現パロでのアシリパさんの和名呼び、明日子呼び問題について〜肯定派・見る専腐女子の主張〜

前置き

本記事では検索しやすくするためアシリパさんの「リ」は小文字ではなく普通の大きいカタカナで表記します。

私がこの問題でどんな立ち位置の人間か、何故この記事を書いたのかはあとがきに書いてあります。

過激な肯定派が韓国の方や実際のアイヌの方に対して行った嫌がらせなどは良くないことだと思いますが
それは別として否定派が絶対正義で和名呼びは絶対悪とも思いません。

過激な方は目立ちますがそれに引っ張られず「自分は現パロでのアシリパさんの和名呼びについてこう思う」を考えることこそ元々の問題提起の目的だと考えます。

既に他記事やTwitter(現:X)で言及されているため
本記事ではアイヌの方へのマイクロアグレッション等については言及していません。


何故こんなに問題がこじれたのか

アシリパさん(2次元キャラ)と現実の(現代の)アイヌの同一視・混同

「アシリパさんは和名を押し付けられたアイヌの1人だが
和名を押し付けられた現実のアイヌの代表じゃない!!」
これが私の主張の要です。

「アシリパさん(1人の2次元キャラ)が現パロという二次創作で和名を名乗ること」と
「現実の(現代の)アイヌの方が和名を名乗ること」は違うと言いたいのです。

現実の(現代の)アイヌが和名を名乗ることについての考え方はその人それぞれです。

当然「和名を好きで名乗っている」方や
「和名を嫌々名乗っている」方、
「アイヌ名を好きで名乗っている」方もいるでしょう。

一方アシリパさんはあくまでも「1人の2次元キャラ」です
故にそのキャラ解釈は二次創作の創作者それぞれです。

「現実のアイヌのAさんは和名を自ら名乗ることを快く思っていない」
「アシリパさんを和名で呼ぶことを快く思っていない」ことを受けて

「アシリパさんが二次創作の中で和名を名乗りたい/名乗りたくないと思っているキャラ解釈」
「創作者がアシリパさんに和名を名乗らせる/名乗らせない」が必ずしも変化するべきだとは思いません。

仮にまたこのアシリパさんの和名呼び問題において
否定派/肯定派のどちらのアイヌの方が現れても
錦の御旗のように祭り上げるのは良くないと私は思います。

「アシリパさん」=「和名を押し付けられた現実の(現代の)アイヌの代表・総意」として扱うのはいかがなものかと思います。

現パロ(二次創作・フィクション)×アイヌ差別問題(ノンフィクション)で話がややこしくなっている

アシリパさんの和名呼び問題は
二次創作的思考と現実の差別問題が
アイヌというテーマ故に重なった結果だと考えます。

現パロは転生、つまり記憶の有無などはあれど
ある程度別人として現代に生まれ変わる二次創作のシチュエーションです。

「二次創作なんだからアイヌ名が普通に使える現代をかけばいいのに」という意見もありましたが、自由にかけることこそ二次創作の特徴であり、かく内容は人によります。

例えば完全ファンタジーで西洋風の原作や
歴史モノの原作キャラクターで現パロが作られた時、
ファンの間でキャラ名を現代日本風の名前に変える風潮があっても
多少の好き嫌いの論争は起これど
ここまで大きな問題にはならないと思います。

「『二次創作の中でくらいはアイヌの問題から解き放たれてほしいから和人にする』は傲慢だ」という意見もありましたが

二次創作的思考からすると
軍人という設定なのにアイドルにする、
西洋/異種族のキャラだけど日本人にする、
性的指向がわからない/異性愛者であるが両性愛者/同性愛者にするなどは他作品では普通に行われていることです。

二次創作的思考から来る他作品ではごくありふれた事柄が
ゴールデンカムイがアイヌという
実在する(フィクションではない)・現在も差別問題が続いているテーマを扱っているばかりに
差別の枠と合致してしまったのだと私は考えます。

