紐帯に隠された美
睦月が始まりましたが皆さんご機嫌はいかかでしょうか?
年末年始って皆さん大掃除するじゃないですか。
なんとそこで懐かしい高校の時に使っていた現代文の問題集が出てきて。
そこでパラパラと見ていると、
山本雅男「イギリス訓え」にて「紐帯」という言葉が…。
そこで私が感じたのは紐帯という言葉が美しいなと。
そう。私がこの企画を始めたのも、この美だったんです。つまり、日本語には何か感情・美しさが秘められている。こうした言葉が忘れ去られるのが嫌だな、勿体ないという思いから始めた企画なんです。
SectionⅠ
紐帯って何ぞや??
そもそもこの言葉が美しいなと私が思った理由の1つが、同じ意味の漢字で掛け合わせていないところ。
同じ意味の掛け合わせた単語としては寒冷、温暖、言語といった風に。しかし紐帯という漢字を分解すると紐と帯。微妙にこの2つの漢字の意味が違うんです。その違いが紐帯という単語に変化を与えます。
SectionⅡ
人と人をつなげる紐
多くの人はやはり周りの人がいなければやっていけないというのは事実です。私自身最近思うのは周りの人に支えられていると思うのです。
ただ道徳がどうとか、やさしさとかどうといった一般論では語れない根源からなのです。
例えば郵便物の配達から、施設のトイレ掃除から、スーパーの品揃えから、テレビの情報伝達から、何もかも当たり前じゃないということです。
もしそういった方々がいなくなったらどうでしょうか?
きっと自分の生活が今のままのように成り立たなくなります。かといっていなくなったしまった人の仕事を全部行うことができるでしょうか?
いいえ、違うはずです。なぜなら一人ひとり一日の中で割ける時間は決まっているからです。だからこそ、自分ができないことを他者へ任せます。なので「感謝」を伝えることを忘れてはならないと思うのです。
そういった感謝という気持ちを身につければきっと長い紐になるはずです。
SectionⅢ
人と人を束ねる帯
紐でつながるのも大切ですが、それと同時に意識したいことが帯。
帯はたくさんの糸がつながってできていますが、これを人間関係にも当てはめてみましょう。
帯のようにたくさんの人と交流するんです。特に「帯」という視点で見るならばSNSは最強のツールは無いと思います。
noteやX、instagram,facebook…あらゆるプラットホームで自分が思いがけない形で交流できます。
直接的な交流では、会う人数や時間、環境といった類に縛られますが、SNSではこうした縛りが無く、多くのバックグラウンドを持った人と交流できます。
私が思うSNSの魅力とは良い意味で思いがけない出会いがあるということです。直接では為しえない、間接だからこそのポテンシャルだと思ってます。
Epilogue
皆さんとも現に私は、この記事を通して間接的に交流できています。
最後に今回のテーマに合ったような曲をたまたま見かけたのでご紹介を。
ぜひ時間があるときに見てみてくださいね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。ぜひ、いいなと思った方は👍とフォロー、Xにて拡散をしていただけるとうれしいです。それでは👋