルメンバーのケンもマッキもそして、関西の女子大生のナオミまでが座っているからだった。
中級者テーブル席も普段よりも人数が多く集まっていて、聞き耳を立てているようだった。
鍵:「マサシおめでとう。マッキの知人の経営者とも業務委託契約を締結できそうだって聞いたよ。」
マ:「ありがとう。なんか急に運が向いてきたようで嬉しいよ。これもシゲのお陰だよ。」
鍵:「僕がなにをした?」
マ:「シゲがウクレレを教えてくれて、イベントにも参加させて貰ったことで新しい世界が広がった。それにシゲは僕の英語に対する考え方を劇的に変えてくれからとても感謝している。
シゲの凄いところは文法的に間違っていようと発音が怪しくても出鱈目の英語で堂々と話すだろう。さも分からないのはネイティブが分かろうとしないからだと開き直る部分もあるじゃないか。
僕のサラリーマン時代には、周りは優秀な人ばかりでシゲみたいな人は一人もいなかったんだ。僕もシゲのように適当な英語を話したいって思えるようになったんだ。」
鍵:「それってちっとも褒めていないけど。」
シ:「マサシ君はシゲと会うまで英会話イップスで全く英語を話せなかったけど、あなたと会ってからは英語を喋れるようになったわ。ありがとう。」
鍵:「英会話イップスってきいたことないな。ゴルフでイップスに悩んでいるプロやアマチュアを知っているけど。彼らは、プレッシャーで手が動かなくなってしまうんだ。特にひどいのがパターやアプローチといったどちらかというと小さな動きの時が多いんだけど。それと英会話となんの関係があるの?」
シ:「そうなのよ。私もマサシ君のイップスを治すために色々調べたわよ。
運動のイップスは心の葛藤により筋肉や神経細胞、脳細胞にまで影響を及ぼす心理的症状で、プレッシャーにより極度に緊張を生じ無意識に筋肉の硬化を起こし思い通りのパフォーマンスを発揮できなくなってしまうの。
英語ネイティブとのコミュニケーション時に、脳細胞や口の周りの筋肉が硬化してしまって英語が話せなくなってしまったのよ。
英語イップスになった原因は、重要なビジネスシーンで初心者レベルのミスを犯したことだったのよ。
普通の人ならジョークとしてごまかすこともできたでしょうが、マサシは生真面目すぎる性格なのでそれが出来なかったの。
それで私もマサシ君が英会話イップスを克服できるように色々試したのだけどダメだったわ。」
マ:「そうそう。僕の担当ドクターによると最近ではスポーツ以外にもイップスに悩む人は増えているそうなんだ。
テレビで活躍しているお笑い芸人がギャグを言ってもウケない事が原因で、ボケることが出来なくなるというのもイップスだと言われているんだ。
僕はシゲのお陰で英会話イップスを克服できたから俄然やる気が出てきたんだ。考え方も前向きになったことでおやじギャグがウケなくても笑い飛ばせるようになれたんだ。
明るさを取り戻したことでスクールの仲間からも取引先を紹介して貰ったり出来たと思う。」
マサシの学歴コンプレックス
松:「僕の友達も喜んでいましたよ。僕に凄い人を紹介してくれてありがとうって何度も感謝してくれましたよ。」
マ:「こちらこそどれぐらいお役に立てるか分からないけどベスト尽くしてみます。」
ユ:「家の主人も喜んでいたわよ。これでお前のスタディアブロード費用の元が取れたって言っていたわ。まぁ、プロフィールをみて相当ビックリしたみたいだけど。」
鍵:「何?マサシは逮捕歴でもあるの?」
ユ:「シゲ、全然違うわよ。彼は東大の医学部に入学して途中で工学部に転部した秀才なのよ。」
鍵:「へえ~。マサシって凄いんだな。」
ユ:「ダメよ。気軽にマサシって呼んじゃダメ。安田先生とかマサシ先生って呼ばなきゃ。」
シ:「マサシ君は、学歴コンプレックスがあるからかわないで。」
鍵:「そういう場合も学歴コンプレックスって言うの?」
シ:「そうなのよ。学歴のせいで本人が一生懸命頑張っても努力が評価されないのよ。東大卒ならTOIECで満点とっても当たり前と言われちゃうし、反対に英会話でのちょっとしたミスも上司からここぞとばかり、東大卒がそんなイージーミスをしてはいけないという言い方で叱責されちゃうそうなのよ。」
マ:「そうなんだ。困ったことに学歴は一生卒業できないんだ。同じ学歴の人が少ない職場だと何時も東大卒の〇〇ってなっちゃうんだ。それが僕は嫌だったんだ。」
鍵:「でもどうして医者にならなかったの?」
マ:「僕は医者になる気はなかったんだけど親からも先生からも、マサシは頭がいいんだからとりあえず、医学部に入ってから後の事は考えればいいんだからと云われたからさ。
塾の先生も富士山の頂上に登れば、静岡県側にも山梨県側にも好きな方に降りられるって、医学部の受験を後押ししてくれたんだ。
その時は分からなかったけど登山付きの塾の先生は、やりたいことが見つからない時はとにかく立ち止まらずに頂上を目指せ、そうすればそれが見つかった時には軌道修正は簡単だからって言いたかったのだと思う。」
鍵:「塾の先生は良いこと言ってくれたんだなぁ。」
マ:「そうなんだ。それで立ち止まらずに勉強を続けることが出来て、入学してみたけど授業が全然楽しくないんだ。
それでつまらないから図書館に入りびたりで、医学書を読み漁っていたら医者が患者に対して医療を提供する為に必要とされる先進技術が、諸外国と比べて日本は遅れていることに対して問題意識を持ったんだ。
その一例としてロボットアームや人工内耳というものが紹介されていた。
その時に僕がやらなければならないことは、これだと思ったんだ。先進技術で医療をサポートする仕事をやってみたいと考えるようになり技術で社会を支えたいと工学部に転部したんだ。そして医療機械メーカーに就職したんだ。」
鍵:「なるほど。やりたい事に出会えたってすばらしいなぁ。塾の先生の選択肢を広げるためにとりあえずてっぺんに登れというのが、やくにたったんだな。医学部から工学部の転部は可能だけど、
その逆は難しいだろうから。しかしどうしてやりたい仕事に折角出会えたのに、退職しちゃったの?」
マ:「僕がやりたかったのはセールスエンジニアとして医者が望む物を形にして、意見交換しながら微調整して製品化していくという事だったんだが、実際の仕事としてはセールスエンジニアから指示されたとおりにCADで図面を作成する事だけをやらされていたんだ。」
鍵:「英語も必要なかったの?」
マ:「クライアントが英語圏の企業の場合は、プレゼンや打ち合わせの時に参加していたけど、主な役割は英語での資料作成業務だった。時折想定外の質問があった場合は、英語で簡単に説明するぐらいだったんだ。」
鍵:「そうかそういう場で、英語でのケアレスミスを犯したことで英語イップスになったってわけなんだ。」
マ:「そうなんだ。そういう場で上司が僕をクライアントに紹介するときに学歴とTOIECの満点スコアホルダーって紹介するんだ。
そういう時は何時も学歴コンプレックスを感じたんだ。」
松:「高校中退という事の学歴コンプレックスの僕からしたらTOIECでの満点のスコアも学歴も名詞に書きたいとおもっちゃうけどな。
実はTOIECで満点を取るための勉強法を聞きたかったんだけど、最初から脳みその出来が違うんだから聞いても参考にならないかもしれないけど、チョットだけ教えてくれるかな。」と、TOIECの話題になったので私は、席を他の学習者に譲って部屋に戻った。
後日談だがマサシは学習者たちからTOIECの勉強方法やモチベーションの維持という英語学習に関することや人生を掛けてやりたい事にどうしたら出会えるかについて、長時間質問攻めにあったそうだ。
ブランド力が命!
代官が卒婚⁉
部屋に帰ってlineを見てみるといつものように代官からの猫の写真とニャーの投稿でいっぱいだった。
一通りチェックしながら適当に「いいね!」や「かわいい!」と書き込んでいたが、そのなかにまじめな長文の投稿があったので、読んでみると近日中に帰国するという内容だった。
代官の書く文章はとても難解で分かり辛いが何回か読み直してみると。
彼が伝えたいのは
・本社勤務が決まったので今週中に帰国することになった。
・猫カフェで会う約束は残念だけどキャンセルさせて欲しい。
・帰国しても代官山の自宅には戻らずにしばらくの間は会社の寮で生活する。
・シゲさんが帰国したら日本で会いましょう。
・連絡は今まで通りlineでお願いします。
というものだった。
私が転職は検討したの?と書き込みをしたら。
代官から「付き合いのあるマニラの会社の社長に何人か相談したけど、大企業から中小企業への転職はあなたには無理だから止めときなさいと説得された。
それにマンパワーで仕事をしている人ならまだどうにかなるけど、管理職なら出来ますと言われても活かしようがない。
一流企業のブランドがなければあなたの価値はない
つまりあなたは一流企業の役員というブランド力があるから仕事ができるのであって、それが無くなくなったら価値がないと言われたようで悔しかった」と書き込みがあった。
私は「代官には大企業の看板が無くなっても英語も、タガログ語も喋れるのだから今までの経験を活かしてコンサルタントとして起業するという選択肢は検討した?」って投稿したら。
それに対して代官からは「あたりまえだけどフィリピン人ならタガログ語も英語も普通に喋れるから差別化は出来ない。そして起業に関しては「今まで同僚や上司がトライしたが、そのほとんどが3年以内に開業資金が底をついて廃業して、家族もすべてなくしてしまうのを見てきた。会社員の時はみんな優秀な人でバリバリ仕事をしていたけど、会社というブランドを失うと一人では何もできないという現実をいやというほど見てきた。」だから起業するという選択肢はない。という書き込みがあった。
私は「代官が帰国後に別居したらそのまま離婚することになってしまうから、踏ん張って自宅に戻ったらどう?」と書き込みしたら。
代官から「お互いのメリットを考えて、卒婚をすることを提案したら妻も了解してくれたのでしばらくは別々に暮らしてみようと決めたんだ。」という投稿があった。
卒婚って何?と訊いてみると。
代官から「婚姻状態にある夫婦がお互いに干渉することなく個々の人生を歩んでいくという生活形態のことで、婚姻関係を維持するので離婚ではない。愛情のないままで婚姻関係を維持する仮面夫婦とも異なった概念とされているんだ。
別居する場合と同居を続ける場合があるが、別居していても卒婚ならばお互いに世間体も保てるし妻は経済的な不安から解放されることになる。離れて暮らしてみて結婚記念日などでたまに会う関係を続けることで、時が経ってお互いが必要と感じて再び同居するケースもあるんだ。それなので我が家にピッタリだと思うんだよ。」と書き込んだのをみて確かにそうだと納得した。
帰国前のスピーチレッスン
私のスピーチの内容については、マーガリンとジャムからアドバイスを貰う事にして、とりあえず日本語で文章を作ってからそれを英文にすることにした。
皆さんこんにちは。私は今週末に帰国する予定です。
「Hello everyone. I plan to return to Japan this weekend. 」
今回が私にとって初めてのスタディアブロードでした。
This was my first study abroad.
