「TRAVEL2U」を終えて。-新しい旅のはじまり-
1.はじめに
本記事をご覧の皆様。
いかがお過ごしでしょうか。
すっかり秋の風が吹き始め、夏の猛暑は思い出になりつつありますね。
今朝方、「TRAVEL2U」東京公演参加記を投稿しましたが、やはり今回のライブはあれだけでは書き足りませんでした。
この記事は夜公演の、主に最後のMCを通して。
私水寸が、棗いつきを追いかけるきっかけからここまでの心境変化と、最後のMCを経て初めた新しい旅の物語を書こうと思います。
2.そもそも棗いつきを何故追いかけた?
私にとって棗いつきさんの最初の記憶はASMR作品の出演声優の方の1人でした。
確かこの作品が最初だったと記憶しています。
電話から始まるシチュエーションが当時の私の中では非常に新鮮で、同棲彼女を演じる声優:棗いつきさんの甘い声に魅力を感じて、私の記憶の中の1つに留めていました。
さて、他方で棗いつきさんは主に歌の活動を中心に今活動をされています。
棗いつきさんの歌に初めて触れたのは、実は8th ANAMNESIS / PERSONA からでした。
と言うのも、このCDが初販売されたイベントM3に参加しており、その時に見た長蛇の行列。
その正体がこの棗いつきさんのサークルへの列で、私はある程度空いたあとの午後に買いに行ったのをよく覚えています。
当時は棗いつきさんが存在する事だけを知っていて、そしてどんな声の方なのかを記憶に留めているくらいの、ほんの軽い気持ちでした。
2023年春。
私は当時転職したてで、1stライブへの参加は絶望的でした。
元々前の会社は創りたいモノの業界に就職できたのですが、業務内容や人間関係にかなりの難を抱えてしまいました。
結果として、私の中の記憶は一度2020年8月末頃からあやふやになり、11月中頃から12月頭に関しては完全な断絶しており、翌2021年の記憶も3月からしか残っていません。
職場での諸々で疲弊した私の心は音を立てることも無く、粉々に崩れてしまいました。
病名:うつ病。診断書を貰った日にラーメンを食べたのだけはよく覚えています。
断片的な記憶の中で覚えているのはただただ外の世界への恐怖と、自ら命を絶とうとした日の、体が末端からどんどんと冷たくなっていく感覚だけです。
復職し異動して暫く療養生活をしていましたが、一度完全な心神喪失状態になるとそう簡単に戻ることはありません。
幾度となく押し寄せる恐怖と不安。
このまま、この会社に居たら私はまた同じ道を辿ると思い、再異動で前の部署に戻された際に転職を決意し実行に至りました。
1stライブへの参加を諦め、私の止まったままの時計は時間を刻むことをとっくに辞めていました。
配信も基本受け身で、コメントとかは適当に入れるけど情報や他の人との交流を極力避けていました。
その時の私はまだ他の人に「棗いつき」のファンである私を接触させられなかったからでした。
前述の通り、私の崩壊した心では他の人の意見や感想を消化出来るほどの心の余力がありませんでした。
そして何より、この瞬間の棗いつきに追いつけなかった。
私にはまだ遠くの存在で、5月の春M3の新譜を消化しきるのにも多くの時間を費やしました。
心で発生した感想を思考でまとめることが困難になっていたからで、それ程に私の中のキャパシティは大幅に減少していました。
さて、2023年の夏に色々と(主にユニット方面)でありましたが、私の中で転機が訪れました。
2023年秋M3。
新譜「9th HYPNOSONIC」を持って彼女は参加し、私はとりあえず買っておこうというこれまでと同じ受け身の体制で購入しました。
そして、その後発表された「追想のラグナロク」。そして2ndライブの開催発表。
この2枚のCDで私の運命は大幅に方向転換しました。
まず1つ目に「9th HYPNOSONIC」の製作への棗いつきさん自身の深すぎる情熱です。
これは是非CDを買って確認して頂きたいのですが、特典として彼女製作の小説が読めるようになっております。
然して、この小説。
私も中高時代に夢小説を大量に書いていましたが、フルオリジナルの世界観で大ボリューム。
当日の真夜中まで執筆していた熱意が凄まじく、私は棗いつきへの認識を改めるきっかけになりました。
そして、2つ目。
2ndワンマン。パラレルショットです。
昼公演/夜公演共に彼女の物語に入り、参加者が物語のピースとして嵌ることで完成するストーリー。
奇跡が重なり、私は昼夜参加しました。
