還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ56
ユリとチエの浴衣姿が可愛い!
食堂にはショウコがいてチャックと食事をしていた。ショウコにカホンを見せたら彼女から。
シ:「What’s that cardboard box?」そのダンボールの箱は何?
鍵:「This is a cajon.」これはカホンだよ。
シ:「Really?」本当に?
玉:「What is that?」それは何なの?
鍵:「This is a musical instrument.」これは楽器です。
玉:「You’re kidding.」冗談でしょ。
鍵:「You’re right. This is a chair.」その通り。これは椅子です。
シ:「Oh boy.」またまた。
マ:「This is an instrument made of cardboard.」これはダンボールで出来ている楽器です。
玉:「I’m sure if you say.」あなたが言うなら間違いないわね。
鍵:「Trust me too.」僕の事も信用してよ。
玉:「Pardon?」何?と言いながら耳の横で手を開いた。
私もショウコもマサシも不意を突かれて、ツボってしまってしばらくの間立ち直れなかった。
そんな様子を不思議そうに見まわしながらユリとチエが階段を下りてきた。二人とも浴衣姿だった。
玉:「How wonderful!」素晴らしい!
シ:「Wow! 」わー。
鍵:「Nice!」ないす!
マ:「Both of them look good in Yukata.」二人とも浴衣が似合ってるね。
チ:「Thank you for the compliment.」褒めていただきありがとうございます。
ユ:「Thank you. 」
マ:「I must say you look really beautiful today.」今日はとても綺麗ですね。
鍵:「You talk a lot today. Masashi.」今日は良くしゃべるね。マサシ。
マ:「I changed my mind a little.」チョット考え方を変えたんだ。
シ:「What do you mean?」どういう事?
マ:「Try to speak English without worrying about small mistakes. like Shige. I think.」シゲみたいに、細かいミスを気にしないで英語をしゃべろうと。考えたんだ。
シ:「I see. I’m so happy for you.」なるほど。良かったわね。
鍵:「That’s good. English is just tool.」それはいい。英語は単に道具なんだから。
玉:「You can say that again. And Masashi is used to complimenting women.」まったくその通り。それにマサシは女性を褒めるのに慣れてるから。
チ:「Exactly. He always praises the Shoko.」その通り。彼は何時もショウコを褒めているから。
ユ:「That for sure. He always says he loves her.」間違いない確かにそうだわ。彼は何時も愛しているって言っているわ。
チ:「I can hear your voice from the next room. It’s you beautiful and always nice.」隣の部屋から聞こえてきますわ。君は奇麗だ。いつも素敵だ。
玉:「Oh my goodness.」あらまあ。
マ:「What do you say勘弁してよ in English?」は英語で何て言うのだっけ?
玉:「Give me a break is not good in this situation.」このスチュエーションだと『Give me a break』がいいんじゃない。
マ:「Come on, give me a break!」いい加減にしてくれよ。
シ:「All right. Shall we get going, my sweetheart.」それじゃ。そろそろ行きましょうよ。私の恋人さん。
鍵:「I give up.」参りました。
皆でフルーツの家に移動しながらこのところ最初に出会ったころよりもユリやチエも英語を話すようになったと考えていた。それに、英語に関してはプライドの高いマサシが英語について質問するなんて驚いた。