フィリピンに来たのも初めてでしたが楽しく過ごすことが出来ました。
「It was my first time to come to the Philippines, I had a fun time. 」
私の意見ですが英語の勉強には留学が一番だと思っています。「「In my opinion, studying abroad is the best way to learn English. 」
そして留学するならマニラがお勧めだと思います。
「And Manila is the best place to study abroad, I think. 」
先生方ありがとうございました。スタッフの皆さんにも感謝します。
「Thank you to the teachers. I also thank all staff. 」
毎日の食事がおいしかったです。ありがとう。そして、学友の皆さんありがとうございました。
「The daily meal was delicious. And thank you to all the classmates. 」
私は来年の東京オリンピック2020で都市ボランティアとして英語での道案内を担当します。
「I will be in charge of guidance in English as a city Volunteer at the Tokyo Olympics 2020 next year. 」
フィリピンの皆さん来年日本に来てください。
「Everyone in the Philippines, please come to Japan next year. 」
その時は私が素敵な場所を案内しますよ。お世話になりました。本当にありがとうございました。
「At that time, I will show you a wonderful place. Thank you for helping me. I’m thankful to you. 」
ウクレレで2曲弾き語りをします。一曲目は“今日の日はさようなら” です。2曲目はカントリーロードです。知っている方は一緒に歌ってください。
「I will play two songs on the ukulele. The first song is 今日の日はさようなら。」
「The second song is カントリーロードIf you know, please sing along.」
この英文についてジャムからリンキングとリダクションのレッスンを受け文章について幾つかのアドバイスは貰ったが大幅な修正をせずにこのままで行くことに決めた。
マーガリンは、日本の歌に関して興味があるようで “今日の日はさようなら”の歌詞の意味を知って一緒に日本語で歌いたいという事で、スマホの翻訳ソフトを活用しながら英語で説明した。
この曲は作詞作曲とも:金子詔一氏で森山良子さんが歌い、“日本では卒業ソングとして広く歌われ親しまれている曲だ”It is song that is widely sung and as a graduation song in Japan.と説明した。
そして、まずタイトルの“今日の日はさようなら”は、Today’s day is goodbye.と説明したがどうにか分かってくれたようだった。
♪いつまでも絶えることなく友達でいよう♪「Let’s be friends forever.」といった具合に翻訳ソフトを使って
♪明日の日を夢見て希望の道を♪「Dreaming of tomorrow’s today of hope.」
♪空を飛ぶ鳥のように自由に生きる♪「Live freely like a bird flying in the sky.」
♪今日の日はさようならまた会う日まで♪「Today’s day is goodbye until the day we meet again.」
♪信じあう喜びを大切にしよう♪「Let’s cherish the joy of believing in each other.」
♪今日の日はさようならまた会う日まで♪「Today’s day is goodbye until the day we meet again.」
♪また会う日まで♪「until the day we meet again.」
説明したが何となくわかってくれたようだった。
マサシはアクティブシニアハウスに入居して起業
マサシとショウコはフルーツの旦那の小倉さんが経営するアクティブシニアハウスの1LDKで暮らすことになった。
そしてリビングの隅に新しく購入したデスクトップパソコンとプリンターを設置して、マサシは仕事を開始した。
マサシが起業することはチャイナタウンの中華料理店で一緒にボランティアでウクレレ初心者レッスンをしているビーナスからフィリピンのウクレレ仲間にも伝わり、大門から彼女が勤めている病院の医者仲間と一緒に話が聞きたいというオファーがイベントlineに来た。
それを契機としてイベントlineは、マサシへの相談投稿やそれに対する書き込みが多くなった。
それは現在彼らが使用している医療マシンへの改良点の希望や新しい医療用器具の開発に関して興味のある人たちを大門がイベントlineに招待したからだった。
新メンバーたちは我先にとマサシへの相談投稿やこんなことでみんな困っているという投稿があり、それに対する書き込みの連鎖が続いていた。
全てが英文なので私には殆ど内容が分からないが、マサシの話だと小さいものでは切れ味の良いメスから大きなものはマサシが以前勤めていた医療機械メーカーに依頼しなければならないものまであるそうだ。
そして時代を反映してか3Dプリンターで印刷できるように設計図を制作して欲しいといった書き込みまであった。
マサシはサラリーマン時代の仲間に連絡をとって、自分では手に負えない物は依頼できるネットワークを準備したそうで、ここ数日の間にすっかりセールスエンジニアの顔になってきた。
ユリから帰国前スピーチに関する驚きの提案
夕食の時にユリと帰国前のスピーチについて話し合った。
ユ:「シゲは帰国前スピーチでウクレレを演奏するの?」
鍵:「勿論、リベンジするよ。最初のスピーチの時にカントリーロードをちゃんと弾き語り出来なかったので、帰国前スピーチで頑張って演奏するつもりさ。」
ユ:「私にはちゃんと演奏しているように見えたけど、何が問題だったの?」
鍵:「僕がジョンデンバーの”Take me home, country roads”日本名は「故郷にへかえりたい」なんだけど、僕がイントロ部分を英語で歌い始めた時に、皆が一緒に歌ってくれたんだけど、フィリピンの先生やスタッフは日本語の歌詞だったんだ。
僕は驚いて演奏をやめようかと思ったんだが適当に弾いてその場を取り繕ったんだが冷や汗ものだったよ。
彼らが知っているカントリーロードは、ジブリ映画の挿入歌だったんだ。そして、僕はその歌の歌詞も知らないし楽譜も持っていなかった。」
ユ:「そういえばシゲからカントリーロードは♪Take me home country roads♪の日本語バージョンじゃないって聞いたわね。」
鍵:「そうなんだ。ジブリの耳をすませばの主題歌だったよね。僕は動画で毎日聞きながら練習したからなんだけど、ジブリのカントリーロードはジョンデンバーの曲よりゆっくりなテンポのような気がするんだ。
それで、皆の歌とずれちゃったんだと思う。でも、今度は大丈夫!ジブリの動画を観ながら練習したからテンポも分かったし、楽譜も手に入れたから。」
ユ:「そうそう、私は、雫と聖司が歌う場面に感動したわ。それでシゲに頼みがあるんだけど。」
鍵:「何?」
ユ:「チエがまだ来ていないから言うけど、最近彼女元気ないと思わない?」
鍵:「そういわれてみるとそうかなぁ?どうしたんだろう?」
ユ:「チャックもマサシもショウコもスクールにいなくなってしまった上に、私たちも帰国しちゃうからなのよ。彼女は後2か月ここにいるのよ。それで寂しくて私たちが初めて会ったころの彼女に戻ってしまったのよ。」
鍵:「なるほど。それでどうしようって考えているの?」
ユ:「先週スピーチの時にショウコとマサシが2人で挨拶をして、ウクレレで弾き語りをしたように私たちもやれたらいいなと。そこにチエも参加して貰いたいと思うのよ。」
鍵:「マサシとショウコのスピーチも感動したけどそれ以上に♪Stand by me♪の弾き語りは胸が熱くなったな。♪君がそばにいてくれたら 僕は何も怖くない♪って今の彼らにピッタリだよな。ここに来る前に挫折をして再び夢を掴んだんだから。だけど僕らはどんな曲がいいの?」
ユ:「今日の日はさようならがいいと思うのよ。」
鍵:「その曲は、マーガリンも歌いたいといっていたよ。♪いつまでも 絶えることなく 友達でいよう♪。マーガリンはイケイケだけど、卒業式で歌うイメージだからチエは歌に参加することで余計寂しくならないかなぁ。」
ユ:「そんなことないわよ。一緒に練習することでいろんな話も出来るじゃない。」
鍵:「僕はかまわないけど。チエに聞いてみてよ。」
と話しているところに、チエが階段を下りてきたが確かに暗い顔をしている。
チ:「こんばんは。ユリもシゲも楽しそうね。何か素敵な相談をしているのかしら?」
ユ:「そうなのよ。帰国前のスピーチの時にチエと3人で歌わない?ってシゲを誘っているのよ。」
チ:「いいわね。それで曲名は?」
ユ:「♪いつまでも 絶えることなく♪よ。チエは知っている?」
チ:「勿論知っていますわ。卒業式には必ずって言うほど歌ってきましたわ。」
ユ:「そう。それならスピーチの時に一緒に歌おうよ。どう?」
鍵:「そりゃいいな。いい思い出になるなぁ。チエ一緒にやろうよ。」
チ:「本当に私が参加してもいいのかしら?」
ユ:「是非、お願い!」
チ:「そうね。では参加という事でお願いするわ。」
鍵:「それじゃ。今夜ナイト練習会を僕の部屋でやろう。二人とも都合はいいかな?」
ユ:「いいとも!」
チ:「いいとも!」
そんな話をしているところにマッキが加わった。事の次第を聞いて面白そうだねってマッキも思ったようだった。
鍵:「マッキは何日までここにいる予定ですか?」
松:「今週末までの予定でしたが半月ほど延長することにしましたわ。」
チ:「あらどうしてですの?」
松:「今帰国しても娘の事ですぐにまた妻と喧嘩になるのは目に見えているので、妻にこっちに来てもらって少し観光でもしようかと話したらOK貰えたんで。」
ユ:「あらいい事。夫婦で旅行なんて羨ましいわ。」
松:「お店を二人で切り盛りしていたから一緒に長期の休みは取れずに、夫婦で海外旅行をしてこなかったのですわ。
良い機会なのでこれからの二人の人生について話をしてみようと思っているのですわ。家内が来たらセブのホテルに宿泊して観光を楽しみますわ。
僕が通訳をしますんで家内も少しは僕をみなおしてくれるかもしれませんわ。あっはっはっは。
英語の勉強に来たのに皆さんの夫々の人生と出逢って、もっと大切なものを学習しましたわ。」
英語の勉強に来て料理の楽しみを発見
チ:「私も英語の勉強に来たのに料理を作る楽しみを発見することになってしまいましたのよ。」
ユ:「私が帰国した後も料理教室に参加する?」
チ:「私はそのつもりだけどフルーツが私一人の為にやってくれるかどうかわからないのよ。」
ユ:「生徒が少なくて開催できないというなら、私が友達とオンラインで参加するわ。参加料は振り込むわ。それならやってくれるんじゃない。」
松:「人数が足りないなら僕が参加しますよ。千葉県の電気屋さんで修業している時は自炊していましたから少しぐらいは料理が出来るんですわ。」
チ:「二人ともとても嬉しいわ。ありがとう。」
鍵:「チエは元気が出てきたみたいだね。」
ユ:「そうだよ。その調子!」
結局明後日は、ユリと私が英語で簡単なスピーチをしてから “今日の日はさようなら” とジブリの“カントリーロード”をチエにも加わってもらって弾き語りすることになった。
その為の練習を私の部屋で行った。しかし、当日はイベントの時に買ったTシャツを着ることになったことが私としては恥ずかしい!
5レンジャー再結成!
マーガリンに “今日の日はさようなら” の歌詞を説明するときに難しい部分はlineでマサシに相談したが、彼は忙しいのに親切に教えてくれた。
そのやり取りの中で知ったのだが、ケンはスクールの授業がない土日に、マサシの会社でアルバイトをすることになったそうだ。
彼もマサシと一緒に仕事をすることで何かを掴もうと必死にもがいている。彼にも自分のやりたい事を見つけて欲しいものだ。
そんなことを考えながら今日の帰国前の挨拶の準備をしている。スピーチの英文は今日の日はさようならの譜面に書き込んだ。
本来帰国前のスピーチはこのスクールでの英語のレッスンの成果を発表する場所なのだが英文を記憶する時間と体力を節約してウクレレのコードを暗譜する方を優先した。
段取りとしてはユリの名前が呼ばれたら私も楽譜とウクレレを持ってスタンドマイクのところに行って、譜面台に楽譜を置いてまずユリが挨拶をする。
ユリはスクールでの最初の挨拶の時のように、メモを手に持って簡単に挨拶をする予定で、彼女の挨拶が終わったら私が挨拶をするという段取りだ。
トップスはお揃いのTシャツで私が黄色でユリが赤だ。このTシャツはユリとチエから高齢者施設のイベントの時にプレゼントして貰ったものだ。
今日MCを務めるのはケンで段取りも彼と打ち合わせ済みだ。彼からスピーチの発表者は新たにスクールに加わった若者2名が夫々挨拶をしてから我々の発表となると聞いている。
若者の二人はメモを片手に挨拶し大きな拍手を浴びて席に戻った。
いよいよ我々の番だ。ケンが紹介してくれて打ち合わせ通りマイクの前まで来て、譜面台を乗せて私はスタンバイOK。ユリがメモを見ながら短い挨拶を行ったがとても流ちょうな発音だったので驚かされた。
ユリが挨拶しているあいだにテーブル席に目を向けるとチエやジャムやマーガリンの顔が見えた。チエは我々とお揃いの白いTシャツを着ていた。そしてユリの挨拶が終わるとマッキも笑顔で暖かい拍手を送ってくれた。
少しだけ期待していたが流石に先週スピーチを行って、このスクールを後にしたショウコとマサシの姿はなかった。
私の紹介をMCのケンがしてくれたので私は譜面台の前で深々とお辞儀をして、あいさつ文を書き込んだ譜面を手に持って挨拶を始めたら突然、事務室の扉が開いてショウコとマサシがウクレレを持って私の隣に来て並んだ。
私の挨拶が終わるとチエも譜面台のところまでやってきた。
ショウコがピンクのTシャツでマサシが緑のTシャツなので、5人合わせて5連ジャー揃い踏みというもう笑うしかない情況になった。
ショウコが私の耳元で5レンジャーやるよってつぶやいた。えっと、驚いて固まっている私を無視して、以前練習を重ねた5レンジャーの登場シーンが始まった。
マ:「ウクレレ戦隊グリーン」
シ:「同じくピンク」
鍵:「イエロー」
ユ:「レッド」
チ:「ホワイト」
全員でウクレレ戦隊5レンジャーと言って、決めポーズを行った。
見ている先生方やスタッフや英語学習者たちにも大うけだった。
これはチエが仕組んだサプライズだったが嬉しく受け止めて、皆でカントリーロードを弾き語りした。ショウコとマサシの演奏も素晴らしく、チエとユリの歌と踊りのパフォーマンスも素晴らしかったし、食堂内はジブリ映画の中にいるような♪カントリーロード♪の大合唱となった。
続いて “今日の日はさようなら” を弾き語りしたがショウコとマサシも沢山練習したと見えてとても素晴らしい演奏だった。マーガリンも加わってくれて日本の歌詞で歌ってくれた。チエとユリの歌唱力と歌詞の内容に少し目頭が熱くなった。
私にとってこのスクールでの1か月間の成果は、英語の上達ではなくて個性的な人達との出会いだったと気づかされた。
平凡に生きてきた私にとってスタディアブロードでこちらに来なければ、彼らのような人生に触れることはなかっただろう。
あなたの英語学習の目的は達成できましたか?