アシリパさんが和名についてどう思っているのかわからない

アシリパさんが和名について明確に肯定/否定する描写は、私の見る限りでは原作に存在していません。

人によっては「普段アシリパと名乗っていて
1度も和名を名乗ってはいないのだから否定描写である」という意見もありましたが
そこまで行くと人によって違う原作解釈の域でしょう。

「アシリパさん自身が和名について認めていても
だからといって他人が和名を肯定するのは違う
それに彼女が和名を認めているのも肯定的とは限らない」という意見もありました。

彼女が和名を認めているのはあまり肯定的でないかもしれないというのは憶測に過ぎません。
そこは人によって違うキャラ解釈の域でしょう。

アシリパさんの「新しいアイヌの女」というキャラ設定で話がややこしくなっている

アシリパさんは必ずしもアイヌの慣習などを全肯定しているわけではありません。
口の周りの刺青を入れたくないと言ったり
占いを否定する描写があります。

新しいアイヌの女 
=アイヌのことを大切にするが古い慣習に固執しすぎず
合理的に新しいもの、考え方も取り入れて強かに生きていく
というキャラクターだと解釈しているので

現代に転生しているのであれば和名に対する考え方は変化しててもおかしくないと
私は思います。この解釈は人によりけりでしょう。

「アシリパさんを和名で呼ぶ人間を全員殴り倒すのが杉元」という意見について


杉元がアシリパさんの和名について否定的な描写は無かったように思います。

確かに白石がアシリパさんを「お前のイヌか?」と聞くシーンでは明らかに怒っていましたが、それは明確な侮辱だったからです。

土方が和名を聞くシーンでは杉元が間の抜けた感じで「聞いたこともない」と言ったあと妙な緊迫感に包まれましたが

タイミングなどを見るに唐突にそんな事を聞く初対面の老人に対しての不信感、警戒の描写のように思えました。

もし本当に杉元がアシリパさんの和名に対して否定的であれば
それこそ「聞いたこともない」ではなく
「…何故そんな(失礼な)ことを聞く?」のようなセリフになっていたのではないでしょうか。

それでもなおそのシーンが杉元がアシリパさんの和名に対して否定的なシーンであると感じるのならば
それはもう私との原作解釈の違いでしょう。

結局どうすればいいか

韓国の方に教えられた「Agree to disagree」という考え方

2021年9月頃に起きた韓国の方の問題提起の際に、問題提起をした方とは別の韓国の方と話し合う機会がありました。

その方は和名呼び否定派でしたが、肯定派の私と本当に丁寧に冷静にやり取りをして下さりました。

その際、最終的に言われたのが「Agree to disagreeしましょう」という言葉です。
Agree to disagreeとは「意見が違うことを受け入れる」という意味です。

どちらが悪でどちらが正しいか
白黒つけたい気持ちも分かりますが
自分が正義だと思った時こそ相手に対して醜悪なことができるのが人間というものです。

ある程度の所で自分とは違う相手の意見を尊重する姿勢は大事だと思います。

「和名呼びをやめてほしい」よりも注意書きのお願いと自衛

否定派なのにたまたま注意書きのない和名呼び作品に当たってしまったら
和名呼びをするな!と苦情を入れるよりも
肯定派/否定派双方のために注意書きを書いてほしいことを広めていくのが良いと思います。

拒否されたら潔く引く、もしくは怒らずそもそも何も言わずそっと見なかったことにするのも大切です。

和名呼びの過去の作品の扱い・これから現パロをかくにはどうすればいいか

過去の作品を消すも残すも自由です。
ただ残しておけば非難される可能性があることは覚悟した方がいいと思います。

これから現パロをかくなら、アイヌ名でかいても和名でかいてもどちらにしろそれはあなたの主張と見なされるでしょう。

特にこだわりがなく、非難が怖いのであればアイヌ名でかけば無難でしょうし、
それでも和名でかきたいというなら非難は覚悟の上で肯定派/否定派双方のために注意書きをするといいと思います。

図書館戦争から学ぶ差別用語と言葉狩り

図書館戦争は昔チラッとしか読んでいませんが、印象に残っているシーンがあります。

主人公が好きなシリーズの新作絵本が「こじきのおじいさん」という単語が使われていたために規制されそうになった話です。

とても優しい世界観のその本に「こじき」という単語を差別的に使う意図はなく、
推奨された「住所不定無職のおじいさん」ではどうしても表現が合わないというエピソードでした。