リハーサルでリクエスト曲の練習
フルーツの家に着くとフィリピン人メンバーは既にきていて我々も控室に移動し、一曲ずつイントロのタイミングと終了の仕方を確認した。
それに合わせて、東京音頭だけでなく “ふるさと”や“赤とんぼ” そして“カントリーロード”にもカホンを試してみたら、皆がリズムを合わせやすく歌い易いといというので採用することにした。
童謡は私がカホンを担当し、ウクレレはマサシとショウコとフィリピンメンバーとなり、それ以外の曲はマサシがカホンを担当することになった。
リクエストがあった場合の “上を向いて歩こう” はカホン担当がマサシで、全員で歌ってユリとチエが入居者の方々に一緒に歌って貰えるように促すように決まった。
日本人メンバーはフィリピンですっかり南国気質になったのだろう、そのためリクエストが来るかどうかも分からないのに “上を向いて歩こう” を一番多く練習した。
しかし間奏のところの口笛は誰も吹けないので、その部分は♪タタンタンタタタタンタン♪とユリとチエが歌う事に決まった。
そしてアンプのセッティングやマイクのテストの為に早めに高齢者施設へ移動し、そこでもリハーサルをすることになった。
高齢者施設へはマンゴウに案内して貰いフルーツの家からは、歩いて10分ほどだったのに気温が高いのと荷物が多いので高齢者の私には結構きつい移動に感じられた。
高齢者施設に着くとそのままイベント会場に通されたので、アンプなどのセッティングをしてリハーサルを始めることにした。
会場は一階で大きな掃き出し窓は開いていて、庭の芝生まで部屋が続いているように見えるし、日本庭園もとても手入れがされていて気持ちがいいのでしばらく眺めていた。
フィリピンメンバーはその間も忙しくセッティングしていた。
彼らが用意してくれたのは、スタンドマイクが2本とアンプが1台だった。そのほかにアンプ1台は施設の物を借りることにしてあるので機材としては充分だ。
このスペースがあれば東京音頭を輪になって踊っても貰っても大丈夫そうだし、外に出て芝生の上で踊っても楽しそうだ。
ピックアップ付のウクレレはビーナスのものだけなのでそちらをアンプにつないだ。
この会場は普段食堂として使われているようで壁には日替わりメニューが貼ってあり、日本食が中心だった。そして、今日の夕食はバーベキューとなっていて、希望者はノートに名前を記入する方式となっていた。庭でバーベキューは楽しそうだなと感じた。
普段は沢山並べられているはずのテーブルは片付けられていて、椅子だけが60脚ほど並んでいた。
チエとユリは動けるスペースを確認し、マイクテストも手馴れていてびっくりさせられた。ユリが書いた模造紙の歌詞は施設で用意していただいたホワイトボードに貼ることができた。
これで準備完了なので一曲目から通して最後まで練習した。司会進行はチエとユリに任せることになったが、彼女らの冗談も交えながらのトークも楽しい。
最後の曲の東京音頭を演奏している時に、フルーツとご主人の小倉さんが部屋に入ってきたら二人とも一緒に踊りだした。
そしてアンコール曲の♪上を向いて歩こう♪を演奏すると二人とも一緒に歌ってくれた。そして間奏のところは小倉さんが口笛を吹いてくれた。
それを見てフルーツは驚きの表情を浮かべていたがとても嬉しそうだった。フルーツから本番でも夫に口笛を吹かせて欲しいと云われて、小倉さんのキャラクターとして音程が外れるところも入所者に喜んで貰えると考えてやってもらうことにした。
本番を前にして皆で楽しもうぜと言ってエイエイオー!と気勢をあげたが、漫画などで勝鬨かちどきにあこがれていた彼らはこれをやりたかったそうだ。
それにしても日本の文化や言葉は知らない間に英語になっていたことに驚かされた。
それは、大門やビーナスやクマにどうして君たちは、高齢者施設の慰問なんかをやるのかを尋ねた時だった。
彼らは口をそろえて「It’s my ikigai.」と答えてくれた。私はアィケェガイという単語を知らないので、マサシに聞いてみたがTOIECほぼ満点の彼も知らなかった。
大門に聞き返してみると日本語の生き甲斐いきがいということが分かった。英語には生き甲斐に相当する単語はないという事だった。そして、ググってみると「Ikigai.」は「Mottainai.」と同様世界の公用語となっていると書いてあった。
折角の機会だから楽しまないともったいない、ぶちかまそうぜ!エイエイオー!ということでイベントはスタートした。
故郷は遠きにありて思ふもの
開演時刻ぎりぎりに代官がやってきて一番前の椅子に腰かけた。そして、マッキやスクールの先生方もやってきて会場の椅子は7割程度が埋まってきたが、ほとんどが日本人のようだった。