今週の土日は特別授業を申し込んでいないので明後日の月曜日が最後の授業になる。それなのにマーガリンは昨日の授業でも宿題を出した。やっぱり彼女は最後まで鬼だった。
宿題は今回のスタディアブロードについて
①このスクールを選んでよかったですか?その理由を教えてください。
②あなたの英語学習の目的は何ですか?その目的は達成できましたか?
③今回の経験を今後どのように生かすつもりですか?
④このスクールにもっとこうして欲しいという部分を教えてください。
⑤また今度このスクールに来てくれますか?
というアンケートのような内容であり、あなたの意見や考えをご教示ください。日本語でも英語でもどちらでもかまいませんのでよろしくお願いします。というものであった。
しかし、マーガリンからは英語で書くように指示されたのだった。
朝食まではまだ時間があるので、翻訳ソフトを手に宿題に向きあってみなければと考えながらも、提出までにはまだ二日間もあるのだから、あとでやれば良いじゃないか、最終的には月曜の朝早起きしてやればいいじゃないかという神のお告げを受けて、朝のルーティンを始めた。
ラジオ体操から英語のソフトを使ったスピーキング練習をし、ウクレレの基礎練習をしてから何曲か弾き語りをした。
宿題のあなたの目的は達成できましたか?というフレーズが頭に残っていたので、最後に練習した365日の紙飛行機♪人生は紙飛行機 ねがいのせて とんでいくよ 風の中を 力のかぎり ただすすむだけ その距離を きそうよりも どうとんだか どこを飛んだか それが一番大切なんだ♪という部分が歌い終わっても頭の中で何度もリフレインしている。
今回のスタディアブロードは、東京オリンピックのボランティアをやるために必要な英会話のヒヤリング力とスピーキング力を磨くことと言ってきたが、本音は自分へのご褒美一人旅というのが本当の目的だった。
英語学習に関しては準備ノートに記載した通りに、一人でジープニーに乗って日帰り旅行をするというプチ冒険やマックとKFCとスタバなどのファストフードでの注文やジーンズやTシャツも買うという経験もした。
そして想像もしていなかったが大好きなウクレレを通していろんな方との出会いもあり、フィリピン人ウクレレメンバーとの交流を通して、日本人が入所している施設でのイベントに参加した。
その際にマニラの高齢者施設の見学や経営者の考え方を訊くことも出来て、日本の施設との違いも知ることが出来た。私が考えていた以上の素晴らしいスタディアブロードになった。
そう考えてみると私の紙飛行機は、私を当初の飛行計画以外のルートも飛びまわってくれたのだった。
この先私の紙飛行機はどう飛んでどこを飛んでいくことになるのだろう。出来れば不時着することなく家族に見守られながらソフトランディングして “ありがとう”と言って紙飛行機の翼を閉じたいものだ。
孫娘との約束は作詞作曲
そんなことをつらつらと考えながらふと思い出したことがる。それは、孫娘と約束した「一緒にオリジナル曲を作ろう」というものだった。
それは夏のある日、孫娘と妻と私の母とが楽しそうに庭で草むしりをしていたところに、私が3時のおやつにとソフトクリームをコンビニから買ってきて、食べている時に小2の孫が「お口のまわりに おひげが生えちゃった。仲良くぺろぺろペロ」っと言ったことがきっかけだった。
とても面白いフレーズだったので即座にスマホに録音したのだった。
その後庭で草むしりをしているところと孫娘が玄関ポーチに座ってウクレレを弾いている情景を歌詞にしてみたのだった。
従ってこちらに来る3か月以上前は、孫娘と話しながら歌詞はほぼ出来ていた。
しかし、なんとなく鼻歌で歌えるが、コードを当てはめるとなると厄介だと感じてそのままにしておいたのだった。
それでそうだ!帰国までの4日間を使って作詞作曲に全力投入すると決めた。孫娘との約束を果たして孫娘から褒められたいという欲求がふつふつを湧いてきた。
散歩をしたり公園でウクレレを弾いたりしながら常にオリジナル曲の事を常に考えていた。” ウクレレで初めての作詞作曲” で検索して、沢山の動画を観ながらメモを取りまくった。こんなに一つの事に集中するのは久しぶりだった。
♪仲良しっていいよね嬉しよね!♪
歌詞を書いたノートを常に持ち歩いている題名は「仲良しっていいよね うれしいよね」そして歌詞は「♪私は小2のウクレレ女子で おばあちゃんは還暦の 眼鏡女子 私はダンスと歌が大好きで おばあちゃんはお習字が好きなの いつも仲良く遊んでいるのよ 今日はお庭で草むしり 3時のおやつはソフトクリームよ あららお口のまわりに おひげが生えちゃった 二人仲良くぺろぺろペロ 笑顔はじけてぺろぺろペロ 仲良しっていいよね 嬉しいよね♪」歌詞は3番まで完成したが帰国後孫娘と話して歌いながら修正したい。
夕食は両日ともスクールの食堂の高齢者テーブルで食べたが、チエとユリとマッキの話題は3人が参加した料理教室の事とマッサージの話しだったので、私は終始聞き役だった。
その為、ノートを見ながら常にオリジナル曲の事を考え続けることが出来た。19日はスクールの方針で最終日には授業はないので、いつもの公園でウクレレを弾いてのんびり過ごし、ショッピングモールでコンサートウクレレとリュックサックを買うつもりだ。そして、お勧めのお土産を教えて貰い、ファストフードで食事をすることでこの一か月間の英会話学習の成果を試すことにする。
そして最終テストは帰国時の機内アナウンスがしっかり聞き取れるかどうかなので、月曜日の最終レッスンはマーガリンとジャムに、機内アナウンスと買い物のレッスンをお願いすることにする。
マーガリンからの宿題
今回のスタディアブロードであなたの英語学習の目的は達成できましたか?このスクールにもっとこうして欲しいという部分を教えてください。という質問への回答を考えている。
はじめにこのスクールを選んだことは正解だったと思う。マンツウマンの授業が良かった。
I think it was the correct answer to choose this school in the beginning. One-on-one class was good.
そして、先生方やスタッフもとてもフレンドリーで話しやすかった。
And the teachers and staff were very friendly and easy to talk to.
学習内容を私の希望に沿うように変更してくれたことに感謝している。
I am grateful that I have changed what I have learned to suit my wishes.
毎日の学習を通して東京オリンピック2020で都市ボランティアをやれる自信が持てました。
Through my daily learning, I was confident that I could be a city volunteer at the Tokyo Olympics 2020.
英語で道案内をするのが今から楽しみです。
I’m looking forward to giving directions in English.
そして毎日の食事もおいしかったです。
And the daily meals were delicious.
人生においてとても貴重な体験をさせていただきました。
It was a valuable experience in my life.
私は良く英語を学ぶための最良の方法は何ですか?と尋ねられます。
I'm often asked what is the best way to learn English?
今まではSkypeレッスンが一番だと答えてきました。
Until now, I've said that Skype lessons are the best.
しかし、今後はスタディアブロードが一番だと自信を持って答えることが出来ます。
However, I can confidently say that study abroad is the best in the future.
その時は、勿論自信を持ってこのスクールを紹介することにします。
At that time, of course, I will introduce this school with confidence.
楽しい一か月を過ごすことが出来ました。又、このスクールに来たいと考えています。
I had a good month. I want to go to this school again.
ありがとうございました。
Thank you very much.
と、アンケートに記入しマーガリンに手渡した。
彼女は内容を確認しながら「是非またマニラに来てね。その時は桶まんさんに、私の前世について詳しく教えて欲しいわ。そして、スピリチュアル研究会の仲間達にも私と同じ体験をさせて欲しいの。」と言ってウインクをして、別れ際に「あなたのお陰で面白い体験が出来たわ、ありがとう」と言ってハグをしてくれた。
ジャムも優しいところがある
ジャムとの最後の授業は買い物のレッスンと東京オリンピックで都市ボランティアとして使う可能性の高いフレーズを彼女がA4の用紙に書いて来てくれたのを見ながら練習をした。
練習したフレーズは
① 「Do you need some help?」何かお困りですか?
② 「Would you say that again?」もう一度行ってもらえますか?
③ 「Just a moment.」少々お待ちください。
④ 「I’m sorry. I’m not sure.」すみません。チョット分かりません。
⑤ 「I’ll ask someone.」誰かに聞いてみます。
⑥ 「It’s that way.」あちらの方です。
⑦ 「It’s about 20-minute walk from here. 」ここから大体歩いて20分です。
⑧ 「Just transfer at Omiya Station.」大宮駅で乗り換えてください。
⑨ 「Unfortunately, we can’t do that.」あいにく、禁止なのです。
⑩ 「This space is for wheelchairs.」この場所は車いす専用です。
⑪ 「This rain should stop soon.」この雨はもうすぐやむでしょう。
⑫ 「Drink water often to stay hydrated.」水分をこまめに補給してください。
⑬ 「Enjoy the golf game!」ゴルフ協議をお楽しみください。
⑭ 「The shuttle bus to Kasumigaseki Country Club is over there.」霞が関カントリークラブ行のシャトルバスはあちらです。
⑮ 「The next shuttle bus comes in 15 minutes. 」次のシャトルバスは15分後にきます。
⑯ 「The shuttle bus is a little late.」シャトルバスは少し遅れています。
⑰ 「Kasahata station is very crowded now.」笠幡駅は今大変混んでいます。
⑱ 「Kawagoe station is three stopes from here. 」川越駅はここから3つ目です。
⑲ 「It might be faster to walk.」歩いたほうが早いかもしれません。
⑳ 「It’s a once in a lifetime experience! Have fun!」一生に一度の経験ですね。楽しんでください。
ジャムも優しいところがあるとみなおした。そしてレッスン後は握手をして再会を約した。マーガリンとは違ってとても淡々としたものだった。
人生は誰と出逢うかで決まる!