差別用語を使わなければそれだけで本当にいいのでしょうか。
非難を恐れて和名呼びをアシリパ表記に変えただけで
全て解決し全く差別していないことになるのでしょうか。

そもそも和名は差別から強制的に名付けられた背景があるとはいえ
和名自体はあくまでも名前であり差別用語ではないと私は解釈しています。

和名は差別用語だと断言するのは
好きで名乗っている実際のアイヌの方にも失礼だと思います。

「イヌ(あ、イヌ)」がゴールデンカムイ作中でも差別の描写として使われているように
差別用語ではない言葉でも差別を込めれば差別用語になり得るし、
差別用語を徹底的に狩っても表面的なもので意味は無いと私は思います。

大事なのは、無意識の差別意識があったのかもしれないと気づくことや
これから二次創作する上で差別的な表現にならないように気を使うこと
実際のアイヌの方の差別を減らすために何が出来るのかを考えることだと思います。

公式に問い合わせるくらいなら二次創作を見るのをやめよう

ゴールデンカムイの原作者、野田サトル先生の意見を絶対視・神聖視して
アシリパさんの和名呼び問題について公式見解を求めるのはやめましょう。

そんなことをするくらいならゴールデンカムイに限らず二次創作から距離を置いてください。

二次創作はあくまでも原作者から目をつぶってもらっているグレーなものです。
原作者としては聞かれればNOと答えるしかないが基本的に黙認していることもあります。

その上で原作者に二次創作についての粛清や公式な意見を求めるのはあまりに酷ですし
それはもう作品愛でもキャラ愛でも正義感でもなんでもなく
自分の気に入らないものを叩きたいだけの自己満足ではないでしょうか。

ファンからの呼びかけで原作者が公式見解を出して二次創作が規制されたとなれば
それは最悪の場合他作品の二次創作の縮小にも影響を及ぼす一例となってしまいます。

既に問い合せた人もいるでしょうが、これ以上はやめましょう。
問い合せた人の自己満足が満たされるだけで他の誰も幸せになりません。とても迷惑です。

あとがき

この記事を書き上げたのは2024年の3月頭ですが
2021年の9月頃に起きた韓国の方の問題提起と
2022年の6月頃に起きた実際のアイヌの方を発端とした騒動がすっかり鎮火したタイミングで
それでも筆をとったのは
ずっとその2つの出来事に「呪われた」と感じていたからです。

その「呪い」に区切りをつけるためには
既に埋まった「呪い」を掘り起こして再度周りに振りまいてでも
こうして書き記さねばならないと考えました。
故にこの記事は私の自己満足でできています。

私はこの2つの出来事があってから
ゴールデンカムイという作品自体がそれなりに嫌いになってしまいました。

先日実写映画を見て、素晴らしいと感動しても
やはりふとした時にこの問題が
どうしようもなく淀みきった感情と共に脳裏をかすめるのです。

私は、別にゴールデンカムイの現パロが特別好きで頻繁に見ていたわけではありません。
もちろん、自分が現パロをかく側だったわけでもありません。

ゴールデンカムイという作品と、その腐向け二次創作が好きな、見る専の腐女子でした。

私はニーメラーの警句を知っていたので
現パロ和名呼び肯定派に非難の矛先が向いたことを他人事とは思えませんでした。

しかし当時は肯定派・否定派共に過激な方が目立ち
あまりにひどい有様だったため、心の平穏のために距離を置きました。

最終的に一部の過激な肯定派の悪行をまとめた否定派の記事や
否定派の言いたいことばかりがネット上では目立つようになり
非難を恐れた肯定派のまともな記事は出てきません。
これでは、あまりに肯定派が不利ではありませんか。

これから先この問題の存在を新たに知るファンがいて検索した時
否定派の意見ばかりが目立って
肯定派は後ろめたく思うでしょうが
私の記事を見て「こんな意見もあるんだ」と
心の浮き輪になれる事を願います。

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