
『碌山美術館』今井兼次ほか
2022.8.--
ここまで前の話になってくると写真のバックアップ方法に迷走してた時期ってのもあって、すぐに写真が取り出せない。もっと撮ったんだけどな、たぶん古いパソコンの方につっこんである。
碌山美術館は穂高駅からちょちょっと歩くと着く。碌山美術館内に居ても踏切の音が聞こえるから、駅近。……ふだん私が「1時間以内なら徒歩圏内」って言ってるから、本当に駅から近いのに疑われてしまうのは、ちょっとあれですね。日頃の行いですね。
美術館自体は分棟型で、敷地内にいくつか建物がある。今井兼次の碌山館がメインで、絵画を展示してる棟(杜江館)、彫刻①、彫刻②、ログハウス的な休憩スポット(グズベリーハウス)が展示に使われてるかな。あとは入り口の建物とかトイレとかショップとかで少し。展示室は杜江館以外は平屋建てだし、杜江館も一階部分しか入ってないから、碌山美術館の中で上下動はそこまでなかった。だいたい地に足つけて見る。
レンガ積みでツタに覆われた教会みたいなのが碌山館。設計したのが今井兼次で、都内だと皇居の中を散歩してると出てくる桃華楽堂とか。日本にガウディを紹介した人で、それを聞くと桃華楽堂の造形も納得する。碌山館が竣工した1958年の翌年には国立西洋美術館ができてるくらいゴリッゴリにモダニズム全盛の時代なんよ。そんな時期にこんな時代と逆行する建物作ってるってのが痺れる。長野県民小中学生をはじめとして29万人ちょいのカンパ等でもって建てられてるから潤沢な資金があったわけではないと思うけれども、貧者の一灯も集まりゃ大火というか、荻原守衛のための美術館建設にこれだけたくさんの人が熱望して関わったってのが胸熱。そうなるとやっぱり、その熱意がダイレクトに建築に反映させるというと、近代建築五原則に則ったモダニズム建築よりかは、手仕事感のある今井兼次の建築がふさわしいだろうな。しかも、碌山館の隣は穂高中学校があって、その学生さん達がレンガや瓦を運んでいっしょに建物を作ってるんだ。今井兼次も混ざって作業したとか。記録映像が碌山美術館のホームページにある。中世の教会ぽいけど、開口部はしっかり取られていて中はとても明るい。彫刻家のアトリエではないものの十分な採光が得られる。でも本当に教会っぽく作ってて小さな薔薇窓もあるし、鐘も定時で鳴る。とても良い音。
碌山館以外は追々建てられていったものなので、今井兼次の設計というわけではなさそうだけど碌山美術館だし、碌山館以外での体験も良かった。
杜江館は壁がコンクリ打ちっぱなしでその上に絵をかけるためか木のパネルがあったはず。この木の色味にあわせて他の展示台什器やベンチも木でできていた。ここは写真撮れなかったはず。
彫刻①②展示室も天井が高くて高い位置から日光が入って採光ばっちり。①のほうが近代彫刻の歩みをがっつり紹介しているくらい有名作が多いからかもしれないし、室内が方形だからかもしれないけど神殿感がある。それよりも②のほうがより小品が多くて、小ぢんまりとしてる。でも天井はしっかり高いから圧迫感はない。藝大の陳列館2階部分みたいな、見渡せるほどの広さでちょちょっと展示するに良いくらいの感じというか。①②どちらもそれぞれに良い。
グズベリーハウスは、もうね、もろに手仕事って具合だし、本当に地域の人達によって作られた建物らしい。ログハウスって本当に自力で建てられるらしいじゃんか。まさに、あれ。トラス部分はいろんな材が使われてるような感じだけど、梁がどっしりしてて力強い。安心感というか、グズベリーハウスにいるとほっこりする。蕎麦の実が100円で売ってた。
なにはともあれ、みんなに必要とされて、みんなでつくる建築って良いよねって話。だんだんとモダニズム建築の解体か存続かとか、建物の寿命のような話が出てきていますが、最後の最後はその建物に愛着が(特に所有者、地元の人達にとって)どれだけあるかになるのかなーって思っている。碌山美術館は間違いなく残るだろうな。
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