スクールLineのチエからの投稿をチェックしている。タイトルはユリとシゲの帰国についてというもので今日の深夜便でユリが帰国し、明日の深夜便でシゲが帰国するので、両日スクールの前に夜9時に集合してタクシーで空港に向かう彼らを見送ろうという内容だった。
スクールLineは、その投稿へのメンバーによる私とユリへの書き込みであふれた。マサシやショウコはシゲのお陰でウクレレと出会えたことで今後の人生の目標を見つけることが出来、ユリには起業するきっかけを作って貰えたことに感謝していると書き込んだ。
ケンは私が代官との食事会に誘った事とマサシと引き合わせた事に感謝しているという趣旨の書き込みをしてくれた。
ケンは二人に会えたことで目の前の霧が晴れたとも書き込んでいた。私がどういうことかと質問したら。
彼が大学を卒業して入社した会社はテレビで盛大にコマーシャルをしている不動産会社だった。
その会社は上場企業で初任給も高いために学生に人気があり、面接では外国人向けシェアハウスやコンセプト賃貸など新しい住まいの在り方を通して社会に貢献して行くための人材が欲しいというアナウンスがあり、彼自身もそんな形で社会の役に立ちたいという思いを強くしてその会社を第一志望にし、見事に狭き門を突破して入社し両親も一流企業に入社したことを大変喜んでくれた。
しかし入社してみてすぐに仕事の内容に日々ストレスを感じるようになった。
それというのも彼は管理部に配属されたが日々の仕事は、家賃の督促と入居者からのクレーム処理だったからだ。
同期で営業部に配属された仲間は、毎日飛び込みで地主の家を訪問して賃貸住宅を販売する仕事をしていた。
営業部に配属された同期は1年もしないうちにほとんどが退職してしまった。その理由は契約が取れない事と契約がとれて工事が始まると今度は地主さんから施工が悪いためのクレーム対応をしなければならなかったからだ。
コマーシャルではカスタマーファーストを謳っていながら実態は全く違って利益第一主義であり社員も使い捨てというありさまだった。
そんなことに嫌気がさして彼も入社5年後に退職した。そして得意の英語を活かして外資系の一流企業に転職をするためにはTOIECのスコアアップが必須だと考えてこちらに来た。
しかし代官と話をしたこととマサシの仕事を手伝ったことで、一流企業に勤めることよりもやりがいの方がもっと大事だと気づかされたというものだった。
そして、シゲキの一言「人生は誰と出逢うかで決まる」という言葉を今噛みしめています。という内容だった。
チエはユリと出会い一緒に英会話料理教室に参加したことで帰国する楽しみが出来た。日本での生活は娘夫婦が良くしてくれることで何不自由なく暮らせていたが、彼女としては何の役割もなかったので正直居心地の悪さを感じていた。
しかし料理の楽しみを知ったことで日本でも料理教室に通って、娘夫婦の為に毎日食事を作りたいと思えるようになった。
そしてシゲと亡くなった主人とかぶる部分があって嬉しかったです。勿論、主人の方がイケメンでしたけどね。うふふっ。
主人は公務員で定時に家を出て定時に帰宅するという毎日。それというのも主人は人付き合いが苦手で酒もたばこもやらずに読書だけが趣味という人でした。
そんな主人が一人娘の就職を契機に「自分の生き方は、本当にこれで良かったのだろうか」「もっと違う人生があったはずだ」「これから一体どのように生きていけばよいのか」という言葉を口にするようになりました。
あの頃は定年後の人生について悩んでいた時期でもあり、今でいうところのミッドライフ・クライシスだったのかもしれません。
その中で主人が見つけた答えが「定年したら語学留学をして英語を話せるようになり東京オリンピック2020でボランティアをする」でしたので、私はびっくりしましたよ。
何故って主人は飛行機が嫌いだったので二人で旅行するときは常に電車を利用していましたから。しかしそれからはコツコツと英語の勉強をしていましたので本気だったようです。
出来れば私も主人と一緒にこちらに来て英会話を勉強して、オリンピックで活き活きとボランティアとして主人が外国人の方々と話をしている姿を観たかったです。
しかしその夢は病気の為に断たれてしまったけれど私が主人の意思を継いでボランティアをやるつもりです。その時は写真を胸に入れて主人と一緒に精一杯楽しむつもりですわよ。
シゲも東京オリンピックの都市ボランティアを楽しんでくださいね。シゲと出逢えて本当に良かった。そして、ウクレレのイベントに参加したことは一生の思い出になりました。と書き込んだ。
ユリはチエと一緒で私も楽しかったよ。東京オリンピックの都市ボランティアを楽しんでね。帰国後もウクレレを一緒に楽しみましょう。Keep in touch!!と投稿した。
チエもウクレレを一緒に楽しみながら高齢者施設への慰問もやりたいね。ユリこれからも連絡を取り合いましょうねと書き込んだ。
世界の松下ことマッキは、二人のお陰で楽しく過ごすことが出来ました。そして、私は娘のトランスジェンダーの事やこれからの人生について妻をこちらに呼んで話し合うために予定を変更してしばらくこちらに滞在することにしました。
必ず日本で同窓会をやりましょうと書き込みをした。
そのようなスクールlineを読んで書き込みをしようとしている時に、代官からlineが入った。
内容はシゲさんの帰国予定は変更ないですか?僕は仕事の引継ぎでマニラに行くので、あなたの便に合わせて航空券を手配したから成田で会いましょう。というものだった。
それに対して私は変更ありません。という内容と一緒に2月19日(火)深夜便のマニラ空港発で20日早朝に到着予定の帰路の航空券を写メしてlineに投稿した。
シゲにあえてよかったわ「ありがとう」
食堂に入る前に洗濯置き場に目をやると私の名前とありがとうと書いてあるビニール袋が仕上がった方の棚に置いてあった。
食堂内を見渡すと高齢者テーブルにはチエとユリが既に座って話し込んでいた。私は二人にこんばんはと小さく声を掛けてテーブルにリュックを置いてビュッフェ形式の列に並んだ。
今日もおいしそうな日本食がそろっていて食欲をそそる。トレーに焼き魚や肉野菜炒めやみそ汁とご飯と果物までどっさりと盛り付けて慎重に運んで高齢者テーブルの椅子に腰かけた。
そしていつものように写真を撮ってlineで連れ合いに、こちらで食べる夕食は後2回ですとコメントをつけて投稿した。
彼女からは明後日は成田まで迎えに行きますからお土産はドライマンゴーをお願いしますという書き込みがあった。
彼女は私や子供達が遊びや旅行に行くと何時も〇〇というお店で〇〇を買ってきてという具体的なオーダーをしてくる。
私が上野駅近くで落語を聴いてくるというと、それなら帰りに老舗和菓子店のうさぎやでどら焼きを買ってきてといった具合だ。
お店は上野駅から近いのかと思いきや隣の駅の御徒町駅から徒歩5分ぐらいのところにあり、途中の交番で道を聞いてやっとたどり着けたと思ったら、そこから随分ならばされてようやく買うことが出来たという辛い記憶が残っている。
それでも帰宅して食べてみたら本当においしかったし家族が喜んでくれたので報われた気がした。そしてその後何度かお客様への手土産として利用させてもらっているので、良いお店を教えてくれたことに感謝している。
そのように考えてみるとこういうのも彼女の気遣いなのだろう。
そしてlineにはお土産の注文と共に愛犬ソックスがモリモリ食べている動画とへそ天で寝ている写真を投稿してくれた。それをみて思わず可愛い~とつぶやいてしまった。
この一か月を通してホームシックにはならなかったがソックスに会いたい、早く帰国してソックスの臭いを嗅ぎながらむぎゅっとしたい。
そんな事を考えながら自分の世界に入り込んでいるところに、ユリから声を掛けられた。
ユ:「シゲと出会えてよかったわ。イベントもマックでのチャレンジも楽しかったわ。ありがとう。お世話になりました。私は今日帰国するけどまた会いましょうね。」
鍵:「色々あって楽しかったね。こちらこそありがとう。」
チ:「私も二人に逢えて良かったですわ。ありがとう。」
鍵:「タクシーは9時だったよね。見送りに行くから。」
そんな簡単な挨拶だけを交わして私は靴を履いて洗濯物を持って部屋に戻った。私は今まで何度か別れの時を経験しているがどうしてもそのような場面が苦手で、適当な言葉が思い浮かばないので無口になってしまう傾向がある。
部屋に戻って準備ノートを見ながら明日の計画をチェックしている。朝食をスクールで食べてからいつもの公園でウクレレの練習をする。
ユリを見送り
① モールで今持っているソプラノよりも一回り大きなコンサートサイズのウクレレで単板の物。
② コンサートウクレレがすっぽり入る大きなショルダーバッグ。
③ 地元の人にお勧めの土産を教えて貰う。
④ 店員に相談してみて孫娘へのお土産。
などと書き込んでいるうちにユリを見送くる時間となり、スクールの門の前まで来たらユリもチエもすでに来ていてマッキがユリのキャリーバッグを手に持って3人で話をしていた。
私は3人に軽く挨拶をしてタクシーが来るまでたわいのない話に加わって、タクシーを待っていた。スクールのスタッフとしてはマンゴウだけだった。
それから数分ほどでタクシーが我々の前に停まりユリが乗り込んで後部座席から手を振りながら空港に向かって走って行った。
ユリの目にはほんの少し光るものが見えた。
マッキとチエもハンカチで目頭を押さえていた。私は込み上げてくる感情を押さえながら「おやすみなさい」とだけ言って自分の部屋に戻った。
誰だって順風満帆に生きてきたわけではない
いよいよこのスクールでの一か月間も今日が最終日だ。何人かが見送りに来てくれるというが出来れば見送って欲しくないという思いが強い。
何故って皆から見送られてやさしい言葉を掛けられたら不覚にも感極まって泣いちゃうかもしれないからだ。
それにしてもこちらで過ごした1か月間は、英会話の勉強以外にも貴重な経験をすることが出来た。それは同年代の人達の人生に触れることが出来たことが大きい。
誰だって順風満帆に生きてきたわけではない、人生の帰路で立ち止まり苦悩しながらどちらかの道を選択してきて今を生きている。
あの時違う方の道を選んでいたらどうなっていたのかなどと思い悩むことも誰だってある。
そんなことをベッドに仰向けになって両手の指を絡めてそれを手枕にしながら考えていたら、自分自身の人生の最大の帰路についての記憶がよみがえってきた。
それは7年ほど前に30年以上務めた会社を退職した時の一場面で、同僚達が腕のアーチを作ってくれて花束を抱えた私が一人一人にお礼を言いながらくぐって行く光景だ。
最初は笑っていられたが最後の方は胸が震えて涙をこらえきれなくなってしまった。
それというのもあの頃は起業するわくわく感と安定した生活を手放して未知の世界へチャレンジする不安感に苛まれていたからだった。
頭には起業することを告げた時の妻の不安を隠すような作り笑顔と、「はい!全力で応援しますといってくれた場面」が浮かんでいた。
多分妻は私よりも不安だったに違いない。
最後に皆さんに一礼して総務課が用意してくれたタクシーに乗り込んだ。自宅に向かって出発する時にも多くの同僚が手を振って見送ってくれたのをみてまた涙があふれた。
その後はタクシーの中で40分ほどの間入社から今までのいくつかの場面が走馬灯のように浮かんでは消えた。
そして初出社当日に着ていたスーツの柄とネクタイ及び皆さんの前で挨拶した内容まで37年前なのに鮮明に思い出していた。
そして一番うれしかった場面として1棟目の請負住宅の契約の場面を思い出していた。
それは私がキャリア入社であり新卒社員よりも少しは社会人経験があるから仕事で負けるわけにはいかないという強い思いがあったからだ。
先輩達や上司の全面的なバックアップをいただき、同期入社の社員よりも早く最初の契約が出来たことでの達成感もあった。
お客様ご夫婦にとっても住宅は大きな買い物なので、お二人とも少し緊張した顔でテーブルの向かい側に座っている。
私の隣には上司が座っている。当然私も緊張は最高潮に達していただろう。請負契約書を読む練習は何度もしたのに何度も詰まってしまった。
勿論その時のお客様のお名前と上司の名前それにその日着ていた私のスーツの柄まで鮮明に思い出していた。
そしてそれはこれでこの会社でやっていけるということを確信できた瞬間だった。その後300棟以上の建築のお手伝いをさせていただいた。我ながらよく頑張ったと思っている。
それでも起業を思い立ったのは55歳になって会社から定年後の人生を考えてくださいというテーマの勉強会を受講してからだった。
説明の内容は定年後の生きがい探しと年金の受給額及び退職金の額並びに早期退職制度についてであった。
そしてその頃成人病検診で前立腺のがんの疑いがあるということで入院して生体検査を受けたことも起業に向けて背中を押してくれた。
「がん」でなければ挑戦してみようと決心した。
それは病院のベッドで天井を見ながら病気に対する不安を感じながら、これからの人生について考えながら「このままこの会社に定年までいて後悔しないか?」「いまやりたい事をやれているか?」と何度も自問自答し、やっぱり早期退職してでも自分がどうしてもやりたい事をしたいという決心をした時の多床室の様子も鮮明に思い出していた。
タクシーが自宅に着くと妻がお父さんご苦労さんと迎えてくれたのを見てこれからも家族の為に精一杯頑張らなければという思いが込み上げてきたのを覚えている。
今では起業したという選択は正しかったと思えているのでとてもありがたい。多くの方々のお力添えをいただき仕事をすることが出来て、語学留学する余裕まで手にすることが出来たことに感謝してもしきれない。
いよいよこの部屋とも今日でお別れだと思いながらシャワーを浴びている。そしていろいろな場面を思い出して吹き出しそうになった。それはマンゴウにお湯が出るように調整して貰った時感じたエロイ気持ちやトイレで紙が流せないので原始的な手段でお尻を洗ってすぐにシャワーを浴びるという行為自体もその間抜けな格好を帰国後に思い出してにやにやすることだろう。
全裸で寝るのも今日が最後になる。こちらに来てわずか1か月なのに桶まんと出逢った時の事も随分前に感じられる。奴の話だと再会できるのは10年後、その時に和歌山に行ってパンダの担当をしている元葛飾北斎の親魂に会いに行こうという事になっている。
その頃にはパンダを担当している親魂は、フリーになるそうだから北斎に関することをたっぷり訊いてみたい。
桶まんの話だとそれまでは私は元気でいるらしいから、これから先もせかせかしないで好きなことだけして悠々自適に生きていこう。
僕の紙飛行機はこの先どこまで連れて行ってくれるのだろう?
