[文豪へのいざない] 耄碌していたらしい
開いてくれてありがとうございます。
マイナス思考をプラス思考に変換していく、あけぼの博士です♪
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いよいよ月初、7月もスタートしました!
7月の和風月名は文月(ふみつき)。
稲の穂が実るという月、穂文月から由来はきているそうです。
一年という年も半年を迎えようとし、
私たちも徐々に一年に向けて、少しずつ実を結んでいけるようにしていきましょう!!
皆さんは今年の目標への進捗はどうでしょう。
この機会に目標を再度確認し、目標達成のために一日一日を大切にしていきましょう!
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前回は幸田文の「糖衣を脱いだ地声」という表現を学び、
いつも恒例の「作品に触れ、解説して、実践」をしました♪
前回の文豪へのいざないはこちら。
今回取り上げる表現は小沼丹の「耄碌していたらしい」。
ここで小沼丹って誰?って方も多いと思うのでWikipediaから引っ張ってきました。
日常的に決して学ぶことが無い語彙を学べるという新たな視点を手に入れられる、
それがこの企画の魅力だなと思いながら、文豪への道へと参りましょう。
SectionⅠ
今回の語彙:「耄碌していたらしい」
SectionⅡ
「耄碌していたらしい」とは
現代では一つ目の意味が良く用いられるそう。
今回の文章での意味も一つ目。
『文豪の凄い語彙力』によると、
とあります。
やはりどんな悪い言葉、暗い言葉も、
文豪の手にかかれば、味わいのある言葉へと変換してしまう、
この文章を見た時文豪は凄まじいなと感じた瞬間でした🤭
SectionⅢ
表現の実践
今回もしっかり、この学んだ表現を用いて、一文作ってみました。
あとで使ってみようという単調的な思いはすぐ忘れてしまうもの。
だからこそすぐ実践して自分のものにしていく。
そんなことを意識してます😉
ただのなんの繋がりもない文章もあれだなと思ったので、
俳句にして表現してみました。
|解説ー①
一筋の光とは、太陽の光を表しました。
|解説ー②
耄碌たる花。
直訳すれば歳を取った花となります。
つまり枯れかけている紫陽花を表しました。
|全体を通しての意味
太陽が燦々と照らす先には、紫陽花があり、
徐々に人間が歳を重ねるように耄碌していく紫陽花。
ただそんな中それでも負けじと生きている紫陽花の生命力の強さを最後の「照らしてる」と表現しました。
照らしてると表現することで、まるで枯れるために当てられている光ではなく、
スポットライトに照らされている、そんな意味合いも込めました。
最近雨が少なくなることで紫陽花が少しずつ枯れていっているのを見て、
少し思うものがあったので俳句にしてみました。
紫陽花の少し色褪せた外見とは裏腹に、
根強い生命力を感じていたのでそれを俳句にしました。
枯れているように見えても凄い長生きしていたので、
やはり植物も生命力高いなと驚きました。
私たちも負けじと生命力を高めて、日常を送りましょう!
最後にこの内容と凄いマッチする曲があったのでご紹介を。
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