還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ ⑩
マニラ空港から待ち合わせ場所へは命がけ!
♬Ladies and gentlemen. We arrived at Ninoy Aquino Airport. Blah blah blah. ♬ 皆様。ニノイアキノ空港に着きました。ブラブラブラって何を言っているが聞き取れない。
ニノイアキノ空港には、ほぼ定刻の現地時間23時50分に着いた。日本時間でいうと0時50分。気温は25度位なので、冬の日本から来た人間にとっては暑く感じる。
空港に着陸後、流れに沿って入国ゲートに進み、パスポートと入国カードを用意して、入国審査。
Foreign Passportという列に並んだが空いていたのと日本人という事でスムーズに通過。本当に日本のパスポートは最強だという事を実感した。
その後、baggage claim(手荷物受取所)に移動、搭乗者数も最大で180人ほどなので、並んでまもなく私のキャリーバッグも流れてきた。
そして、キャリーバッグを取り上げて、周りを見渡したが、お代官の姿が見えない。おっと、どうしたんだ。
彼は、ボストンバッグ一つだけで荷物を預けていないから、ここで待つ必要はないけど。彼に、待ち合わせ場所の案内図を見せたときに、初めてだと間違いやすいので僕がアテンドしますよと言ってくれていた。
彼は、アテンドを付きそうという意味で使ったらしいが、チョット格好いい。
アテンドを私も何時か使ってやるぞなんて思っている。
彼はトイレかなと思いながらしばらく待ったがそうでもないようだ。
ここまで、リラックスしていたのに、急に緊張が走った。予期せぬことが起こると誰でも冷静さを失ってしまうものだが、私は特にその傾向が強い性格だ。
まぁその為にサラリーマン時代から準備には人一倍時間を使ったものだ。
それでも、しぁない自力で待ち合わせ場所まで行くしかないと腹をくくって、リュックから準備ノート取り出して案内図をチェック。
案内図には、日本語で第一ターミナルの待ち合わせ場所は「空港建物の出口を出て、前の道路を渡ってまっすぐ進んでください。突き当りまで行くと下り坂が2つに分かれているので、その右側を進んでください。道を下ったところに、TUVWXYZ WAITING AREAというサインがあって車道を挟んで向かい側が待ち合わせエリアになります。
スタッフは柵から内側には入れませんので、車道を渡って柵の手前までおこしください」とかいてある。
お代官とはぐれた、やばい!どうしよう?
しかし、お代官をあてにしていたので、今いる場所すら分からない。
周りを見回してガードマン風の男性を見つけ、ノートに書いてある英文を読み上げて、道案内をお願いしてみた。彼は、案内図を見ながら、下り坂の所まで誘導してくれたので本当にありがたかった。
英会話学校からの事前アナウンスで「ニノイアキノ国際空港には、4つのターミナルビルがあり、ターミナルビル間は連続性が全く考慮されなく、それぞれが離れていて各ターミナル間の移動の際は一度空港敷地外の一般道路に出なくてはならず、迷子になったら見つけられないので充分に注意してくださいと念を押されていた。
そして、たまに、待ち合わせ場所で会えない人もいて、2年ほど探していますがまだ見つかっていません。なんて、ひどい冗談をいうものだと怒りもこみあげてきたが、後で聞いたら冗談ではないらしい。そんなあほな。
しかし、ターミナルビル4つというのは凄い規模だ。私が知る限り成田空港でさえ3つのターミナルなのだから。
歩いているうちに、ピッピッピピピイとすさまじいクラクションの音。そして、真夜中なのにおびただしい車とオートバイ数。排気GSとほこりにまみれにされて気分が悪くなる。
待ち合わせ場所は、ガード下。沢山のフィリピン人が日本人らしき名前のカードを振りながら、名前を叫んでいる。
東京のかとうさん。千葉のさとうさん。しかし、すぐにクラクションの音にかき消されていく。
私は目を凝らして、黄色いスタッフジャンバーを探す。車のヘッドライトが並んでいる人の顔をなめて行く。
あっ!あそこだ。柵の向こうに黄色いスタッフジャンバーを見つけたので、ふっと力が抜ける。
こんにちは。ドナ。私たちは挨拶を交わした。私は、幸いにも迷子にならずに、スタッフのドナに会えた。しかし車のヘッドライトに照らされたドナの顔は、まだだれかを探している。
ドナが何か言っているが、クラクションの音がうるさくて聞き取れない。聞き返してみると、彼女に誘導された、ワンボックスタイプのタクシーの中で「あと一人来るので、待っていてください」と英語で言ってくれた。
ここから「英語学校までは、どれぐらいの時間がかかる」とノートを見ながら聞いてみると「この時間だと多分1時間位と答えてくれた」どうにか私の英語も通じるようで安心した。
まもなくして、そのあと一人が来た。「すいません。迷子になっちゃって。と、謝りながらタクシーに乗り込んできた。
年のころは20代後半といった男性だ。