今日でスタディアブロードも終わり
最終日の朝は6時に起床した。今朝もテレビ体操から初めてウクレレの練習までルーティンをしてから帰国の準備を行った。
そしていつものようにリュックにウクレレを入れて、鍵を持って食堂に向かった。突起物に何回も頭をぶつけたのが今となっては懐かしい。
朝食後は公園に行ってウクレレの弾き語りを楽しむつもりだ。
スクールの食堂に着くといつも通り英語での挨拶が飛び交っていた。高齢者テーブルに目をやると若者に交じってチエの姿があった。彼女の両脇は空いていなかったので、私は軽く会釈をして空いた席にリュックをおろして、ビュッフェの列に並んだ。
そこへマンゴウが声を掛けてくれて今日は夜9時にタクシーを予約したことを教えてくれた。
私はトレーにいつも通り沢山の食材を乗せて、高齢者テーブルで写真を撮ってlineで妻に送った。
妻から早速返信が来た。マンゴーおいしそうですね。お土産にドライマンゴーをお忘れなく、そして書道教室で先生と皆さんと一緒に食べられるようにテオ・アンド・フィロもお願いします。テオについてはググってみてくださいねという内容だった。
それで早速ググってみると “最高のカカオを生産するのに必要な肥沃な土地と温暖な気候で育ったフィリピンのミンダナオ島ダバオでできたカカオ豆を使用していて、フィリピンの国民的料理「アドボ」味や、少しスパイシーな「チリ」味などの商品展開もあり、アルコールにとても合うチョコレート”だそうだ。
妻のスイーツに対するどん欲さには脱帽!
それにしてもアルコールに合うチョコレートというのは魅力的だ。そして書道教室の生徒さん達や先生と研修旅行の旅館でしこたま呑んだらしいから酒好きの方も多いのだろう。
そんなことを考えながらにやにやしているとフルーツが声を掛けてきた。
フ:「Hi! Shige. Can you come to the office after a meal?」はい!シゲ。食事がすんだら事務所に来ることは出来ますれすか?
鍵:「Yes, I can.」はい。
と言ってトレーを片付けてから事務所に立ち寄った。
フ:「シゲ。久しぶりです。元気れしたか?」
鍵:「元気でしたよ。フルーツはどうでしたか?」
フ:「おかげさま元気れす。シゲは今夜帰国でやしたね。」
鍵:「そうです。大変お世話になりました。ありがとうございました。ご主人にもよろしくお伝えください。」
フ:「はい、わかりました。夜食後に洗濯費用の支払いをしてください。私は夕食の時はいません。Please get your passport, wallet, etc. from Tomoko. Does it make sense?」パスポートや財布などはトモコから受け取ってください。分かりますか?
鍵:「Yah, it makes sense.」はい分かりました。
フ:「ふふふ。最後のレッスンになりましたね。これからも英語の勉強を頑張ってくらさいね。」
鍵:「はい。頑張ります。これは生まれて来る子供へのプレゼントです。素敵なお母さんになってくださいね。さようなら。」といって、折り紙の鶴を手渡した。
フ:「さようなら。ありがとう。シゲに会えてよかった。元気れまたこのスクールに来てくださいね。」
鍵:「こちらこそありがとう。赤ちゃんに会いに来ますね。さようなら。」
そう言って食堂を後にして公園に向かった。
少し遠回りになるがこちらに初めて来た時に散策した高級住宅街をのんびり歩いて、公園に着いた。しかし今朝も数匹の猫以外人は誰もいなかった。
いつものようにリュックから楽譜とウクレレを取りだして、二人乗りのブランコにまたがって座って弾き語りを始めた。
♪ふるさと♪を弾き語りして、♪上を向いて歩こう♪のタブ譜を見ながらソロ演奏を練習。そして、カノン進行を4ビートや8ビートで弾きながら適当に歌詞やメロディを口ずさんだ。
このカノン進行は、作詞作曲の考え方として動画を検索している時に偶然発見したのだが、とても気に入っている。C、G、Am、Em、F、C、F、Gという同じコードを繰り返すだけだが弾いていて気持ちが良いのだ。
これはエンドレスで楽しめるし、作詞作曲も出来そうな気にさせてくれる。そして調べてみると、このコード進行は日本人が大好きなのだそうだ。それで、多くのヒット曲が生まれているという説明があった。
動画の中でウクレレ講師はあいみょんの♪マリーゴールド♪やスピッツの♪チェリー♪、徳永英明の♪壊れかけのRadio♪、Zardの♪負けないで♪そして山下達郎の♪クリスマスイブ♪の弾き語りをして見せてくれていた。どの曲もAメロぐらいは歌える曲ばかりだ。
それに最後にサザンオールスターズの名曲である♪真夏の果実♪をアルペジオで演奏の解説をしていた。そして、始めての作詞作曲はこのコードならだれでも簡単に作成可能だという説明はとてもありがたかった。
私は早速このカノン進行でシンガーソングライターあいみょんのマリーゴールドを弾き語りしてみてとてもわくわくしてきた、帰国したら何度も練習して孫娘と一緒に歌ってみたい。
そしてこのカノン進行を参考にして作った「仲良しっていいよね 嬉しいよね」を孫娘と一緒にウクレレの弾き語りをして家族に聞かせたいと考えている。
公園での練習の最後にAKB48の♪365日の紙飛行機♪を弾き語りして歌い終わると急に寂しさが込み上げてきた。
毎朝ここでウクレレの弾き語りをしたことは、この景色と埃っぽい土の臭いと共にこれからの人生において何度も思い出すことだろう。
マニラはこの時期乾季でありこちらにいる間一度も雨に降られなかったのはありがたかったし、何よりもまして杉花粉に悩まされることなく過ごせたので快適だった。
考えてみるとスタディアブロードという名のご褒美一人旅はこれからの私の人生においてとても重要な1か月間だったのではないかと感じている。もう二度とこんな経験は出来ないかもしれないとすら思う。
僕の紙飛行機はこの先どこまで連れて行ってくれるのか?
さて僕の紙飛行機はこれから先どこに連れていてくれるのだろうなんて考えながら、リュックにウクレレと楽譜をしまってから猫たちに挨拶をして、商店街の方を通って部屋に戻った。
リュックを部屋に置いてスマホと2万円とわずかなペソが入った財布と小さな英会話メモ帳を手提げバックに入れてショッピングモールに向かった。
何時ものようにガードマンに扉を開けて貰って「Thank you」と言いながら頭を下げて通り抜けた。マニラに来た初日はセンキュウと発音できずにカタカナ英語風にサンキューといっていた。
それはサラリーマン時代に韓国への社員旅行の時に同僚の前でネイティブの様な発音をして、さんざん冷やかされたことがあった事がトラウマになっているからだった。
しかしこちらで生活しているとカタカナ英語だととても恥ずかしく思えてくる。それに気づいてこちらに来て二日後には、抵抗なくセンキュウといえるようになった。
最初にデパートで大きめのリュックを買って孫娘のお土産を探し、最後にコンサートウクレレを買うつもりだ。
そして妻からのリクエストのドライマンゴーは何時ものスーパーで買って、チョコレートは空港の免税店で買う事にすればよいだろう。
ショッピングセンターでお土産を買う
ショッピングモールの入口には既に何人かの列が出来ていて、最後尾には西洋人らしきご夫婦も並んでいた。私は軽く会釈をしてその後に並んだ。西洋人のご夫婦はバッグをチェックされていたが、私はノーチェックで通り抜けることが出来たので、そのままスーパー脇の両替所に行って2万円をペソに替えて9,184ペソを手にした。
空港へのタクシー代の700ペソはメインの財布に残してあるので両替した分は全部使ってしまってもよい勘定だ。
先に楽器店に行ってウクレレのコンサートの長さと金額をチェックすることにした。
何故かというと私のプランとしては新しく買ったリュックにコンサートをウクレレケースごと入れ、余ったスペースにお土産を詰め込んで持ち帰るようにすることだからだ。
鍵:「Hi! It’s been a while. How’s it going?」やぁ、久しぶり!元気?
店:「Not too bad. You?」まぁまぁ。あなたは?
鍵:「I’m good. Thanks.」元気だよ。ありがとう。
店:「How can I do for you?」何か御用ですか?
鍵:「I want a concert-sized ukulele. Do you have some?」コンサートサイズのウクレレが欲しいんだ。いくつかありますか?
店:「How’s this?」これはどうですか?
鍵:「What country was this made in?」どこで造られたものですか?
店:「Made in the Philippines.」フィリピン産です。
鍵:「What is it made of?」何で出来ていますか?
店:「Made of plywood.」合板で出来ています。
鍵:「I want something made of single plate.」単板の物が欲しいのです。
店:「Some are made of mahogany.」マホガニーで出来ているものはありますよ。
鍵:「Can you show me?」見せてくれますか?
店:「Sure. Here you are.」勿論、どうぞ。
鍵:「Thank you. It’s the same one my friend bought.」ありがとう。私の友達が買ったものと同じものですね。
店:「That’s right.」そうです。
鍵:「How much?」いくらですか?
店:「It’s 5,500 pesos. 」5,500ペソです。
鍵:「Could you give me a discount?」割引して貰えますか?
店:「Let’s serve the ukulele case and tuner.」それではウクレレケースとチュウナーをサービスします。
鍵:「All right. I’ll buy it.」それでいいです。それでお願いします。
店:「Which is better for the ukulele case, this one or another one?」ウクレレケースはこちらとこちらだとどちらがいいですか?
鍵:「That is better than these.」これらよりあちらの方が良いです。
店:「No way. That is higher than these.」とんでもないです。あれはこれらより高いのです。
鍵:「Come on. If it doesn’t work, let’s me think about that.」いいじゃないか。もしダメならチョット考えさせて。
店:「Okey, I agree with you.」承知しました。それでよいです。
鍵:「It is 5,500 pesos. 」5,500ペソです。
店員は、チューニングしてきれいに拭いてくれてからケースに入れて、手渡してくれた。
店:「Thank you for waiting. Have a nice day.」おまたせしました。良い一日をお過ごしください。
鍵:「You too.」あなたもね。
KFCでの「Eat in?」に体が固まった
ウクレレケースがリユックのようになっているのでそれに両腕を通してデパートに向かった。そして途中にあるKFCでランチを食べた。スクールでファストフードでの注文の場面の練習を積んできたので、前回苦労した「Eat in.」の聞き取りも出来、すぐに「Yes, please.」と言えたのはその成果といえる。
フライドチキンを食べながら初めてKFCで注文した時の事を思い出している。あの時は店員から「Eat in」と訊かれているのに、イーティヌとしか聞こえなかった。まったく何を尋ねられているのか分からず、私の後ろに並んだ客に迷惑をかけていると焦るなか、やっと「Sorry.」を絞り出し、店員が「For here or to go.」とゆっくりした英語で、ここで召し上がるか、持ち帰りかと違うフレーズで訊き返してくれたので「For here.」と答えることが出来た。
あの時の救われた気持ちになったあの場面をテーブル席でフライドチキンとおにぎりを食べながら思い出して苦笑いしていた。
私は日本のファストフードで注文する時でさえも緊張するのに、マニラのマックやKFCやスタバなどに列に並んでいて「Next stand by, please. What would you like to have?」次の方どうぞ、
ご注文をどうぞ。といわれただけで緊張感はマックスに達してしまうのだ。
2度目のマックでドキドキを体験。
2度目にマックに行った時は、おにぎりは食べたくないと考えて、セットを頼まずに単品でチーズバーガーを頼んだことからドキドキを体験した。
店:「What can I get for you?」何にしますか?