別界隈の友人1人には挨拶をしましたが、他の人とは距離を置き、1人で私はまだ見ぬ棗いつきのライブを見に行きました。
その中で夜公演。私は偶然にして右端で前に遮蔽物がなく、誰も居ない状況で楽しむことができました。
そのライブの物語の完結を夜公演で私は目撃する事になったのですが、何よりも私の心を、「棗いつき」のファンとしての私を通り越した先にある「本心」の、最深部の私に響く、揺さぶる歌を届けてくれました。
私が彼女の曲で最も好きな曲。優しい嘘でした。
原曲とは違い、アレンジとして作られた曲です。
しかし私の本心に最も近い曲調で、最も響く歌詞で、私の最深部に響いてきました。
原曲で最初に得た印象は「外見」「他人から見た自分」「偽りで固めた嘘の自分」でした。
そしてこのアレンジを聞いた時に私は同じ歌詞で、同じ人の歌なのに別の印象を持ちました。
それは過去に私が失ったもの。
「本心」「こう在りたい自分の姿」「仮面を外した私」。
どれも全て過去に失って、時計を凍りつかせたままになっていた「私」へ届き、その歌声は私の大きな心の氷塊にヒビを入れました。
やっと誰かにこの気持ちを共有して貰えた。
誰かに望まれる私を演じてきた私にとって。
演じてない「本心」の私を救ってくれた。
それが、この曲でした。
公演中はとにかく感情を救われた事によって溢れ出た涙で何も見えませんでした。
終演後はこの感情の行き場に困りました。
この感情を私の中で留めておくには限界がありました。
私の中で、ようやく私は「棗いつき」のファンです!と周りに宣言が出来るようになりました。
凍りついた心に入ったヒビが、私に外を見る光をくれたのです。
ようやく、ここで私は棗いつきを大々的に追い始めました。
3.どうしてここまで本気になったのか?
棗いつきに引っ張りあげられた。
一本釣りです。釣り上げられました。
もうこう表現せざるを得ません。
2024年に代わり、6月16日。
既に一度記事にはしましたが、浅草で行われたファンミーティングによって私の運命は大幅に方向転換することになりました。
詳しくは上記を見て頂ければと思います。
簡潔に言えば、私は棗いつき本人によって「ペンラクネクネニキ」と言う通り名を頂くことになりました。
それまでは誰とも交流を持つことなく、ただのんびりと私の世界で棗いつきを楽しんでいたのですが、このイベントがきっかけで私は一躍様々な方に名前を覚えられる、そして何よりも棗いつきさん本人が名前と顔を覚えるという嬉しい事に繋がりました。
昼公演後、周りに居たフォロワーから声を掛けて頂いたり、出口まで足を運ぼうとしたタイミングで私の所へ凸る某痛バのトレミーさんが居たりとその瞬間から交流が始まりました。
その時に私は「あっもうこれ逃げらんねえワ」と判断するに至り…腹を決め、閉ざしていた私の世界で愛でていた棗いつきという概念を外の世界へと向けることになりました。
結果として私の心が傷つくことは無く、ようやく私は感情を共有することが出来るようになったのです。
4.この「TRAVEL2U」を終えて
大変お待たせ致しました。
本題です。
この項目を書き終えて追記しますが、かなりの私的解釈を含みます。
予めご注意の上、読み進めるか判断して頂きたく。
ここまで長々と書いてきましたが、先日の東京千秋楽。
MCで最後に語られたのは紛れもない「棗いつき」の本心でした。
忘れないで。
貴方の思い出から消えたくない。
だからどうか、ずっと覚えていて。
この想いがどれほど響いたか。
所謂「棗いつき」のファンとして参加していた私でしたが、この言葉だけはこの仮面すらも撃ち抜いて、今じゃ大きく広がった私の最深部の心の氷塊のヒビに突き刺さりました。
ようやく止まっていた私の中の時計が動き出します。
彼女の本心の共有で、私の中で2020年9月で止まっていた時計は動き出しました。
彼女がどれほどあの言葉を紡ぐのが恐かったか。
あのMCに原稿はありません。
2ndではMCは全て収録(アンコール後のみ原稿)でした。
札幌公演や東京昼公演までは原稿があって、それにある程度そって彼女は進めていました。
でも、あの最後のMCだけは違います。
これが最後の公演で、千秋楽で。
ここまで全てを歌いきって、残すところ表題曲の最後の1曲を迎えるにあたって。
その瞬間にしか迎えることの無い心の中を、彼女は涙ぐみながら言葉にして、それを紡いで。
きっと外向きにはこう言っておくしかない、そう感じ取れるセリフが昼公演の同じタイミングのMCではありました。
