還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ ②
僕のヒーロー
スタディアブロードで、2019年1月20日の19時30分に成田を出発しマニラに向かう。航空会社はLCCのジェットスターだ。
今日は妻と母と一緒に成田山新勝寺で参拝し、旅行の無事を祈念。
ランチを食べてから成田空港まで送って来てもらい、駐車場から第2ターミナルまで一緒に歩いている。
成田空港にこの3人で来たのは、何時以来だろうと脳に尋ねてみるが判然としない。このところの私の脳の奴のやる気のなさはあきれるほどひどい。
仕方がないので連れ合いに聞いてみると、3年前に3人プラス長男との台湾旅行の時以来とのこと。
その旅行は、仕事でお世話になっている住宅メーカーからの招待だった。家族で4日間、夢心地で過ごした楽しい記憶がよみがえってきた。
故宮博物院で一番人気の翡翠輝石の彫刻の翠玉白菜を観て美しさとキリギリスの可愛らしさに感動し、脳が欲するままに白菜のキーホルダーを買ってしまった。
スタジオジブリの宮崎駿監督が食事をしながら「千と千尋の神隠し」の街並みのイメージを着想したという九份の同じ席で食事をしたのは素晴らしい思い出になった。
しかし、それよりまして私の脳に刻まれているのは、80代の母を筆頭に、分別のある年齢の大人が一日中酔っぱらっていたという記憶だ。
その中でも私は、トイレを我慢できずに道路でバスを何度か停車させて貰ったこともあり、いい年こいたおやじがやる事ではない。なんて考えながら思いだすだけで恥ずかしいやら情けないやら笑いがこみあげてくる。
♬ピロロロロ. ロンTW201便は只今成田に到着いたしました。Attention please Attention please.TW Air flight 201 is now arriving at Narita. blah blah blah♬「blah blah blah」は英語が聞き取れない部分にブラブラブラを使っている。
第2ターミナルについた、時刻は16時。私は空港のアナウンスを聞くのが好きだ。
19時30分のフライトまではまだ3時間半位あるので出来れば一人でゆっくりと色んなアナウンスを録音し、マニラで先生に英文にして貰って意味が分かったうえで繰り返し何度も聞きなおし、帰国する際には機内アナウンスなどが聞き取れるようになっていたい。
その為には自分がアナウンスのスピーキングが出来るようになっている必要があるので、フィリピン人の先生にシャドウイングでのレッスンをして貰って、成果を感じることのできる一か月間にしたいと考えている。
低い目標だが成田に帰ってきた時に、空港でのアナウンスが聞き取れれば今回のスタディアブロードは成功だったとすることに決めた。
振り返ってみると私は子供のころから勉強は嫌いだった。それはいったい何故だったのだろうと、今考えてみると勉強における成功体験がなかったことに尽きる。
自分の脳をうまくだます
勿論、記憶力が良くなかったことも要因の一つだと考えられるが、とにかくやる気が続かないし、集中力がなかった。
ある日、社会人になって手にした本は、私に“頭の良い人は自分の脳をうまくだますことが出来る”と語りかけてきた。
今までそんな風に考えたことがなかった私は、衝撃を受けた。
その為、勉強する楽しさを初めて知ったのは、社会人になってからだった。
そして、私は脳に勉強をすることで仕事の成果が上がって、収入も大幅に増えると繰り返しインプットするようになった。
私の経験では、薄暗い部屋の椅子に一人でゆったり座り、アルコールの力を借りることで、より脳を錯覚させることが出来たしJazzやクラッシックなどの曲を聴きながら、というのも気にいっていた。
そうすることで脳がだまされて、どんどんプラス思考になってくる。従って、 “勉強なんて何の役にも立たない”とか“勉強なんかやらなくても生きていける”などというやらない理由を抑え込むことが出来るようになった。
そして、勉強したことを実践したことから社内で評価されて部下を持つ身になり、なお一層、やる気に火がついて専門書や自己啓発書を読んで行動するという好循環が生まれた。
その為、40代~50代の同年代の人達があきらめたパソコン操作についても、これはサラリーマンの武器でこれは楽しいゲームだと脳をだましたことで、エクセル、ワード、パワーポイントも使いこなせるようになれた。
よりスピーディーに文字が打てるようになったほうが報酬も増えると脳をだまし、ブラインドタッチをソフトで練習して習得した。
そして、その技術は起業した今も私を助けてくれている。
成果が目に見えるようにしなければならない
今までの経験から英会話の勉強についても自分自身をやる気にさせるためには、成果が目に見えるようにしなければならない。
身近なところで目に見える達成感を得る為にも出来るだけ多くの英語のアナウンスを数多く録音する必要があると考えていたので、なるべく早めに成田に着きたいと考えていた。
そんな私の計画など知る由もない連れ合いと母は、お茶でも飲んでもう少し一緒に居ようと提案してくれたが、帰宅時に道路が混んでいたら19時前に帰宅できなくなるからと早めの出発を促した。
そして、今夜の夕食用にと空弁を3人分渡して「心配しないでいいよ。ウクレレ抱いた渡り鳥で楽しんでくるから、向こうに着いたら、LINEで毎日報告するから」と言って、二人を笑顔で見送った。妻は、孫娘へのお土産も手にして駐車場へと歩いて行った。
このギターを抱いた渡り鳥は、今日のランチの時に皆で大笑いしたネタからのジョークだった。
この映画は、昭和を代表する映画スターの小林 旭が主演で8本も映画化された渡り鳥シリーズだ。
ストーリーは元刑事で今ではギターを持って「流し」をしている主人公が見知らぬ土地にやってきて、そこの女性と知り合い、その街で暗躍する黒幕をやっつけて、また別の街へと旅立つという西部劇風のストーリーだった。
流しっていっても今の若い人はピンとこないかもしれないが、私が若い頃は居酒屋やスナックで飲んでいるとギターを持ってお店に来て「お客さん一曲如何ですか?」って言って客から注文を取って歌っていた。
店のお客さんも好きな歌をリクエストして一緒に歌って盛り上がっていた。
まだ、カラオケがなかったころだが、同じ時期に北島三郎や五木ひろしも東京で流しをしていたとテレビ番組で観た事がある。
渡り鳥の旭がラストシーンで、馬に乗ってギターを持って去っていく姿は格好良かった。まさに、ヒーローだった。
今思えばマンガのような映画だった。私が小学校低学年の時で何度も父親と映画館で見た記憶があるから、この映画はギター好きだった父親のお気に入りだったのだろう。
映画館の帰りには、父親に肩車をして貰って一緒に北帰行を歌った記憶がある。その為だろうか私は石原裕次郎よりも旭の方が好きだった。それでもあの時の僕のヒーローはやっぱりおやじだった。当時の日本人としてはおやじは長身で身長が170㎝以上あり、肩車されると旭と同じように馬に乗っているような気がしたものだった。
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