鍵:「Can I have cheese hamburger please?」チーズバーガーをください。
店:「For here, or to go?」店内で食べますか、持ち帰りですか?
店:「Would you like a combo or just a hamburger?」セットですか?単品ですか?
鍵:「Just a cheese hamburger please.」チーズバーガーを単品でお願いします。
店:「Would you like some drink with it?」一緒に飲み物はいかがですか?
鍵:「Iced coffee please.」アイスコーヒーをください。
店:「We have three sizes for iced coffee, small, medium, and large. Which size would you like? 」
アイスコーヒーのサイズは、小と中と大がありますがどれにしますか?
鍵:「Large one, please.」大をお願いします。
店:「Would you like some French fries with it?」フライドポテトはいかがですか?
鍵:「No, thanks.」いりません。
店:「Would you like anything else?」その他はどうしますか?
鍵:「No, thanks. That’s all.」結構です。これで全てです。
店:「Certainly. I will conform your order.」かしこまりました。注文を確認させてください。
鍵:「Sure.」はい。
店:「Your total is 190 pesos. 」190ペソになります。
鍵:「Here you go.」これでお願いします。
店:「Here is your ten pesos change. 」お釣りの10ペソです。
鍵:「Thanks.」ありがとう。
店:「Would you like a receipt?」レシートが必要ですか?
鍵:「No. thanks.」いりません。
店:「Take a number and wait at your table, thanks.」番号札をお持ちになりテーブルでお待ちください。
鍵:「Sure.」はい。
店:「Number 5, please. Thank you for waiting. Here you are. 」5番の方、お待たせしました。どうぞ。
私はドリンクを見て思わず違うって声が出てしまった。それは、アイスコーヒーを頼んだのにコーヒーフロートになっていたからだった。しかし、これは私が頼んだものと違いますというフレーズが出てこなくってそのまま笑顔で受け取ってしまった
鍵:「Thanks.」ありがとう。
店:「Thank you very much .Please take your time.」ありがとうございました。ゆっくりしていってださい。
鍵:「Thanks.」ありがとう。
席に戻って英会話メモ帳で、これは私が頼んだのと違いますは「This is different from what I asked for.」という事を確認した。
それにしても店員が早口なので聞き取ることに苦労してしまい、何度か訊き返してしまった。
それにスクールの先生からフィリピンのマックには、日本のようなアイスコーヒーはなくアイスクリームが乗っていて物凄く甘いから気を付けて、と言われていたのを食べながら思い出し反省した。
焦ってしまって英語のフレーズが出てこない時でも「Well.」とか「You know.」でつなげる練習をしなくてはダメだと改めて感じた。
そういった意味でもいろんなことにトライしてよかったと思っている。私が大切にしている言葉は “やらずに後悔するよりもやって反省”であり、どちらにしようか迷ったときは、アホな奴だと言うお褒めの言葉をいただける方を優先すると決めている。
どちらにするかと悩む場面は言い換えればどちらにしてもフィフティフィフティという事だからどちらを選んでもどうせ後悔することがあるだろうから、どうしてこちらを選んだのかという明確な方針を決めておくと気が楽だからだ。
改めて店舗内を見渡すと日本の平日でのランチ時と同じように小さいお子さん連れのお母さん達が多い。
勿論サラリーマン風の人達もみな楽しそうに笑いながら食事を楽しんでいて、そこにはのんびりとした時間が流れていた。
席を立ってデパートに向かった。ウクレレを背中に背負っている姿がショウウインドウに映っているが我ながら格好良いと思う。
デパートでバックパックを購入
デパートの入口で持ち物チェックがありウクレレのレシートを見せただけで中に入れた。
カバン売り場あたりでキョロキョロしていると店員が声を掛けてきた。
店:「What are you looking for?」何をお探しですか?
鍵:「I’m looking for a backpack.」リュックを探しています。
店:「It’s just over there. I could take you there. Would you follow me?」それはあちらにあります。ご案内出来ますが、ついて来てくださいますか?
鍵:「Yes, please.」はい。お願いします。
店:「It is here sir.」こちらでございます。
鍵:「Thank you.」ありがとう。
店:「Please look a slowly.」ゆっくりご覧ください。
鍵:「I want a backpack that can hold this ukulele.」このウクレレが入るリュックが欲しいのです。
店:「How about this one?」これはいかがでしょう?
鍵:「Can I put this ukulele in?」このウクレレを入れてみてもいいですか?
店:「Sure. Go ahead.」どうぞ。
鍵:「This size is fine. Please show me other things in this size.」この大きさならいいです。このサイズで他の物も見せてください。
店:「Certainly.」かしこまりました。
店員が5種類程出して見せてくれた。その中で、下にジッパーが付いていて長さを調整できるものがあった。
鍵:「I’ll take this one.」これにします。
店:「Thank you sir.」ありがとうございます。
鍵:「Can you give me a discount?」値引きは出来ますか?
店:「I’m sorry we can’t sir.」申し訳ありませんが出来ません。
といわれて、デパートでは値段交渉は出来ないのだという事を思い出した。
鍵:「Sure.」分かりました。
店:「The cash register is over there sir.」お支払いはあちらになります。
鍵:「Thank you for your help.」ありがとう。
会計にて「How would you like to pay?」お支払い方法は?と訊かれても落ち着いて「I would like to pay in cash.」現金で払いますと答えられた。
「Would you like to wrap it for souvenirs?」お土産用に包みますか?と訊かれて「No, thanks.」と答えることが出来た。
スクールの先生と買い物での英会話練習を積んだ成果を確認できたし、スタディアブロードは無駄にはならなかったと思えてうれしくなった。
出口でレシートを確認して貰いリュックにウクレレを入れてから子供服ショップやおもちゃ売り場を見て歩いたが、孫娘へのお土産を見つけることが出来なかった。
ショッピングセンターを後にする前にスーパーに寄って缶ビール2本と酒のつまみとお土産用にドライマンゴーもスーパーの買い物かごに入れた。
一般レジは長い列が出来ていたが高齢者等専用レジはありがたいことに空いていたのですぐに会計を済ませることが出来た。
このレジを使うたびに思うのだがこのような制度は日本にも普及して欲しい。
♪思えば遠くへきたもんだ♪
僕はぐずって母を困らせる子供だった。
買い物を済ませて外に出ると夏の日差しが和らいで少し涼しい風が吹いていた。この時期のマニラでは夕方になる長袖が欲しくなるが、私は夏用の物は持ってきていない。ただ一つ持っているのはこちらに来るときに着てきたもので冬用のシャツのみだ。
こういう時にも一張羅というのだろうかと思いながら、子供の頃に服を買ってもらってすぐ着たいのに母から「これはよそ行きだからダメ」って言われてぐずったのを思い出してなんとも言えない気分になっていた。
そう言えば私は良く、ぐずるたちだった。おもちゃを買って欲しくて外出先でいつも寝転がって母を困らせたものだった。
上野動物園に連れて行ってもらった時に遊び疲れてしまい、ぐずって父に肩車をしてもらったこともあった。
母におんぶして貰ったこともあった。父親に肩車やおんぶをしてもらっている時の記憶は、いつもきまって近所の商店街の七夕祭りで笹飾りの下を歩いている場面か銭湯帰りの夕陽が反射して赤い線路が浮かびあがっている場面だった。
銭湯の帰りには父の肩の上で一緒に小林旭の歌の♪赤い夕陽に♪と歌っていた。
そんな時でも2歳上の姉は母と手を繋いで歩いていた。今思えば両親にはいろんなところに連れて行ってもらった。
特に父が初めてカエルみたいな恰好のパプリカという車を買ってからは、頻繁にドライブに連れて行ってもらった。
父の自慢の車は山道を登り切れない時や、寒い朝にはエンジンがかからずに皆で車を押したこともあった。今では笑い話だが楽しい思い出を沢山残してくれた両親には感謝しかない。
父にはあまり親孝行も出来ずに先立たれてしまたったが、その分母に親孝行をしなければと自分に言い聞かせている。
まぶた閉じれば父と母に包まれて過ぎたゆったりと過ごした日々の暮らしがふるさとの景色と共に浮かぶ。
今思えば、父と母がふるさとだったのだ。
あのいつもぐずって母を困らせていた子も、今では女房子供持ちどころか孫娘までいる。私も子供たちの素敵なふるさとになりたいなんて考えながら。海援隊の♪思えば遠くへきたもんだ♪を口ずさんでいる。
冬物のシャツはスクールを出る時に着ることとして、ジャンバーとセーターはニノイアキノ国際空港ですぐに着替えられるように、キャリーケースの一番上に入れてある。
部屋に戻って帰国の為の最終チェックをしている。航空会社の予約確認と機内持ち込み荷物の重量追加と前方座席の契約もスマホで完了しているのを確認した。
楽譜やスクールでいただいたテキストとお土産とノートパソコンは、キャリーケースにしまった。ノートパソコンはマサシが起業する前に、ユリのご主人達と打ち合わせするために貸してあげたものだ。
私の気持ちとしてはマサシの起業のお祝いにプレゼントしたかったが、彼がすぐに新しいパソコンを購入したことで再び私の手元に戻ってきたものだ。
飲む・打つ・買うが好き
今日は事務手続きがあるので早めにスクールの食堂に向かった。スクールの門を入ったところでスタッフに声を掛けて、靴を脱いでそのまま事務所のドアをノックした。
事務所では事務長のトモコが対応してくれて、財布やパスポートなどを金庫から取り出してくれた。財布の中身を一緒に数えてノートの金額と一致していることを確認して私が署名した。
パスポートやカード類もチェックして私の署名を求められた。そして最後に一か月間の洗濯料金を精算した。
事務所を出ると食堂には学習者たちが集まってきていた。しかし高齢者席にはチエの姿はなかった。
このところ日本の大学が春休みになったことで、大学生らしき若者が多くなり高齢者席にも若者たちが座るようになっていた。
1月から2月のマニラは一年中で一番過ごしやすいと時期と言われているが、3月に入ると夏の厳しい日差しが戻ってくる。そのことを知っていてそれを避けるように高齢者がこの時期は少なくなるとマーガリンも話していた。
高齢者テーブルに腰を下ろし一人食事をしているとチエがやってきて隣に座った。
チ:「シゲは今日帰国ですね。お世話になりました。」
鍵:「こちらこそお世話になりました。このテーブルも随分と景色が変わりましたね。」
チ:「そうなの若者だらけになってしまいましたわ。」
鍵;「あと2か月間レッスンを頑張ってください。そしてお互いに東京オリンピックの都市ボランティアを楽しみましょう。」
チ:「そうね。頑張りますわ。でも、これからこのスクールに同年代の人がいなくなるのが寂しいですわ。」
鍵:「マッキはいるのでしょう?」
チ:「彼は奥さんが今週末にこちらに来たら、一緒にセブに行って観光旅行するそうなのよ。」
鍵:「そうでしたか。料理教室は続けるのでしょ?」
チ:「そうだけど。これからは若者と一緒に教わることになるそうよ。私は若者と話す自信がないわ。」
鍵:「そういった状況もチャンスと思って楽しんでください。チエのそばには何時も素敵なご主人が一緒にいると思って。」
チ:「素敵なご主人?」
亭主の鑑みたいな夫だと主婦は大変!