でも夜公演だけは、この時だけは違ったのです。
忘れないでいてほしい。
この夏を絶対に覚えていてほしい。
そんな彼女の心の叫びが痛いほどに伝わってきました。
これを話すのにどれ程の勇気が必要でしょうか。
そりゃそうですよね。
ここまで作った最高のライブ、記憶の1ページに残してたまにあ〜こんな事もあったな、棗いつきあの頃めっちゃ聴いてたし好きだったな〜みたいな人生の残り方で「棗いつき」が納得出来るわけ無いはずなんですよ。
どうかこの日を忘れないで。
私の歌を、曲を、私の事を覚えていて。
昼公演とは真逆の、でも最も心を揺さぶる想い。
彼女の本心からの叫びがやっと聞けました。
彼女も私と同じように誰かと関わることに抵抗があったと話していました。
私だってそうです。
本心で誰かと話すのはとても怖いです。
今でも、この記事を書いているこの瞬間も精神安定剤で辛うじて人間を演じているに過ぎません。
でもその私を救ったのは棗いつきさん、貴方なんですよ。
これ程までに心に溢れる感情が発生したことは恐らくありませんでした。
4年振りに氷塊から出てきた私の本心は彼女への感謝と、「絶対に忘れない」と言う事を伝えたいという想いで私の中を満たして、満たしきっても溢れる感情は洪水の様に涙に変わり外へと出ました。
もしこの記事を棗いつきさんが読むのなら。
私は絶対に忘れないと伝えたい。
貴方の歌が傍に無いと私の本心は支えられない。
貴方の作る物語を一緒に歩めないのなら私は再び心を閉ざすことになります。
だからどうか、貴方の、棗いつきの物語を終わらせないでください。
この想いが爆発した「天気雨の旅」。
いつきさんの本心が震える。
木霊するように震える声。
いつもの彼女の歌とは違う、安定とは真反対の感情を最大限に出してくる歌い方。上擦る声。
全てに棗いつきの想いを感じて、私は溢れる感情の洪水を止められませんでした。
それでも曲は始まれば終わるもの。
最後の歌詞を歌い上げ、「TRAVEL2U」と言う最高の夏の物語を彼女は書き上げました。
そして、物語は続きます。
天気雨の旅が「つづく!」で終わったように。
5.続く物語
このnoteのサブタイトルに「新しい旅のはじまり」と着けています。
これは私の解釈の中で、棗いつきの新しい物語が、あの夜公演で本心を話してくれたことによってスタートした「棗いつき」の新しい旅の、物語の第二幕の幕開けを想い着けました。
天気雨の旅は物語の終わりでもあり、物語のはじまりでもあった。そう私は思います。
この先も彼女の物語は続きます、
その物語を、私は一緒に追いかけていたい。
その物語に、私は出演していたい。
その物語が、これからも永く続く物語であって欲しい。
初めて創作活動をしている方の紡ぐ物語に魅入られたのは何年前だったか、もう思い出すことはできません。
しかし創作活動をしている方の、その本人の物語に魅入られたのは棗いつきが初でした。
ここまで、これ程までに棗いつきの作る世界は私の世界に入ってくるとは思っても居ませんでした。
今私の心の中には、最深部で動き出した時計のど真ん中に1本の弾丸が刺さっています。
それは棗いつきという存在そのものです。
私の最深部の、本心を溶かして動かした彼女の想いは、少なくとも私の心から外れることはありません。
その弾丸からはとめどなく溢れてくる感情があります。
それは棗いつきの世界によって私が受ける感情。
ようやく、本心から棗いつきが好きだと。
ようやく、本心から棗いつきを推していると。
そう叫ぶことが出来ます。
この物語の終幕はどこで、いつ、どんな形になるかわかりません。
それでも私はこの物語を見届けたい。
あわよくばこの物語に私を見つけたい。
棗いつきという存在に、私は本心を預ける事にしました。
これが私の新しい旅の始まりです。
これまで空虚で空いていた穴に棗いつきの物語がぎっしりと入りました。
そして私の中で始まったのは棗いつきと本心を共有する物語で、その旅です。
この旅路がどうか幸せな旅であるように。
TRAVEL2Uの思い出を胸に、私自身も新しい旅をスタートさせて行こうと思います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
かなり私の本心や解釈持論が混ざっている記事で読みづらかったかと思います。
でも、これが私の本心です。
本心から、私は棗いつきが好きなんです。
本心から、私は棗いつきを推しています。
棗いつきへの想いが重くなった所で、この辺で筆を置きたいと思います。