「シュルレアリスムと日本」板橋区立美術館
2024.3.--
雨が降っていた。忘れられないっていえば、この日についても忘れることは無いんだろうな。しばらく動いていなかったLINEのグループから、発信者の友人で、このグループの一員だった方が亡くなったって連絡だった。喪服も持っていなかったし、葬式に出るほど親しいという間柄でもなくって、よく見たら喪主が夫になっていたから、あ、この人結婚していたんだって、その時に知ったくらいに疎遠になっていた。線香付きの電報を打って送った。完全に自己満足。本当に悲しいと思った。悲しいという気持ちを文字や涙で表面に出すと、そこからもう嘘っぽくなってしまって、どうにもならないくらいに、つらいな、って思ってた。あのね、私ね、学位的には同じって言えないけれども、同じく、建築を勉強することにしたんですよ。設計や模型つくるのって、こんなに大変だったんですね。もっと、お話、したかったな。
どうにもならないので、現実逃避をすることにした。ハロー、超現実。
・ブルトンのシュルレアリスム宣言からちょうど100年なんだってさ。日本に到達したのも1920年代末ってことだったから、結構はやくない?なんというか、シルクロードを通って文化が~っていう時代ではないのは分かっているんだけど、情報網や交通の発展を感じた。
・東近美で見たな~って作品もちらほら。場所が変わると何となく雰囲気も変わる気がするけど、よっ、久しぶり~ってくらいの気持ちもする。意外といろいろな作品、見てきてたんだな。
・三岸の「海と射光」は、アトリエの古い写真にもあって、壁にかかっていた。三岸アトリエの中でその写真のコピーを見せてもらって、あっ!こないだ見て来たばっかり!!!ってなった。こういう場所で製作されてたんだな~ってアトリエでは思った。展示会場とは全然、光の色味も違うし。展示会場では、モチーフでかいな~って思ったけど、アトリエの広い壁面であればそこまで気にならないような気もした。のびのびしている。
・後半にいくにつれて戦争の影が濃い。山梨県美で見たかったな~って思った(知ったときには会期最終週とかで諦めちゃった)米倉の「世界の危機」とか。でも、「海と射光」と2年違いくらいか。戦争によって、治安維持法的に筆を折らざるを得なかったり、出征で描けなくなったりというのもあったみたい。戦争によって画題がその方向になったり、生活面から描くか描かないかの瀬戸際だったりと、かなり影響がみられる。最初の方のシュルレアリスム的絵画は新技術!自由で楽しい!って感じがしていたけども、だんだんと心情の吐露、現実逃避の方策感がある。戦後のは重荷を背負っていくようなものと、憑き物が落ちたようなサッパリした写真など。様々に戦争と向き合っているなと思う。
・展示会場全体がシュルレアリスム的。メインの部屋の中央の通路を通っていると、周りの絵がちょこっとだけ見えたり隠れたりで、どこかで目線が合っているような見られているような、ソワソワする。額縁を通じて、いろんな人の夢の中を見ているような気がした。そして、何も夢を見ることなく、ぐっすり眠る日がある幸せも感じた。
メトロ乗り放題券で来ているので、最寄りの都営線じゃなくて、遠いメトロの駅まで、また歩く。
靴を濡らして、歩いていくしかない。