誰かの心臓に
1番になりたい、超競争社会である現代においてとてもとても難しい願望だと思う。けれどなんだかんだ現代人みんなが願ってることではないだろうか。お金持ちになりたい、幸せになりたい、豊かになりたい、優れていたい、きれいになりたい、かっこよくなりたい、つよくなりたい。色んな願望があるけど、どれも相対的な願いだし、比較対象、自分よりも優劣のある存在がある前提のように思う。
世界に一つだけの花 という私の尊敬するポン中によって作られた歌がある。現代令和においては受け入れやすく、求められるような歌ではあるが、発表された当時は昭和?くらいだっただろう。今ほど個人の個性が尊重され、目に見える競争が排除され、ぬるま湯のような地獄の釜の世界じゃなかった。みんなが現実を見ているがゆえに(は)グレる者もいたし、ひたむきな人も多かったのではないか。まぁ要約すると当時世界に一つだけの花はどんな受け入れかたをされたんだろう。
私は誰かの1番になりたかった。社会的な順位を追うことはあったが私は優秀ではなく努力が得意ではなかった。よって社会的に認められることは諦めていた。どこか底辺よりかは上にいられればいいか、無駄なプライドから望みや自分のすべてを捨て去ることはできず、かといって自分に勝つこともできず。
誰か、自分が認めている人に自分を認めていてほしかった。特別扱いしたいしされたかった。あなたは私の1番だし、あなたの中の1番は私でありたかった。厳密にはわからない。誰でもよかったといえばその通りだけども私の中ではあの人しかいなかったと思う。頑なに認めないが私からあの人の止めを刺したらしい。私の中では遥か等の昔に挫けてはいたが必要だった。私の心の穴を塞ぐには十分だし、私もその分尽くせてたのかなと思っていた。
けど違った。心が離れていくことも、あなたの中で私が死んだ音も、一人で全部決めて勝手に割切ることももうわかっていた。それでもぬるま湯に漬かっていたかったし、傷をなめあっていたかった。あなたから関係性を終わらせたくせにずっとワガママ放題をいってる。そのくせ私のワガママは一蹴するし。私は大切な人であろうがなんでも、
自分のしてほしくないことは人にはしない、
ってことをしてきたつもりだ。言葉ではなんとでも言えるから行動で示してほしい、これは男女によってわかれるところだが、言動の不一致はよくない。
私は大切な人がいるのに浮気はするのだろうか、恋人といくであろうところにいくのかな、一緒に行こうねと言ったごはんやさん、紅葉、それをできるのかなって
私にはちょっと難しい。理性というか常識というか、それこそ自分の芯となる部分がなく、自身が動物さんのような自覚があった。だから危ないこともしない。危なくなりそうなこともしない。そうしていた。
でも、相手から言い寄られていることもそういう目で見られていることも全部わかって三ヶ月?4ヶ月?遊んでたらしい。私がすぐそばにいるのにもかかわらず。
大切ってなんだろう、特別ってなんだろう。
だれもが、心の中に1番になりたい、認めてもらいたいという思いがあると思う。私の大嫌いな言葉だけども、愛し愛されたい そういう願望があるんじゃないか。愛と表現した瞬間に陳腐化するし、私の中ではそれは愛とは言えない。
己の欲せざる所、人に施すことなかれ これが私の指針であった。と共に他の人もそうなのかなって思っていた。でもどうやら違うらしい。大切な人がいても、相手が悲しむし傷つくと知っても、やむを得ないわけでもなく、なんら後悔も慚愧の念もなく、開き直って生きていけるらしい。沸き上がる無限の自己肯定感はどこからやってくるんだろう。ぜーんぶかってなことばっか、もう少しやり方ってもんがあっただろうに。どこまでも自分勝手で人のせいにして自分がかわいい人。
自分を振り返ってみて矛盾とかおかしいとか違和感に気付かないのかな、。
徒然に書き連ねたけども恋人?元恋人に対して浮気して開き直って浮気相手に全部相談して出した結論を自分のことのように伝えるのは人の所業じゃないよ、。少なくともあなたの言う大切な人にはしていいことじゃないんじゃないかな?大切な人じゃなくてもなにかしらのモラルというか良識が咎めると思うんだけどね、
先生ってすごいね
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