定刻になりフルーツが開演の挨拶を英語と日本語で行って、MCのユリとチエにマイクが渡されてイベントはスタートした。最初の“ふるさと”の一番はユリとチエが歌い。もう一度一番を参加者に歌って貰って二人が踊るという演出を行った。♪うさぎ 追いし かの山 小鮒つりし かの川 ゆ~めは い~まも め~ぐ~ り~て わすれ が~たき ふるさと♪
そして、3番まで歌い切った。中には涙ぐんでいる人もいて会場内は一体感に包まれた。そしてショウコとマサシは初めてイベントでウクレレを弾き終えたことで、満面の笑みを浮かべていた。
私はカホンを叩きながらなので楽譜を見る必要もなく、全体を見渡す余裕があった。ユリもチエもフィリピンメンバーも皆満足そうな顔をしていた。
そのまま“赤とんぼ”を演奏すると最初から手拍子が加わった。♪夕焼け 小焼け~の 赤とんぼ おわれ~て みたのは いつの日か じゅうご~で ねえや~は 嫁に行き お里の便り~も たえは~て~た♪
ユリがチエをおんぶして、赤とんぼを見ているという演出はとても良かった。
それにしても童謡は演奏していても歌詞の内容に合わせて情景が浮かんできて、こちらの目がしらも熱くなった。
フィリピンメンバーも歌詞の内容を理解してくれていたので、彼らの琴線にも触れたのだろう、演奏後はクマも大門もハンカチで目頭を押さえていた。
当然のことだが故郷や親兄弟を思う心は万国共通だと実感した。私も幼い日に父親に肩車されて見た夕焼けと赤とんぼが飛び交っている光景をおやじがいつも吸っていた、たばこの臭いと共に思いだしていた。
気が付くと会場の椅子はすべて埋まっていて、立ち見の人までいた。それでカントリーロードを演奏する時には、フィリピン人の先生方やスタッフがノリノリで歌いながら体を動かしていた。
その後の曲はビーナスがMCで盛り上げフィリピンメンバーが5曲ほど弾き語りをしたが会場は熱気に包まれていた。
そして最後は司会をユリとチエに戻して、日本人メンバーも参加して東京音頭を演奏することになった。
チエとユリが踊り方を説明してカホンでリズムをとりながら演奏が始まった。打ち合わせ通りにマッキも作務衣で参加して浴衣姿のユリとチエとで輪になって踊りだした。
その輪はどんどん広がってゆき掃き出し窓の外にも輪が出来て、皆ニコニコしながら踊っていた。そして、参加者は周りの人たちとハイタッチをしていた。
演奏が終わると会場からも庭からもアンコールの声がかかった。口笛を吹いてもらう小倉さんともアイコンタクトをして、マイクのところまで来てもらった。
いよいよ皆で一番練習をした、とっておきの “上を向いて歩こう”を演奏出来ると思って楽譜を譜面台に準備したら、東京音頭、東京音頭の大合唱になった。
それで東京音頭を演奏したら一回目の時には踊りに参加していなかったフィリピンの先生方やスタッフも加わって、輪がどんどん大きくなった。
小倉さんも代官もニコニコしながら踊っていた。私も演奏をフィリピンメンバーに任せてその輪に加わって踊った。マサシはカホンの音をマイクで拾ってリズムをとっていた。
3回目は参加者が歌いながら踊るので、カホンだけでリズムをとれば演奏は不要で、フィリピンメンバーも輪に加わった。会場はほぼ日本の盆踊り大会になった。
東京音頭を踊り終えると、誰かが炭坑節を歌いだしたらそれに多くの人が続いて、輪になって大盛り上がりなった。
輪がほどけてイベントメンバーが楽器の元に戻り♪上を向いて歩こう♪を弾き語りし、小倉さんの口笛は拍手喝さいを浴びた。
アンコールは”ふるさと”だった
それでもアンコールという声がやまなかったので、ラスト1曲とさせていただくことを告げて一番希望が多かった “ふるさと”を演奏した。
入所者の中にはこの施設を終の棲家として、マニラに骨を埋める覚悟を持ってきている人もいるここでしか生きられないという思いで暮らしている人もいる♪ふるさと♪を歌いながら人生を振り返って、その人たちはどんな情景を頭に浮かべているのだろうかと思いめぐらすと胸が締め付けられる思いだった。
小倉さんがイベント終了の時に室生犀星の「ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・・・・」という詩を引用して挨拶した言葉が入所者の涙を誘った。
イベントメンバーはマサシの提案で「High five.」を行って、今日の成功を喜び合った。私は、「High five.」の意味を知らなかったが、ハイタッチの事だった。
