Chatgptの普及で平成ポンポコを想起
ChatGPTで絵本を創りたいとので、無料のオンライン講座を受講しました。
いや~。AIに関する知識のない人間にとっては、とてもタフ。この感覚はwindowsが初めて普及した時と重なる。1993年、私は住宅メーカーで営業の仕事をしていて、37歳で中間管理職だった。各自の机にデスクトップパソコンが設置されていた。当時windows3.1を使えないとサラリーマンとしてこの先生き残れないと、メディアが煽っていた。
この時点で、上司からの指示で稟議書などの書類は手書きから変更になった会社もあったと聞く。手書きのビジネス文書が本格的に姿を消してゆくのはwindows95が登場してからだった。Officeも普及していた。この頃、社内でもwindowsの使い方教室が頻繁に開催された。しかし、私の同年代の中でもついて行けずに早々に諦めたひと達もいた。まるで、ジブリの平成ポンポコのたぬき達のようだった。
50代以上の方々の中には、社内の勉強会をエスケープし自分が手書きで書いたものを若い社員にパソコンで打って貰っていたのを何度も目撃した。
今、ChatGPTがビジネスのあり方だけでなく社会のあり方を変えようとしている。子どもたちは、夏休みの宿題をAIにやってもらう。代表的なのが読書感想文だ。本を読まなくても簡単に素早く出来てしまう。学生たちもAIを使いこなすことで、卒論も書くことができると聞く。作詞作曲も絵画もイラストも小説も書いてくれるそうだ。それに俳優も歌手もAIで制作したものが活躍するとなると、プロフェッショナルは今後どのような仕事が残るのだろう。
税理士や司法書士、弁護士などもAIの方が正確であり、費用も時間も節約できるはずだ。現役世代の方々はどうして生き残るのだろう。「唯一生き残ることができるのは、変化できるものである」というダーウインの言葉がふと頭をよぎった。