鍵:「私から言わせてもらえばチエのご主人は酒もたばこもやらないで、定時に帰宅するという亭主の鑑みたいな人に思えるよ。」
チ:「そんなひとだと主婦は大変なのよ。主人は自分にも厳しいから私にも厳格な妻でいて欲しかったのですわ。だから主人の帰宅時には家にいなくてはいけないし、休みの日は一日中家にいるから三度の食事を作らなければならない。それに冷凍食品を使うのは手抜きだといっていたので、大変だったわ。」
鍵:「へえ、そうなんですね。」
チ:「シゲの奥様が羨ましいわ。」
鍵:「どうして?」
チ:「主人は厳格な人で女は家事と育児に専念するものだという考えでしたのよ。だから私が日曜日に外出することにもうるさくて、唯一許して貰えたのが役所で募集したコーラスグループに人数が集まらないという事で、埋め合わせのために私は参加したのですわ。」
鍵:「へえ、そうだったんだ。」
チ:「シゲはゆるい生き方をしているから自分に甘いでしょう。だから奥様に対してもゆるい生き方を認めていると思うのですわ。」
鍵:「チエからは僕はそういう風に見えるんだね。しかし、言われて見ればそうかもしれないね。」
チ:「間違いないわ。シゲがそんな性格だからイベントなんかにしても皆をまとめることが出来るのだと思うわ。それはあなたの魅力ですわよ。」
鍵:「そうなのかね。妻には友達と旅行やランチに出来るだけ出かけて貰いたいと思っているんだ。
そうして妻が楽しむことで家族に優しくなれると思っているんだ。
冷凍食品もうまく使えば良いと思っているよ。妻も人生を楽しめばよいと思っているので彼女を束縛するつもりなんてない。僕は家に一人でいる時は即席ラーメンでも作って食べているから。母がデイサービスに行かない時は僕が2人分作っているんだよ。」
チ:「そうでしょう。そういうところが主婦にとってはありがたいのですわ。」
鍵:「でもチエのご主人と違って僕は、飲む・打つ・買うがやめられないんだ。」
チ:「えっつ、シゲは博打ばくちやるの?」
鍵:「いいえやらないよ。僕の飲む・打つ・買うは、高血圧の薬を飲んで、インフルエンザワクチン注射を打って、健康家電を買う。だよ。「チエがここであんたこれ以上どんだけ長生きしたいんだよっ」て突っ込まなくっちゃだめだよ。」
チ:「ふふふ。面白いわね。シゲってそういったつまらないジョークを言えるところが凄いのですわ。」
鍵:「褒められているかどうか微妙だけど、まぁいいか。そろそろ部屋に戻るね。また後でね。」
チ:「そうね。」
そう言ってトレーをかたづけて、スタッフに「Thank you for the meal.」ごちそうさまでしたと挨拶をして食堂を後にした。
良くやったぞ!頑張ったな俺!
部屋に戻って風呂、トイレ、ベッドなどの写真を撮って冷蔵庫の中のビールを取り出して乾杯した。
ふと♪思えば遠くへきたもんだ♪の歌詞が頭の中で流れていた。♪今では女房子供持ち、これからどこまで行くのやら♪それにしても良くマニラまできたもんだ。そして1か月間を想像していたよりも楽しく過ごせたもんだ。と思いながら2本目のビールの缶の蓋を開けた。良くやったぞ、頑張ったな俺。マニラに来て良かった、乾杯!と一人で祝杯を挙げた。
ここに来るのには不安も戸惑いもあったが思っていた以上に自分自身の成長を感じることも出来た。こちらに来る前に「もっと違う人生があったんじゃないか?」「もっと違う生き方を選んだ方が良かったんじゃないか」「これからどうして生きていけばよいのか」など悩んだ時期もあったが、今はこの生き方を選んでよかったと思えたし、この先もこの延長で生きていけばよいという確信が持てた。
ここまで連れて来てくれた自分の紙飛行機には感謝しかない。
そしてこれまでの人生における分岐点にはいろんな人が立っていてくれて、道案内をしてくれた。
そう思ったらお世話になった方々の顔が浮かんできて自然に涙があふれた。
そろそろ時間だと思って冬用のシャツに袖を通して古い方のリュックを右肩に、新しく買ったリュックを左肩に背負って、キャリーケースを手に持って部屋の外に出ようとしたところに、ノックがあり内側の扉を開けるとマンゴウの姿が見えた。
外側の鉄格子を開けてマンゴウを招き入れたら、キャリーケースを彼女が持つというので手渡した。
部屋を出て一礼して大変お世話になりましたといって言ってお辞儀をして部屋に鍵をかけた。
隣の犬が珍しくけたたましい声で吠えていて、まるで別れを告げているようだった。
部屋を出てマンゴウの後をついて歩いていき、スクールの前まで来たがタクシーはまだ来ていなかった。
そこにはチエがポツンと一人立っていただけだった。ひそかに見送りの人がすくなくて良かったと胸をなでおろしたが、本音を言うと寂しさも感じていた。
こんな時の気まずい緊張感が苦手なので早くタクシーに乗り込んで出発したいのだが、しばらくの間タクシーは来なかった。
チエとは1か月前にこの場所にタクシーから降りた時のわくわく感と不安感について笑いながら話をしていた。
マンゴウが携帯で連絡をしているところにタクシーが来て停まった。
ドライバーが降りて来てトランクを開けてマンゴウがキャリーケースを入れてくれてタクシーは出発した。
私は後ろを振りむき手を振って別れを告げた。タクシーは走り出すとすぐに右に曲がって停まった。別れは想像していたよりもあっけなかった。
何か不都合があったのかと車窓を見渡すとそこには見知った顔が並んでいた。
それはウクレレを持っているマサシとショウコ、それにマッキとケンだった。そしてマーガリンとフルーツの姿もあった。
私はタクシーを降りて一人一人の顔を目に焼き付けようとしたが、皆の顔が歪んでいて良く見えなかった。
これはチエが仕組んだサプライズだといって、フルーツが「This is a gift from everyone. Thank you for helping me. Please stay healthy forever. 」これはみんなからのプレゼントです。お世話になりました。いつまでもお元気でいてください。
と言いながらphoto albumを手渡してくれた。サプライズは照れ臭かったが嬉しかったしいつの間にかチエの姿もあった。私は一人一人と握手をして言葉を交わした。
最後にマーガリンが「I mean, you were a special student. Please love your wife forever.」本当に、あなたは特別な生徒でした。奥さんをずーと愛してあげてね。といいながらハグをしてくれた。
私は皆に手を振りながらタクシーに乗り込み窓を開けて、「Thank you for helping me. Bye bye.」といって身を乗り出して手を振った。
How long does it take from here?
タクシーは商店街をゆっくり走って検問所で守衛が車内を覗き込みOKといってタイガースカラーのバーを上げてくれて、すぐに走り出し大通りを左折したからみなの姿は見えなくなった。
私はドライバーに「How long does it take from here.」ここからどれくらいかかりますか?と尋ねたら「Maybe it will take about 50 minutes to reach the airport sir.」多分空港まで50分ぐらいで着きます。といってくれた。
ぼうっと車窓を眺ながらマサシから「シゲと出逢えたことがマニラでの一番の収穫だった。」という言葉とケンから「シゲに教わった人生は誰に出逢うかで決まる。という言葉を大事にしてこれからも生きていきます。ありがとう。」といわれた言葉に思いをはせていた。
タクシーは何度か渋滞にはまったがうまく走り抜けて本当に1時間以内に空港に着いた。
ドライバーが料金は600ペソだと告げたので、あらかじめ用意していた封筒から800ペソを取りだして「Here you go. Please keep the change.」はいこれです。お釣りは取っておいてください。といって空港の中に入った。
そして最初にお土産売り場に行って例のチョコレートを購入してセーターを取り出したところに詰め込んだ。
そうして、ジェットスターのカウンターでチェックインし、キャリーケースを預けて保安検査場でセキュリティーチェックを受けた。
その後税関審査を経て出国審査の搭乗口を確認。その後椅子に腰を下ろしてから持っているペソを数えて再びお土産物売り場を見て歩いて、いくつかのお土産を買って新しい方のリュックに詰め込んだ。
そして搭乗口に戻る前にビールとおつまみを仕入れて、飛行機が見える場所の椅子席に腰を下ろした。
時刻は夜11時を少し回ったところなのでフライトまではまだ時間がある。ビールを飲みながら空港内のアナウンスを集中して聴いている。
スクールの先生と空港でのアナウンスの聞き取りとスピーキング練習を積んできた成果として、驚くほど聞き取ることが出来、にやにやしながらピーナッツを口に放り込んだ。
スタディアブロードの前には、いわゆるリンキングといわれている音のつながりや音の脱落について、頭では理解していたがレッスンを受けて自分で発音することも出来るようになったことによりクリアーに聞き取ることが出来るようになっていた。
ビールを飲みながら飛び立ってゆく飛行機と着陸する飛行機をぼんやり眺めていた。またここに来ることがあるのだろうかなんて考えていた。そして、何年か後に今回のスタディアブロードを振り帰られるように、備忘録として最初に計画を立ててオンライン英会話を始めた一年前の事などを書き始めた。
当初はマニラのスクールにするか、セブのスクールにするかなど、実際に行くとなると滞在時期や期間などについての迷いもあり、やっと出発1か月前に腹を決めて航空券を予約し、スクールに授業料を振り込んだが、行くか行かないかで逡巡していた時の事を思い出してノートパソコンに書き始めた。
あの頃はいつも心が揺れ動いていた。「本当に行く必要があるのか?」「行かなくたってやる気さえあれば日本にいても英会話の勉強は出来るじゃないか」「スタディアブロードのメリットは何なのか?」などあの時の心の中の葛藤について何度も書き直しているうちに搭乗のアナウンスが始まり、私の周りに座っていた方々が列に並んだ。私は列が短くなったところをみはらかって搭乗手続きをした。
さらばマニラ!お世話になりました。
キャビンクルーに搭乗券を手渡してバスに乗り飛行機の近くまで行ってタラップを登った。
座席は来たときと同じで一番前だった。窓側はフィリピン人のビジネスマンで通路側は日本人のビジネスマンが既に座っていた。頭上のロッカーを開けてみると充分にスペースが空いていたので新しい方のリュックと古い方のリュックを両方とも入れることが出来た。
私は両隣の方に軽く会釈をしてミニノートとシャープペンをポケットに入れて、手ぶらで座席に腰を下ろした。
私が追加料金を払って購入した席は足を延ばせて快適なのだが、非常時にはクールと共に非難誘導をしなければならない決まりがあり、離陸と着陸の際には手荷物はすべて頭上のロッカーにしまわなくてはならないからだ。
今回もキャビンクルーは男女2名が乗客と向かい合って座っていて、初めに男性の方がマイクを取って非常口座席の利用についてのアナウンスから始めた。1.12.13列目はすべて非常口座席となりますのでご利用になるにはお手荷物を頭上のロッカーに入れてくださいというアナウンスだった。
それ以外は乗務員やパイロットの紹介といった決まり切った内容だった。その後に、安全で快適な空の旅の為に、お守りいただきたい5項目について、女性のキャビンクルーが説明をした。
機体はゆっくりと滑走路に向けて動き出した。いよいよフィリピンともお別れだと思うと胸が締め付けられるようだった。
漆黒の闇の中に滑走路のライトが迫ってきた。マニラで出会った方々の顔を思い出そうとして、まず頭に浮かんだのが桶まんごろうだった。
飛行機は速度を上げて離陸の体制に入った。
エンジン音が大きくなったので隣の人を気にせずに、桶まんごろう、まじめに謹慎しろよ。おぬしに会えて写楽が誰だかわかって嬉しかったよ。10年後に会うのが今から楽しみだよ。それじゃーまたなって窓に向かって言ってみた。
機体は斜め上空に向かって飛行していた。その時飛行機と並走するように空にのんきに浮かんでいるパンダが見えた。
私は思わず“あれは何だ!”って叫んでしまった。窓際のフィリピン人が「You scared me. What do you mean?」びっくりした。なんなんの?といいながら私を怖い顔で睨んだ。
私は「I’m so sorry. You know, I saw a panda. I mean, I’m afraid of height. 」大変失礼しました。私はパンダを見ました。えーと、間違えました私は高所恐怖症なのです。とその場を取り繕とりつくろったが、彼は私の事をアブナイ人と認識したようで二度と私の方に顔を向けることはなかった。
機体は安定飛行になりシートベルトのサインが消えたので、頭上のロッカーからノートパソコンを取り出して、記憶をたどりながらローマ字入力でキーボードをたたいていた。
気が付くと機内でパンダが飛び回っていた。そして”ご隠居ご無沙汰でおま”と、声を掛けてきた。
私はビックリしたが声を出さず頭の中に「おぬしは謹慎中のはずじゃがどうしたんじゃ。」という言葉を思い浮かべてみた。
桶まんが言うには、彼のレフリーからご隠居の寿命について話したことで、一発レッドカードを出されたが、VARにより一発レッドカードでは厳しすぎるという判定が下されたという事だった。
VARについて詳しく聞いてみると、サッカーで採用されているビデオ・アシスタント・レフリーの事で、問題になった場面をもう一人のレフリーがチェックして再ジャッジをする事らしい。
桶まんが私の脳に一瞬だけ送ってくれた、私の担当になってから私が死んで任務を終えるまでの任務表が実は他人の物だったことが判明し、今回の事は一発レッドカードではなくイエローカードに変更された。その為次にイエローカードが出されるまで私のまんごろうの担当をするそうだ。
それを聞いて私は怒りが込み上げてきた「するってーと何かい?わしは10年後に生きているかどうか分からいないってことになるんですかな?」と冷静を装って頭に思い浮かべてみた。
桶まんは、そうでげす。と意味ありげに答えてくれた。
私が頭に思い浮かべた言葉は「何ってこった、おぬしがご隠居は10年後も生きていると教えてくれたので、この先もだらだらと悠々自適に生きていこうと決めていたのに、いつ死ぬか分からないんだったら一日一日を大事に生きていかなきゃならんじゃないか。」だった。
桶まんは、ご隠居が死んじゃっても親魂には次があるでげすと、お気軽に話してくれた。
それと色々話しかけてくるので、今回のスタディアブロードについてのまとめをノートに書くのに、桶まんは邪魔なので何時もの合言葉が思い出せなかったので、適当に “とっとと失せろべらぼうめ、いい加減にしろ、このおたんこなす”といったらパンダの姿は見えなくなった。
貰ったphoto album を開いて、一ヶ月を思い出しながらノートに書いている。しかし、写真も文字も霞んで見えない。いつの日か今回のスタディアブロードの事を本にまとめられたなんてアホなことを考えていた。
夜中なのに不思議と眠くならないのでスクールでの英語での挨拶の時に耳の芸が大ウケした場面を思い出していたら、思わず吹き出してしまった。
窓際のフィリピン人がおびえるような目でこちらを見ていた。
記憶があいまいなところは桶まんを呼び出して奴に教えて貰いながらノートに書き留めた。
しかし、流石に疲れたので少しだけでも眠ろうと目を閉じた。よほど疲れていただろう自分では5分ぐらいと思っていたが随分時間が経過していたようで、女性のキャビンクラークから声を掛けられてハッとして目を覚ました。
これからの人生も一緒に歩いて行こう!