日本人のイベントメンバーは初めてのライブという事で、興奮が冷めずにいつしか「High ten」になっていた。
成功体験を共有したことで、親近感はますます醸成された。大変だったけどやってよかったと思えた瞬間だった。
代官からの施設への提案
イベント終了後、代官と一緒に小倉さんに施設を案内して貰った。私はひそかに代官が小倉さんと会ってどのようなリアクションをするか楽しみにしていたが、普通に挨拶を交わしただけだった。
小倉さんの話によるとこの建物は以前、語学学校として使われていたという事であった。
高級ホテル並みの部屋で過ごしながら英語を勉強できるという謳い文句で、当初は日本人からスタディアブロードの学校として人気になったが費用が高いという事で次第に生徒が集められなくなり廃業し、その建物を小倉さんが買い取ったという事だった。
小倉さんの話だとフィリピンへの語学留学の最大の魅力は費用が安いという事。そして、可能な限り予算を削りたい人はマニラよりもコストの安いセブの語学学校を選択する傾向がある。
従って、他のスクールと差別化する為にフルーツが経営しているスクールの食事は日本食としていると語っていた。
フィリピン内でも競争があるので当然差別化をしなければならないが、そのためにコストが安いという最大の魅力をなくしてはいけない。
そして、この高齢者施設の売りも食事であると小倉さんは説明してくれた。何故、そうしているのかというと入所者は100%日本人だからだそうだ。
部屋はシングルタイプとツインタイプから選べるようになっているが、シングルタイプはほぼ満室だそうだ。
小倉さんの話だと利用者が取得している結婚ビザから推測するとフリピーナとの結婚生活が破綻した男性がほとんどだそうだ。
日本の家族を捨ててフィリピンにきたが、お金の切れ目が縁の切れ目であり、病気になったりすると彼女から捨てられるケースが多いらしい。
その話を聞いて代官は苦笑いしていた。そして、代官が私に「あなたは何故うまくいっているの?と聞いてもいいかな?」というアイコンタクトをしてきたので、小倉さんに見えない様に人差し指を左右に振ってNoのサインを送った。
内部のつくりは日本で例えるならばシティーホテルといった感じで、バスユニットが設置されていた。
やっぱり日本人としては小さなバスタブでもあると嬉しいと代官がいった。
夫々に小さな冷蔵庫がついて、ツインタイプの方はミニキッチンも設置されていた。
小倉さんの話だと日本国籍の人は土地の所有が認められないが、コンドミニアムなら所有が認められているとのことなので、将来施設の運営に行き詰まったら部屋ごとに売却することも考えているとのことだった。
小倉さんの先見性の高さに代官と私は驚かされた。素晴らしい経営者ですねと話を振ったら、顧問税理士の西園寺先生の指示に従っているだけと謙遜していた。
代官は日本国籍の人には不動産の所有が認められないという部分に、フォーカスしていたようで、ここの所有者は小倉さんじゃないんですか?と尋ねた。
小倉さんは僕じゃないですと答えて、ここもスクールもスナックも法人所有としています。
自宅だけはフルーツの所有にしてあります。
私はどうして自宅はフルーツ名義にしてあるんですかと聞いてしまった。それに対して小倉さんは「当たり前の話ですが私がフィリピン人と結婚しても国籍は日本人のままですから、土地は所有できないのです。法人所有となると勝手に売ったりできませんが、個人所有ならフルーツの意思だけで処分したり、贈与もできます。そして、どのように相続させるかもフルーツが決めればよいと思っていますから。」
私は小倉さんの説明を大きく相槌をうちながら聞いていた。代官も腑に落ちたようだった。
代官は設備や賃料などに満足したようだったが、一つだけ不満な点があると言って小倉さんに話していた。
それはペット同居型でないという事だった。以前からそのことに興味を持っていた小倉さんは、入所者が亡くなった後の同居ペットをどうするのか等、後日代官と打ち合わせを行うことになったそうで打ち合わせ場所は例のペットショップになったそうだ。
私は参加しないが面白い展開になりそうだ。しかし、私は代官が小倉さんに会っても少しも驚かなかったことに疑問を持った。
それで彼に聞いてみると代官は「小倉久寛なんて俳優は知らない」っていう答えが返ってきた。
私はそれを聞いて吹き出してしまったが、代官はそんな私を怪訝な面持で見ていた。
イベントメンバーは高齢者施設のバーベキューに参加するという事で私と代官はスクールに戻った。
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