グライス語用論 概説 前編
北大言語学サークル所属のもけけです。
全3回に亘る本記事では、文脈(コンテクスト)から得られる情報を考慮に入れた上で言語使用を研究する言語学の一分野である「語用論」の中から、その黎明期に分野の確立に大きく寄与したポール・グライスが提唱した理論を紹介し、その後の研究で再編された理論についても紹介していきます。
グライス語用論
グライス語用論とは、概略、発話の意味について字義通りの「言われた事柄(what is said)」と言外に示される「推意された事柄(what is implicated)」とを想定し、後者のような意味である「推意(implicature, implicatum)」が生み出される仕組みを説明しようとしたものです。
ここでのBの返答は、字義通りの意味のみならず「宿題をやらないといけないために食事に行くことはできない」という意味をも生じさせていると考えられます。グライスの理論は、このような「推意」が生じる発話を分析する上で大きな効果を発揮するのです。
以下で確認するように、グライスの理論の基礎は、大きく「協調の原理(Cooperative Principle)」と「会話の公理(maxim)」とに分けて説明することができます。
協調の原理
グライス(1998: 37)は、通常の会話の中で守られていると考えられる一般的な原理について以下のように提唱します。
会話の公理
上のような協調の原理が守られる状況においては、原理を細かく分類した下位原理的な四つの公理(格率)を想定することができ、発話参与者はそうした公理に従うことを通して全般的な協調の原理を遵守するのだと考えられています。グライス(1998: 37-39)を参考に以下にまとめます。
量の公理:
(言葉のやり取りの当面の目的のための)要求に見合うだけの情報を与えるような発言を行いなさい。
要求されている以上の情報を与えるような発言を行ってはならない。
質の公理: 真なる発言を行うようにしなさい。
偽だと思うことを言ってはならない。
十分な証拠のないことを言ってはならない。
関連性の公理: 関連性のあることを言いなさい。
様態の公理: わかりやすい言い方をしなさい。
曖昧な言い方をしてはならない。
多義的な言い方をしてはならない。
簡潔な言い方をしなさい(余計な言葉を使ってはならない)。
整然とした言い方をしなさい。
ここで注意が必要なのは、これらの公理は「会話におけるマナー」のような規範や禁止事項などではなく、協調の原理が働いている一般的な会話において守られることとなる、いわば必然的な「公理」であるということです。
推意が生じる仕組み
ここまで読んでくださった方の中には、私たちの実際の発話において、しばしば公理が守られていないものがあることに気付き、疑問に感じた方もいるかもしれません。
グライス(1998: 43-45)によれば、確かに、実際の発話においては、こうした公理はしばしば逸脱されることがあります。しかし、そうした場合でも、聞き手は、話し手が会話の公理を守っている、少なくとも協調の原理は守っているはずだと想定します。
その結果、そうした逸脱からは新たな解釈としての意味が要求され、ここに聞き手が推論して得た理解内容である「推意」という新たな意味が生じてくることとなるのです。(注)
つまり、グライスの理論によれば、この逸脱と推論こそが字義通りには得られない意味を生み出している仕組みだと言えるのです。
次回の記事では、具体的な例に基づいて「推意」の生じ方を確認しながら、公理がどのように逸脱されるのかという類型についても紹介します。
脚注
グライス(1998: 56)は「会話の含み(引用者注: 会話的推意)が存在するという仮定が成り立つためには、最低限、協調の原理が遵守されているものと仮定しなければならない」としています。この記述について、川口(2001: 108)では「CP(引用者注: 協調の原理)が遵守されないならば含みは存在しないと仮定される」と整理されています。
これらの内容から、公理の逸脱と推意が生じるような会話においては、いかなる場合も協調の原理が破られることはなく、あくまでも会話の公理の逸脱だけを問題にすれば良いと考えることができます。
なお、次回の記事で確認しますが、そもそも推意を生じない「拒否」というタイプの公理の逸脱の場合には協調の原理も破られていると考えることができます。
文献
川口由起子(2001)「グライス理論における協調原理と格率一般との論理的関係」『科学哲学』34巻2号 pp.101-116 日本科学哲学会
ポール・グライス(1998)『論理と会話』清塚邦彦(訳) 勁草書房
澤田淳(2020)「語用論とは何か」加藤重広・澤田淳(編)『はじめての語用論』pp.1-23 研究社
澤田治(2020)「グライス語用論」加藤重広・澤田淳(編)『はじめての語用論』pp.24-40 研究社