話の内容としては着陸態勢に入るので手荷物やノートパソコン等を頭上のコンポーネントにしまってくださいという事だった。
私は頭上のコンポーネントの中のリュックにphoto albumとノートをしまって、スマホをポケットに入れて座席に腰を下ろした。
まもなくして先ほどの女性のキャビンクルーがマイクを持ち、機内アナウンスが始まった。日本語のアナウンスはなるべく聞かないようにして、英語でのアナウンスの方を集中して聴いてみた。
私が聞き取れたのはまもなく成田国際空港に着陸しますのでシートベルトを締めてください。そして座席は元に戻してください。電子機器は電源を切ってください。成田の気温はマイナス5度、雨、などという内容だった。
今回のスタディアブロードにおける英会話のテストは、機内アナウンスと空港のアナウンスを聴きとることだったので自分の採点としてはほぼ合格。
飛行機は予定通りの時刻に着陸した。そして再度キャビンクルーからアナウンスがあったが定番の内容なので、改めて英語のアナウンスに聞き耳を立てることはしなかった。
車窓から見えたのは夜の成田だった。スマホで確認すると今日の日の出時刻は6時30分前後の予定なのでそれまではまだ1時間半ほどある。
飛行機が完全に停止したので乗客はコンポーネントから我先にと手荷物を取り出して降りる準備をしていた。
私はスマホのLineで連れ合いに成田に到着したことを報告してから、おもむろに立ち上がってコンポーネントから二つのリュックを下ろした。
そして、乗客が少なくなったのを確認してから、キャビンクルーにありがとうございましたと言ってタラップを降りた。
傘を持っていない私は雨の中を二つのリュックを片方ずつの肩に掛けながらバスに乗り込んだ。
マニラはネバーランドだった。
まもなくしてバスから降りて入国審査を通ってターンテーブルでキャリーケースを受け取り、税関検査終了後到着ロビーへ。
その時lineに連れ合いから私も飛行場の駐車場に着きましたと連絡があった。同時に代官からもlineで僕は第一ターミナルのロビーにいますが、成田に着きましたか?という投稿があった。
二人にlineで私は今から第一ターミナルに向かいますと書き込みをしてから、歩き出したが正直にいうと代官と連れ合いを引き合わせることにためらいもあった。考えてみるとこれから代官はともかく、桶まんごろうと付き合っていかなくてはならないと思うと先々の事が心配だ。
第一ターミナルについてキョロキョロしていると、やあ、久しぶりという懐かしい声に促されて振り向くと、強面の顔があった。
まもなくして、ふわふわした白い綿のようなものに包まれた連れ合いが近寄ってきた。元気なようで何よりですという彼女の言葉に、マニラで思いっきり楽しんできたよと笑顔で返した。
あなたの周りのそのふわふわした白い綿のようなものは何なの?と訊かれたが自分には見えなかった。
白い綿のようなのもについて代官に話してみたが彼には全く見えないようだった。
桶まんごろうが「ご隠居、それはとても幸せな時にだけ現れるオーラで、幸せを感じている人にしか見えないのでござる。」と教えてくれた。
パンダからどうして助さんの話し言葉に変わったんですかな。とツッコミをいれてみたら私が助さんを頭に思い浮かべたからだという。
そして自分の幸せのオーラは自分自身では見えないのでござる。と、説明してくれた。幸せのオーラの事を連れ合いに伝えてみた。すると、妻が「私にもあなたの周りにふわふわしたものがみえるわ。」という言葉が返ってきた。私は連れ合いも幸せだと感じていてくれることがとても嬉しかった。
代官に連れ合いを紹介したが、彼がフライトまでそんなに時間がないというので、立ち話だけで別れた。しかし別れ際に代官からシゲに折り入って相談があると言われた一言がとても気になった。
そして、連れ合いから「あなた、この一ヶ月はどうだったのですか?」
と訊かれて、僕にとってマニラの一か月間はネバーランドにいるようだった。と答えた。
そうしたら連れ合いから「あら、それは良かったこと」と、自分の事のように喜んでくれたのが本当に嬉しかった。
考えてみるとマニラでの一か月間のスタディアブロードは、英語の勉強よりも自分自身がどれほど幸せなのかという事を確認するご褒美旅になったのだった。
私は妻に「この先の人生もよろしく!最期まで一緒に歩いてゆこう」と言って、何年か振りに手を繋いで駐車場まで歩いた。
おわり
あとがき
マニラの英会話スクール落語会で一席。
♪梅は 咲いたか 桜は まだかいな♪ スチャラカ チャンチャン。立川志の輔師匠の出囃子「梅は咲いたか」。
鍵:「えー、まいどバカバカしい噺に最後までお付き合いいただきありがとうございやした。えーと、お題は『ウクレレ抱えた還暦おやじ語学留学でマニラに行く』でございやしたがあほらしいとあきれていただけやしたか?
」
桶:「ご隠居違いまっせ。『還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ』でござんす。」
鍵:「助さん。ごちゃごちゃうるさいですな。細かい事なんか気にするんじゃありません。そんなことでは、うっかり八兵衛になれませんぞ。」
桶:「ご隠居。よしておくんなせいやし。八兵衛にはなりたくござんせん。」
鍵:「この話は、令和の前の平成という年号の時の物語でございまして、ウクレレ好きの還暦過ぎのおやじが英会話も出来やしないのに、ふと、語学留学を思い立ってしまい。
よせばいいのに本当にマニラで一ヶ月間過ごしちゃったという噺でございました。
落語には、皆さんご存じよりのように、八っつぁん、熊さん、与太郎がレギュラーメンバーですが、ご隠居さんが登場する噺もいくつかあります。
この物語の主人公のおやじは、定年の3年前に早期退職して起業。
60歳から企業年金を貰いながらコンサルタントとしてどうにかこうにか食いつないできて、いよいよ老齢年金が貰えることになったことで、働かなくても暮らしていけると考え隠居して悠々自適に生きて行くことを決めます。
そして、これまで頑張ってきた自分へのご褒美にと、マニラへの一人旅を決意しました。
しかし、フィリピンをただ旅行しながら観光スポットを歩くだけではつまらないので、いっそのこと語学留学をしちゃおうとのんきに考えたわけです。
万国共通の様ですがアホな奴ほど行動力に優れているのでございます。
こういった輩は色々悩んだりしないのだから始末に負えない。
普通に考えて語学留学する方の目的は、TOEICのスコアーアップや英語を必要とする企業への就職といったことでしょ。
この隠居はハナから英語を勉強する気のないおやじが英語に人生を掛けている若者たちに混ざって迷惑を掛けない様にと考えて、スクール形式の授業をしている学校ではなくマン・ツウ・マンで授業をしているスクールを探しだしました。
そのようなところには神経が行き届くのです。アホは!
それに一ヶ月間寝泊まりするのは語学スクールの寮であって、部屋の選択肢は、4人部屋、二人部屋に個室でしたが、隠居は若者との同部屋は避けたいからと一人部屋に決めたのでした。
しかし、その部屋には窓がなく鬼平犯科帳などの時代劇に出来てくる千両箱がぎっしり詰まっている土蔵そのものだった。時代劇の好きな隠居は、ふと自分が盗人で土蔵やぶりをしている気分になっていると、扉が開いて「盗賊改め長谷川平蔵である、神妙にいたせ!」といってお縄になるイメージがわいてくるのであった。
そのイメージを増幅させたのが、入口の二重扉と一段下がった床でした。
今にも盗人が入口をこじあけて入ってきそうな雰囲気で、
元来怖がりな隠居は、初日から誰かに見られている感じがしてなりません。
多分その正体は悪戯好きな狸なのか?はたして妖怪なのか?こわいのでスクールに相談して部屋を替えて貰うように頼みたかったのですが、事務局の女性が魔女の宅急便のおソノさんに似の隠居好みのタイプ。
彼女から弱虫と思われたくないのでやせ我慢して一ヶ月間その部屋で過ごしたのです。
しかし、後日その物の正体が分かったのです。それは自分の魂だったから隠居はビックリ仰天!
しかも魂と会話してみると何百年も魂家業をしていて、有名な浮世絵師の担当したことがあるというのを聞いて、隠居は俄然彼に興味を持ちました。
しかし、そんなはずはない、きっと狸に化かされているのだと思いましたが
このことはスクールのフィリピーナの先生にも、スクールで知り合った同年代の方々にも相談出来ずにいました。
類は友を呼ぶの格言通り、隠居はスクールの生徒で英語を勉強する気がない不良老人達と仲良くなり、スクール内では日本語禁止の場所もあるので、そういったところでは筆談を楽しんだり、隣に座ってLINEで会話をしていました。
そんな不良老人達4名に部屋でウクレレ初心者レッスンをしていましたが、ある日フィリピン人のウクレレグループから誘われて、マニラの高齢者施設での慰問に協力することになりウクレレ戦隊ゴレンジャーを結成。
日本人が多く入所している高齢者施設の慰問に学園祭気分で参加して大いに楽しみました。
そして、驚くことにその高齢者施設の経営者はなんと日本人でしかも有名人だったのです。
隠居はその方から「まだ見ぬ子供のために自叙伝を残したい」という相談を受けます。彼のフィリピン人の妻は、20代で今妊娠していている。彼とは年齢差が40歳ほどあるので、子供がものごごろ付くころまで自分が生きているかどうかわからない。子供が大きくなって自分のルーツや両親の事を知りたいときに読んで貰いたいと考えているのだそうだ。
隠居は、授業のない日曜日にスクールのあるケゾンから一人でジプニーに乗ってコバオのウクレレカフェで弾き語りをする計画を実行し、危険な目に合いますがその都度強面のおやじに助けられます。
人並みに苦労して生きてきたと思っていた隠居は、スクールで出会った高齢者たちや若者たちのスクールに参加した目的や夫々の人の生き辛さや苦悩を知ることで自分がどれほど恵まれて生きてきたのかを思い知らされました。
そして、隠居は自分自身が賞味期限切れの人間だと思っていましたが、まだ消費期限は残っていると認識し、まだ少しは誰かの役に立てるのだという事を気づかされて帰国したのでした。
この小説は自分の夢を実現する為に「勝手な想像をし都合の良いように捏造するなどやりたい放題。挙句の果て誤字や脱字もあるでしょう。
そのところは、この作者はまともなおやじでないと思召して、平に平にご容赦願います。
桶:「ご隠居はマニラに来てキャラ変されましたなぁ。」
鍵:「助さん、そうですかなぁ、それにしても旅はいくつになっても良いもんですなぁ。」
最後になぞかけを
スタディアブロードと掛けて「時代遅れの男になりたい」と解く、その心は英語の勉強より河島英五の歌がいい。
おあとがよろしいようで!ポロン♪
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