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#81 保阪嘉内と大島正健 その1【宮沢賢治とエミリィ・ディキンスン その19】

(続き)

○ 保阪嘉内と大島正健 その1

宮沢賢治を語る上で欠かせない人物に、盛岡高等農林で賢治と共に学んだ親友・保阪嘉内がいます。

嘉内は様々な切り口で語られることが多いように思われますが、賢治にとっての重要人物の一人であることは間違いなく、それは、嘉内が「銀河鉄道の夜」のカンパネルラのモデルの一人とも言われることからも想像できます。

山梨県出身の嘉内は、盛岡高等農林への進学で盛岡に暮らし、賢治と出会います。賢治も参加していた文芸誌「アザリア」の中心メンバーとして、その豊かな才能で、賢治へも様々な影響を与えました。嘉内が、農村生活の改善のために盛岡高等農林に進学し、その後も、理想の農村である「花園農村」づくりを夢見ていた姿などは、賢治の活動と重って見えます。

嘉内の盛岡高等農林へ入学は、札幌農学校の受験失敗がきっかけとなっており、図らずも盛岡高等農林を退学となった際も、再び札幌農学校受験に向け受験勉強を開始するなど、札幌農学校へのこだわりが見られます。結局、家庭の事情によって嘉内の札幌農学校入学は実現しませんでした。また、嘉内は、キリスト教にも興味を持っていたと言われています。

嘉内が賢治に対して、札幌農学校やキリスト教などについて何を語ったかはわかりませんが、嘉内と賢治の関係性を考えると、何らかの会話が交わされていたことが推察されます。

(続く)

2023(令和5)年10月20日(金)

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